第40話 夢の中の、もう一人
欠片を十個手に入れた夜は、いつもより早く眠りに落ちた。
疲れていたわけじゃない。
ただ、体が自然にそちらへ引き寄せられる感覚があった。
◇
真っ黒な空間。
いつものおみくじが始まる――はずだった。
だが今回は違った。
宝箱のシルエットが、三つ並んでいない。
光の柱が、一本だけ。
選択肢はない。
触れる前から、向こうから引き寄せてくる。
指先が光に触れた瞬間。
『夢の欠片 10個達成』
『特別ボーナス:スキル【以心伝心】を獲得しました』
『効果:不明』
不明。
初めて見る表示だ。
スキル欄を確認する。
確かに追加されている。
でも説明文が一切ない。空白だ。
使ってみないと何もわからない、ということらしい。
パチリ、と目が開いた。
◇
翌朝。
栞がコーヒーを飲みながらタブレットを眺めていた。
俺はトーストをかじりながら、昨夜の話を切り出した。
「おみくじで変なスキルを引いた」
「変な、というのは?」
「効果不明って書いてある」
栞の手が止まった。
タブレットを置いて、こちらを見る。
「スキルに効果不明って、そんな表示があるの?」
「初めて見た。名前は『以心伝心』だ」
栞がしばらく黙った。
それから、小さく眉を寄せる。
「……使ってみないとわからないわね」
「そうだな。今日潜りながら試してみる」
「何か起きても知らないわよ」
「何か起きたら教えてくれ」
栞が呆れたように息を吐いて、コーヒーに口をつけた。
◇
池袋Bランクダンジョン。
ドローンを起動する。
同接が積み上がり始める。
Aランク撃破の余波はまだ続いていて、最近の同接は以前より一段高い水準で安定していた。
コメント欄が流れる。
『今日も来た』
『昨日のAランク撃破の配信、切り抜きが200万再生超えてたぞ』
『今日は何するんだろ』
『普通に周回じゃない? この人たちそういうとこあるよね』
道中の魔物を薙ぎ倒しながら、階層を下りていく。
前方から、風の魔力を纏ったBランク上位の魔物、ストーム・ウルフの群れとロードが現れた。
やることはいつもと同じだ。
「睡眠」
強烈な睡魔が脳を殴る。
意識が暗い底へ落ちていく。
その瞬間だった。
◇
ドローンの視界が、信じられない異変を捉えた。
前衛の優馬が立ったまま脱力した直後。
後衛で杖を構えていた栞の身体が、突然ぐらりと揺れたのだ。
「え――」
声が出る前に、完全に意識が落ちている。
だが、栞の肉体は倒れなかった。
深藍色のローブの裾が揺れる。
骨杖が持ち上がる。
魔法陣が、まるで透明な糸で操られているかのように、無意識のまま自動で展開され始めた。
ホログラムのコメント欄が、一瞬の静寂の後、爆発したように流れ出す。
『あれ、栞さんも目閉じた?』
『まさか二人同時に寝落ちしてる!?』
『でも動いてる……二人とも動いてる』
『何これ。連動してる』
『栞さんの魔法陣、勝手に展開されてるぞ』
初心者マニア ◆fAnAtIc.Yu
『……これは新しい。また一段、上がったな』
◇
真っ黒な空間。
『ストーム・ウルフ×10 と ストーム・ウルフロード が あらわれた!』
いつものコマンド画面が展開された。
だが今日は、見慣れた空間なのに何かが違う。
カルーンとやり取りした石造りの廊下ではない。
ただ、いつもの黒い空間のはずなのに――隣に、気配があった。
「……なんで私、ここにいるの」
振り向くと、栞が立っていた。
俺の隣で、俺と同じ空間を見渡しながら、完全に困惑した顔をしていた。
「わからん」
「わからんって……あなたの夢よね、ここ」
「たぶん」
「たぶん、ってなに。自分の夢でしょ」
「夢のことは夢に聞いてくれ」
栞が額に手を当てた。
「……とりあえず整理させて。私、今眠ってるの?」
「眠ってると思う。さっき急に落ちてたからな」
「自分の意志じゃないわよ。いきなり眠気が来て――」
「昨夜引いた、以心伝心の効果だと思う」
栞がしばらく俺を見た。
それから、深々とため息をついた。
「……次からは事前に言いなさい」
「さっき言った」
「言ったけど、まさか本当に私まで引き込まれるとは思わなかったのよ」
文句を言いながらも、栞の目はすでに周囲を観察していた。
好奇心が文句より速い。
俺の前に展開されているコマンド画面を見て、栞が首を傾ける。
その視線の先に、もう一つ画面が浮かんでいた。
『たたかう』
『ぼうぎょ』
『スキル』
『あいてむ』
『にげる 消費SP:100』
「……これ、私のコマンド画面?」
「そうみたいだ」
「試していい?」
栞が『スキル』を開く。
新たな階層が展開される。
『バフ』
『デバフ』
『回復』
さらに『バフ』を開く。
『速度アップ 小/中/大/最大』
『攻撃アップ 小/中/大/最大』
『防御アップ 小/中/大/最大』
『瞬間加速付与』
栞の目が止まった。
「……今まで感覚で調整してたものが、全部リストになってる」
声のトーンが変わった。
さっきまでの困惑が消えて、職人が自分の道具を確認する時の目になっている。
短い沈黙。
「悪くないわ」
それだけ言って、栞は画面から顔を上げた。
「作戦を決めましょう。時間はあるの?」
「夢の中の時間感覚はよくわからない。でも現実では動いてると思う」
「じゃあ手短に。最初の一手だけ決める」
栞が画面を見ながら言う。
「あなたが懐に入る前に、私が速度アップの大を乗せる。懐に入ったら、すかさず防御ダウンの大を重ねるわ。それだけ」
「シンプルでいい。それで行く」
俺が『たたかう』を選択する準備をする。
栞がスキルからバフを選び、速度アップの大に意識を合わせた。
「せーので選ぶわよ」
「ああ」
「……せーの」
二人が同時に選択した。
ポン、と軽い電子音が、二つ重なった。
◇
ドローンの視界が、異様な光景を映し続けていた。
二人とも、目を閉じている。
だが――動いている。
ストーム・ウルフの群れが、無防備な二人の死角を突いて一斉に飛びかかってきた、その瞬間。
優馬の肉体が地を蹴るのと、栞の骨杖が持ち上がるのが、完全に同時だった。
栞の魔法陣が展開される。
速度アップの大を受けた優馬の身体が、音より速く床を蹴った。
今までは違った。
栞は優馬の動きを観測して、判断して、魔法を打っていた。
コンマ数秒のズレが、どうしても生まれていた。
今は違う。
優馬が動くのと同時に、すでに栞の魔法がそこにある。
魔物の包囲網が崩れる前に、その中心へ潜り込む。
栞の骨杖が角度を変えた。
防御ダウンの大が、群れの全身に叩き込まれる。
黒淵の紅刃と強化ミスリルナイフによるすり抜け連撃。
一切の言葉も発さず、目を閉じたままの二人が、機械のような精密さで十匹の狼を瞬時に解体していく。
『栞さんのバフのタイミング、今までと違う!』
『優馬が動く前に魔法が置いてある!?』
『予測じゃない……同時だ』
『二人の呼吸が合ってる。文字通り合ってる』
群れを刈り尽くした優馬が、一切の減速なしで奥に構えるストーム・ウルフロードへ肉薄する。
ロードが風の装甲を纏い、迎撃の風刃を放とうとした。
だが、優馬が刃を振りかぶるコンマ一秒前。
栞の骨杖が角度を変え、防御ダウンの大がロードの全身に叩き込まれる。
風の装甲が、紙切れのように剥がれ落ちた。
そこへ、優馬の火炎突きが炸裂する。
黒淵の紅刃が、剥き出しになったロードの魔力核を、炎ごと一閃した。
『ストーム・ウルフロード を たおした!』
陽気なファンファーレ。
『え、終わった?』
『いつもより速くない?』
『というか魔法のタイミングがおかしかった』
『一言も喋ってないのに、二人の動きが完全に噛み合ってたな……』
初心者マニア ◆fAnAtIc.Yu
『……観測から、共有へ進化したか。お前ら、今日の映像は保存しておけ。これが新しい基準になるぞ』
◇
パチリ、と目が開いた。
隣で同時に、栞も目を開いた。
一秒の差もなかった。
栞は自分の手を見下ろして、それから骨杖を確認して、小さく息を吐いた。
「……私、動いてたのね」
「動いてた。魔法のタイミングが完璧だった」
「自分では何も感じなかったわ。意識は夢の中にいたのに、体だけ勝手に」
「俺も同じだ。いつもと変わらない」
「……変わらない、ね」
栞がそう繰り返して、少しだけ遠い目をした。
「でも結果が違った」
「ああ。魔法が同時に乗った」
「そうね。私が夢の中で選択した瞬間に、現実の私の体が動いてた。観測してから判断する時間がなくなった」
栞が骨杖を持ち直して、分析するように続ける。
「今まではあなたの動きを見てからバフを打ってた。どんなに精度を上げても、見てから判断する分のズレがあった。でも夢の中で同時に選択するなら――」
「ズレがなくなる」
「そういうこと」
短い沈黙。
栞がふっと鼻で笑った。
「……あなたの夢に引き込まれるのは癪だけど、まあ悪くはなかったわ」
「次も頼む」
「言い方があるでしょ」
◇
ダンジョンを出ると、午後の光が池袋の雑踏を照らしていた。
栞は歩きながら、タブレットを開いて今の戦闘データを確認していた。
「バフの発動タイミング、平均で0.3秒早くなってる」
「体感でも分かった」
「0.3秒って、戦闘では大きいわよ。Aランク帯の魔物相手なら、その差が生死を分けることもある」
俺は道標の石を収納の中で確認した。
欠片は十個。
残り十個。
石の熱は安定している。
次のボスへのガイドをじっと待っている。
「Aランク試験、以心伝心を使うか?」
「もちろん」
栞が即答した。
「むしろこれなしでAランクに挑む気にはなれないわ。今日一回使っただけで、これが本番向きだってわかった」
「そうだな」
並んで歩く。
栞がタブレットを閉じて、前を向いた。
「一つだけ確認させて」
「何だ」
「夢の中って、いつもあんなに暗いの?」
「ああ。真っ黒だ」
「カルーンが来る時は?」
「石造りの廊下になる。カルーンの夢の空間に繋がってるから」
少しの間があった。
「今日は廊下じゃなかったわね」
「ああ。いつもの黒い空間だった。カルーンじゃなくて栞が来たからな」
「……ふうん」
栞がリビングに戻ってきて、向かいの椅子に腰を下ろした。
コーヒーを二つ持っている。
一つを俺の前に置く。
「Aランク試験、いつ受けるつもり?」
「申請から7日以内。早いほど良いと思う」
「同意。なら明後日あたりに突入しましょう」
「ああ」
コーヒーを一口飲む。
道標の石が、収納の奥でかすかに熱を持っている。
欠片十個。
残り十個。
夢の扉の向こうで、カルーンが待っている。
以心伝心。
効果不明のまま、でも確かに使える。
これを持って、Aランクの試験へ行く。
「眠れそう?」
栞が聞いた。
「ああ。今日は夢に来るかもしれないけど」
「……来たら叩き起こすわよ」
「夢の中でか?」
「夢の中で」
俺は小さく笑って、コーヒーを飲み干した。




