第42話 翠嵐の刃、誕生
Aランク昇格の翌朝、俺と栞は池袋の裏通りへ向かった。
大通りの喧騒が遠ざかり、飲食店の搬入口や錆びた看板が並ぶ見慣れた雑居ビルの細い路地へ入る。
地下への階段を下りて重い鉄扉の前に立ち、インターホンのボタンを押した。
かすれたブザー音が鳴った後、数秒の沈黙があった。
「……あ、朝倉さん……ですか」
スピーカー越しでもわかるか細い声とおどおどした気配は、いつも通りだ。
「ええ。今日は素材を持ってきました」
スピーカーの向こうで息を呑む気配がすると、ガチャガチャと三重ロックの鍵が開く音がして、重い扉がゆっくりと内側に開いた。
防空壕かよと毎回ツッコミたくなるほどの厳重さだが、裏稼業っぽい雰囲気だから仕方ない。
工房の中は相変わらず雑然としており、作業台の上に並ぶ工具や棚にぎっしり詰まった鉱石の瓶、低く唸る換気扇に炉の火の匂いが充満している。
ピンクのショートヘアにタンクトップとエプロン姿の鋼島つむぎは、両手を胸の前で重ねながらこちらを見ていた。
「あ、あの……Aランク試験、合格されたって聞きました……おめでとうございます」
「ありがとうございます。それより、素材を見てもらえますか」
俺はダミーリュックに手を入れるふりをして、収納スキルから緑鱗やドラゴンの爪、翠緑の魔力結晶を取り出していく。
ゴトッと重い音を立てて作業台に並べられた素材を、つむぎは一瞬だけ固まって見つめていたが、やがてスッと手が伸びた。
先ほどまでのおどおどした気配が、嘘のように完全に消え去っている。
「フォースト・ドラゴンの緑鱗……魔力の浸透密度が尋常じゃなくてこの六層構造は通常の炉では絶対に溶かせない硬度なのに内部の結晶格子に規則性があって合成スキルなら内側から馴染ませられるから防具のベースに使えば魔力耐性が劇的に上がって翠緑の魔力結晶と組み合わせれば魔力伝導効率も同時に底上げできてドラゴンの爪はこの曲率が速度特化の付与と相性が良くてしかも硬度が申し分なくて素体に組み合わせれば攻撃速度の付与が内部から均一に浸透して表面の摩耗耐性も同時に……」
「止まらないわね」
栞が呆れたように言うと、つむぎがハッと口を押さえて耳の先まで真っ赤になった。
「す、すみません……こういう素材を見ると、つい……」
「いいです。頼もしいので続けてください」
俺が言うと、つむぎは少し驚いた顔をしてからまた素材に視線を落とした。
「……今日は、何を作りたいんですか」
「黒淵の紅刃と対になる一本を作りたいんです。あっちが重くて一撃特化なら、もう一本は速度特化で、二刀流として役割を分けたい」
沈黙が落ち、つむぎの目がゆっくりと変わった。
おどおどした小動物の目から、本物の職人の目へ。
「……少し、待ってください」
つむぎは工房の奥へ小走りで向かうと、棚の一番奥から布に包まれた細長いものを両手で大事そうに抱えて戻ってきた。
作業台の上でそっと布を開くと、中身は一振りのナイフだった。
黒淵の紅刃の素体だった無銘ナイフより一回り長く、均一な銀白色の刀身には装飾が何もない。
ただ、切っ先に向かってわずかに反った曲線が、いかにもスピード特化の形状を主張している。
俺は手に取ってみた。
驚くほど軽いのに、握った瞬間に刃先まで一本に繋がっているような完璧な重心感覚がある。
慌てて鑑定をかけて数値を確認すると、なんとベース性能が黒淵の紅刃の素体を上回っていた。
「……つむぎさん、これ、いつ作ったんですか」
「……三ヶ月、かかりました」
「この人、本物ね」
栞が小声で呟いたが、つむぎには聞こえていないようだった。
彼女は素体を見つめながら静かに続けた。
「前回、朝倉さんが来てから……Aランクの素材を持ってきてくれる時のために、ずっと削り続けてたんです。いつか使ってもらえると思って」
「やってみます」
俺はベースに素体を指定し、ドラゴンの爪を追加素材にセットした。
合成ウィンドウが展開され、成功率は『78%』と黒淵の紅刃の時より少し低い数字が出た。
素材の性質が複雑に絡み合っているせいだろうと冷や汗をかいていると、つむぎが「接合面の仕上げは私がやります」と言って工具を手に取った。
素体の継ぎ目を指先で確認し、迷いのない動作で微小な削りを入れていく。
刃の曲率とドラゴンの爪の魔力ラインを物理的に噛み合わせるための、まさに神業だ。
数秒後。
「……どうぞ」
つむぎが工具を置いた瞬間、ホログラムの成功率がフリッカーを起こし、『100%』に書き換わった。
俺は安堵の息を吐きながら、迷わず確定を選んだ。
ポン、という軽い電子音が鳴った次の瞬間、作業台の上を強烈な光が包み込んだ。
黒淵の紅刃の時は赤みを帯びた光だったが、今回は深い翠緑の光が工房の地下室を照らし、棚の鉱石が一斉に反射して瞬く。
やがて光がすっと引くと、作業台の上には一振りの短剣が置かれていた。
黒淵の紅刃の漆黒とは真逆の深い翠緑の刀身には細かな風紋が走っており、光の角度で模様が変わる。
触れると指先に微細な振動があり、まるで刃自体が呼吸しているみたいで少し不気味なくらいだ。
鑑定をかける。
『名称:翠嵐の刃』
『付与効果:
迅雷加速(攻撃速度上昇・大)
風属性付与
回避補正(中)』
軽く振ってみたが、まったく音がしない。
黒淵の紅刃はヒュッと空気を切る音がするのに、翠嵐の刃は振った瞬間に刃が空気に溶け込むような異常な感覚がある。
体感で明確に分かるほど速く、思わず自分の手をまじまじと見つめてしまった。
「……」
つむぎが作業台の端から顔を覗かせていたが、黒淵の紅刃の時みたいに腰は抜かしていない。
ただ、口元を両手で押さえて目だけが限界まで開いていた。
「…………また、やったんですね」
絞り出すような声だった。
その後、残ったフォースト・ドラゴンの素材もすべてつむぎに預けた。
緑鱗は俺のレザーアーマーと栞のローブの裏地に縫い込まれ、極めて高い物理・魔力耐性を付与してくれた。
翠緑の魔力結晶は栞の深淵の骨杖の先端に完璧なバランスで嵌め込まれ、魔法の展開速度をさらに一段階引き上げてくれた。
工房での作業がすべて終わり、俺は翠嵐の刃を右手に、黒淵の紅刃を左手に持って同時に握り込んでみた。
重さも感触も違うのに、握った瞬間に両腕が一本に繋がっているような奇妙な感覚がある。
右が速度で削り、左が装甲ごと断ち切るという役割が明確に分かれており、ゲームの最強装備を手に入れたような高揚感に自然と口角が上がってしまう。
隣で栞が、静かに息を吐いた。
「二刀流、これで本当に完成したわね」
「……まあ、Aランク素材止まりだけどな」
俺が言うと、つむぎが少し顔を上げ、珍しく自分から口を開いた。
「そうなんです。翠嵐の刃も黒淵の紅刃も、Aランクの素材だから付与の伸び代がここで止まっていて、これ以上は素材が追いつきません」
「……わかってます」
「Sランクの素材が手に入ったら……また来てください」
つむぎの声が少しだけ変わり、おどおどした様子を見せず、職人として真っすぐ言っている。
「その時は、本当の意味で限界に挑めます」
俺は翠嵐の刃を鞘に収めた。
「必ず持ってきます」
栞が小さく笑って、つむぎに向かって言った。
「そう遠くないと思うので、楽しみにしててください」
つむぎがエプロンの裾を握りしめながら小さく頷いたが、耳の先が赤くなっていた。
工房を出て池袋の裏通りを歩きながら、俺は右腰の翠嵐の刃と左腰の黒淵の紅刃を交互に確認した。
漆黒と翠緑、重さと速さという対極の二本がようやく揃った。
「Sランク素材までこれで行くか。宝の持ち腐れにならないようにしないとな」
「十分よ。あとはどれだけ使いこなすかだけね」
かっこつけて言ってみたが、栞にはあっさりと実力不足の懸念を突かれて苦笑するしかない。
収納の奥では、道標の石がかすかに熱を持っていた。
欠片は十一個で、残りは九個だ。
果てしない数字に少しだけ胃が重くなったが、ここで立ち止まるわけにはいかない。




