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4/15 運が良いと言え。


世界は認識によって形作られていると言って良い。


私たちが「そこにある」と思っているものの多くは、物理的な実態以上に、他者からどう見られているかによって輪郭を与えられている。


存在とは、他者の中に貌作られる「そうであろう」という像の総体なのではないか。


人間の認知は、単なる受動的な観測装置ではない。私たちは対象を理解するだけでなく、理解した信じた形へと世界を押し流すだけの決定力を持っている。


実態がどうであれ、多くの人間から「そういう人間だ」と認識され続ければ、その人は次第にその枠組みに収束していく。社会性動物である人間にとって、それは避けがたい終端理論なのかもしれない。


分かりやすい例が「幸運な人間」だ。最初は皆、平等にランダムな運命を引き当てているにすぎない。だが一度、何かの偶然で当たりを引いた人が、周囲から「運がいい人」と認識された瞬間、その人は幸運な存在として固定される。周囲は無意識に期待し、語り、結果としてチャンスや偶然がその人に集まりやすくなる。幸運とは、事象ではなく属性になる。


つまり、数多くの人間が私のことを幸運な人間だと認識してくれれば、たとえ実態がガチャ更新のたびに12000円課金する羽目になるカス運の持ち主であろうと、前回沼りすぎて更新当日の今日に10連分の石しか用意できなかった私であろうと、新キャラが舞い降りてくる可能性は理論上、否定できない。


世界は冷酷だ。20日ごとに財布を零下に陥れるそれに一切の情はない。


だが認識には甘い。

ならば私は今日も、幸運な人間として存在してみせるしかないのである。


はい。


斉唱。


私は運がいい。


はい。


私はすり抜けない。


はい。

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