4/3 概念の消失
ホカロンの靴下が、ない。
昨夜まで、たしかにあった。洗濯物を干すとき、あの分厚くて、少し野暮ったい、しかし冬に対して異様なまでに誠実な靴下を手に取った記憶がある。あれは夢ではない。なぜなら、そのとき私はホカロンの暖かさに普通の靴下への回帰は不可能であると、少しだけ人生の不可逆性について考えたからだ。
それが、今朝になって消えた。
靴下というものは、なぜこうも簡単に世界から離脱するのだろう。片方だけ残ることもあれば、概念ごと消えることもある。ホカロンの靴下は後者だった。痕跡すらない。まるで、役目を終えた英雄のように、何も言わずに去っていった。
考えてみれば、あの靴下は働き者だった。寒さに対して文句も言わず、足首からつま先までを過剰なほどに温め、私の冬を無言で支えていた。見た目は決しておしゃれではない。むしろそれで外に出るのかと問われかねない風貌だった。しかし、真の実力者とは往々にしてそういうものだ。
いなくなってから気づく。
朝の床が、冷たい。
ブーツの中が、心許ない。
私は今、薄手の靴下でこの世界と対峙している。敗色濃厚である。
そのうち、ひょっこり出てくるかもしれない。ソファの下とか、洗濯ネットの奥とか、あるいは全く関係のない引き出しから。しかし、もう戻らない可能性も、同じくらい高い。そのどちらであっても、私はきっと少しだけ反省し、そして次の冬にまた同じ靴下を買うのだろう。
人は失ってから学ぶ。
ホカロンの靴下一足分だけ、私は今日、少し賢くなった。




