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寝落ちで無双〜理不尽にクビにされた社畜が、睡眠スキルで最強の探索者になった件〜  作者:


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第36話 開きかけた扉と、カルーンからの警告

 夜はまだ明けない。

 なのに、もう明日が来たら面倒どころじゃ済まない気がしていた。


 ……いや、たぶんもう始まってるな。面倒。


 俺はようやく呼吸を整えて、ベッドの端に腰を下ろした。全身にかいた嫌な汗が、寝間着の内側にじっとり張りついている。喉はまだ熱いし、心臓も落ち着ききっていない。


 栞は部屋の入口に立ったまま、少しだけ眉を寄せていた。


「歩ける?」

「歩けるけど、寝たのに全然休めてない」

「それは顔見れば分かる」

「そこまでひどい?」

「かなり」


 ひどいらしい。


 自分でも分かる。身体は起きてるのに、頭の芯だけどこかずれたままだ。まだ夢の中の黒い空気が肺の奥に残ってる感じがする。


「……とりあえず、リビング行く」

「そうして。今は一人にしない方がよさそう」


 さらっと言うけど、たぶんそれは正しい。



 リビングは静かだった。


 テーブルの上の封印袋は、もう光っていない。だが、そこにあるだけで落ち着かない。昨日、新宿地下水道の異常領域で拾った結晶片。夢の欠片そのものじゃないくせに、それに近い気配だけはしっかり持っている、嫌な破片だ。


 俺はソファに腰を下ろした。栞は向かいの椅子へ座る。


「で」

 栞が先に口を開いた。

「何を見たの?」


 ここでごまかす意味はないか。


 俺は額を押さえたまま、言葉を探した。


「黒い空があった」

「空?」

「うん。いつもの夢の空間じゃない。外だった。いや、外っていうのも変だけど……空があって、石畳の道があって、その先に大きい扉があった」

「扉」

「亀裂が入ってた。中から赤い光が漏れてて、なんか……無理やり閉めてる感じの」


 話してるだけで、また喉の奥がひやっとする。


「それで?」

「カルーンがいた」

「……なるほど」


 栞の目が少し細くなった。

「じゃあ完全な悪夢じゃないわね」

「半分くらい悪夢だったけどな」

「残り半分が現実に食い込んでる方が問題なのよ」


 それはその通りだった。


「扉の向こうで何かが動いた。輪郭は見えなかったけど、こっちを見たのは分かった。そのあと、腕みたいなのが伸びてきて」

「そこにカルーンが割り込んだ?」

「たぶん。ちゃんと見えたわけじゃないけど、止められた感じはした」

「……最悪ね」

「うん。俺もそう思う」


 しかも最後にあれだ。


『未確認領域との仮接続を中断しました』

『次回接続までの推定猶予:不明』


 意味が分からない。

 でも、意味が分からないまま放っておいていい表示じゃないのだけは分かる。


「猶予って何だよ……」

 思わずぼやく。

「親切に見えて全然親切じゃないんだけど」

「システムのくせに、変なところだけ不穏ね」


 栞も疲れたみたいに息を吐いた。


 少しの沈黙。


 時計を見る。まだ朝には遠い。今から寝直す気にはなれないし、だからといってこのまま起きていても頭が回らない。


「封印袋、もう一回見てもいい?」

 俺が言うと、栞はすぐ頷いた。

「私もそう思ってた」


 テーブルの上の封印袋に手を伸ばす。直接触るのはまだ嫌だったので、袋越しにそっと指先を当てる。


 冷たい。けど、その冷たさの奥に、妙な揺れがある。石でも魔石でもない。触れてるだけで、向こうから微弱なノックを返されてるみたいな気持ち悪さがあった。


「……これ、やっぱり普通の素材じゃないな」

「今さらそこ?」

「いや、分かってたけど、改めて」

「こっちから見ると、魔力の量自体はそこまで多くないの。なのに形が安定してない。魔石みたいに溜める性質じゃなくて、何かを引っかける方に寄ってる」

「媒介っぽい?」

「そんな感じ」


 媒介。穴。引っかかり。

 嫌な単語ばっかりだ。


 俺は収納の奥にある道標の石へ意識を向けた。すぐ分かる。昨日よりは弱いが、まだ明らかに反応している。近くに結晶片があるせいで、落ち着ききっていない。


「道標もまだ熱持ってる」

「やっぱり共鳴してるのね」

「同じ部屋に置いとくの、あんまりよくないかもな」

「でも今さら離しても、反応そのものは消えない気がする」

「それも分かる」


 最悪の二択だった。


 しばらく考えて、俺はソファの背もたれに頭を預けた。


「……寝たくない」

「でも、寝ないとたぶん何も進まないわよ」

「だろうな」

「今のまま朝まで起きてても、疲れるだけ」

「それもそう」

「だから、次は無防備に眠らない」


 栞が俺を見る。


「あなた、【夢渡り】使えるでしょう」

「……あ」

「そこ忘れてたの?」

「忘れてたっていうか、昨日のが強すぎて、普通に接続する発想が飛んでた」

「しっかりしなさい」


 ごもっともだった。


 そうだ。【夢渡り】がある。

 過去に出会った相手の夢へ、意識を送り込むスキル。カルーンと短時間の意識接触ができる、今の俺が持ってる中ではかなり便利で、かなり変なスキル。


「じゃあ、次はカルーンを指定する」

「ええ。それなら少なくとも“どこに繋ぐつもりか”はこっちで決められる」

「ただ、結晶片がまた割り込んでくるかもな」

「だから見張るのよ」


 栞はあっさり言った。


「短時間だけ。私は起きてる。結晶片は封印袋のまま近くに置く。道標は収納の奥。様子がおかしかったら、すぐ起こす」

「了解」

「本当に?」

「……今回は本当に」

「信用しにくいけど、まあいいわ」



 その夜は、それ以上無理をしなかった。


 封印袋はテーブルの中央から少し離して、金属製の小箱へ入れる。道標の石は収納の奥へ固定。黒淵の紅刃はリビングの壁際へ立てかけたままにした。意味があるかは分からない。でも、何もないよりはましな気がした。


 俺と栞は、そのままリビングで朝を待つことにした。


 ソファで浅く座ったまま目を閉じる時間はあったが、眠りに落ちる気にはなれない。落ちたらまた扉の前に立たされそうで、それが少しだけ怖かった。


 窓の外がじわじわ白んでくる。


 ようやく朝か、と息を吐いたところで、栞が立ち上がった。


「コーヒー淹れる」

「助かる」

「あなたは?」

「……顔洗ってくる」


 洗面所の鏡に映った自分の顔は、思ったよりひどかった。目の下が少し暗い。寝不足というより、変な夢に引きずられた顔だ。


「寝たのに休めてないって、こういう時に使うんだな……」


 ぼやきながら冷たい水で顔を洗う。


 リビングへ戻ると、コーヒーの匂いが広がっていた。

 栞はもう椅子に座って、テーブルの上の小箱を見ている。


「朝になったし、改めて整理しましょう」

「ん」


 俺も向かいに座る。


「まず」

 栞が指を一本立てる。

「結晶片は、夢の欠片そのものじゃない」

「それはたぶんそう」

「でも、夢の欠片や道標に近い“何か”ではある。昨日みたいな反応が出た以上、無関係とは言えない」

「うん」

「二つ目。あなたの睡眠と明確に連動した」

「それも確定だな」

「三つ目。昨夜の接触は偶然じゃない可能性が高い」


 そこまで言って、栞は小箱から視線を上げた。


「つまり、放っておいて解決する段階は、たぶん終わった」


 分かってはいたけど、改めて言われると重い。


「……だよな」

「ええ」


 そこで栞はカップを置いた。


「問題は、このあとどうするか」

「もう一回繋ぐ」

 俺は即答した。

「今度は【夢渡り】でカルーンを指定する」

「そう来ると思ってた」

「他に手がないだろ」

「ないわね」


 栞はあっさり認めた。


「ただし条件がある」

「何?」

「私が見張る。結晶片は封印袋のまま近くに置く。道標は収納の奥。何か少しでも様子がおかしかったら、すぐ起こす」

「了解」

「本当に?」

「……今回は本当に」

「信用しにくいけど、まあいいわ」


 そうして、俺たちは朝の光がきちんと部屋へ回るのを待ってから、二度目の接続を試す準備に入った。


 嫌な予感は、相変わらず消えない。

 でも、昨夜みたいにいきなり知らない扉の前に放り出されるよりは、まだましだ。


 ソファに横になる。

 テーブルの上には封印袋の入った小箱。栞は向かいの椅子に座り、完全に起きた目でこっちを見ていた。


「優馬」

「ん?」

「本当に無理だと思ったら、起きなさい」

「分かった」

「できる範囲で、じゃなくて」

「……分かったって」


 最後に小さく息を吐く。


 正直、落ちたくない。

 でも、落ちないと進まない。


 目を閉じて、意識の底に沈んでいるスキルの輪郭を探る。


 睡眠。

 そのさらに奥。

 夢の中で、出会った相手へ手を伸ばす感覚。


「【夢渡り】」


 名前を呼ぶように、カルーンを思い浮かべる。


 落ちた。



 今回は、最初から感触が違った。


 昨夜みたいな、どこかへ引きずり込まれる感じがない。

 狙った相手へ向かって、細い糸を辿っていくような感覚。


 目を開けると、そこは薄暗い石造りの廊下だった。高い天井。火の灯っていない燭台。窓もないのに、どこか青白い光でぼんやり照らされた、静かな通路。


 黒い空も、扉も、今は見えない。


「……昨日よりは、だいぶましか」


 そう呟いた時、廊下の奥から乾いた足音が響いた。


 コツ、コツ、と一定の速さで近づいてくる。


 見えた姿に、俺は小さく息を吐いた。


「……カルーン」


 深い紺の上着。腰の短刀。こめかみの鎖飾り。

 夢の世界の住人は、昨日よりも明らかに硬い顔でこちらを見ていた。


「来たか」

「来たか、じゃないだろ」

 思わず言い返す。

「こっちは起きてからずっと落ち着かないんだけど」

「それはそうだろうな」

「否定しないのかよ」

「できる理由がない」


 カルーンは俺の前で足を止めた。

 珍しく、余裕がない。


「優馬」

 低い声で、はっきり言う。


「次にあの扉へ近づけば、今度は見るだけじゃ済まない」

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