7.3 蒼木家の食卓
「ただいま」
帰宅なう。午後7時なう。ジョグやらチャリ通やらで軽く汗かいたから、さっさとフロに入ろう。全国の高校生諸君がどうかは知らないが、オレは帰ったらメシより先にフロに入る派だ。
「おかえり正文。お風呂沸いてるよー」
おそらく台所で晩ごはんの支度をしてくれているであろう母さんの声が届く。匂いから察するに、今日は肉野菜炒めかな? 上手くコショウが効いてて美味しいんだよね。
「サンキュー」
台所まで届くように声を張ってお礼を伝える。「母さんは当たり前のように家事をしてくれてるけど、そういう当たり前に感謝しなさい」って父さんからしつこく言われてきたからな。その父さんは、仕事の都合で休日しか帰ってこないから今はいないけど。
まあ、とりあえずシャワー浴びよっと。
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基本的にフロは嫌いじゃない。一日の汗をシャワーで軽く流し、メントール入りのシャンプーで髪を洗い、これまたメントール入りのボディーソープで体を洗う。泡をシャワーで流した後の爽快感は実に気持ちがいい。スースーする。
でも、オレが心の底から入浴大好き! って思える日は絶対に来ない。
理由はオレの左手。いつも手袋を着けて、その中が見えないようにしている。しかし入浴時までそうする訳にはいかない。文字通り常に着用したまま、というのは衛生的に問題がある。
そうなると左手を洗うために、手袋を外す必要があるわけで。
「……クソが……!」
見たくもない手袋の中身が、嫌でも視界に入ってくる。そのたびに思い起こされるのは、あの出来事と黒い感情。
やっぱり、どうしてもフロは好きになれないな。
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フロから上がりバスタオルで体をふき、左手に手袋を着け、部屋着のジャージに着替える。髪を乾かす必要はない。坊主だもん。ドライヤーいらずなのが、数少ない坊主頭のメリットだ。
脱衣場を出ていざ食卓へ。オレの予想とは違い、テーブルの上にはアジの塩焼きときんぴらごぼう、ごはん&納豆&味噌汁。和風だね。どこにも肉野菜炒めの要素が見当たらない。オレの嗅覚は大丈夫か……?
「さ、食べよっ」
母さんの催促に従い、オレと母さんは四人掛けの机に、互いに向かい合って座る。家族全員が揃った時には、オレの隣には兄貴、母さんの隣には父さんが座る。が、今は二人きりだ。父さんが平日に居ないのは今に始まったことじゃないから慣れてるが、兄貴は今年の春から大学生として関東で独り暮らしを始めたから、隣に誰も居ないのは少し寂しい。
「「いただきます」」
うん、このアジうまい。というか、母さんの料理は基本的においしい。他の家事もちゃんとやってくれるし、我が母ながら出来た母さんだと思う。少しワガママなのと、どこかオレを子供扱いするところと、精神年齢が低めなことを除いて。
で、その母さんがさっきからこっちを見ながらニヤニヤしてんだけど。ちょっと気味悪い。
「どしたの」
その言葉を待っていたといった様子の母さん。
「さっきトキヤのお母さんと電話してたんだけどね〜」
相変わらずニマニマ笑いながら、もったいぶるように語尾を伸ばしている。いちいちめんどくさいってのもあったな、母さんの欠点。てかトキヤって誰だっけ……ああ、兄貴の友達で鳳嶺の硬式野球部だった彼ね。会ったことはないけど、兄貴がよく話題にしてた。いつの間にか母親同士でも交流があったみたい。
「正文、夢花ちゃんと友達になったんだって?」
夢花? ゆめか……ユメカ……思い出した、八神の下の名前だ。何だ、夢花って八神のことか。
……って、なんですと? はあ? あいつと友達? いやいやいやご冗談を。というか、どっからそんなガセネタ仕入れてきやがった。あと、トキヤのお母さん関係あるの?
「何で八神のこと知ってんの。どういう繋がり?」
「あれよ、トキヤと夢花ちゃんは兄妹なの」
なんとまあ。世間って狭いね。トキヤの名字は知らなかったから気付かなかった。
「トキヤのお母さん、とっても喜んでたよ。『夢花が嬉しそうに蒼木君のことを話すのよ〜』とか『蒼木君のお陰で積極的になれたって言ってたわ〜』とかって。これからもよろしくしてあげてねって言われちゃった。うふふ」
そう言う母さんもなんだか嬉しそう。オレは全く嬉しくないんだけど。八神のお母さんには悪いが、よろしくしたくない。
あと『積極的になれた』って何だよ。まさか学級会で「トイレに行っても(以下略)」って発言したアレのことか? クラスの皆の前でも怖じ気づくことなく話せるのは積極的と言えるだろうが、アレはそれ以前の問題だ。常識を身に付けてから言え。
「別に友達じゃねえから。色々あって話し掛けただけ」
本当にそれだけ。他意はない。仲良くなんてしたくない。お断り。
「もう、照れちゃって」
そう言いながら母さんはオレのおでこをツンツンつついてくる。母さん最大の欠点、たびたびオレをおちょくってイラつかせる。
「だぁー! 触るな! ちげえから!」
「はいはい、そういうことにしておきましょ」
なんだよそういうことって。まるでオレが嘘ついてるみたいじゃん。普通に違うから。この勘違い野郎め。女だから野郎じゃないけど。にやけ顔やめろ。ほっぺつねるぞ。全力で。
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マイルーム。ベッドに寝転がりながら、この春に買ってもらったばかりの携帯電話とにらめっこ。勉強なんてしません。めんどいから。仮にめんどくさく無いにしても、今はそれどころじゃない。八神からもらったアドレスの対処法を考えなくては。
別にメール送らなくてもいいんじゃね? とか思っていたけど、八神のお母さん直々によろしくお願いされた手前、ぞんざいにするのも気が引ける。それに、もしメールしなかったら学校で「どうして送ってくれないの!」とか八神に叫ばれそう。それは困る。
でもなあ……あまりあいつと関わりたくないし。見た目があのクズ教師を彷彿とさせるし。仮に好かれているならお断りだし。眠いし。
はあ、しょうがねえ。メールするか。メールはするけど、学校では出来るだけ関わらない。これしかない。これしか最善策が浮かばん。てか眠い。
『蒼木ですヨロシク』とだけ打ち込んで八神にメールを送り、返信を待たずに携帯の電源を切る。あーあ、送っちゃった。もうどうでもいいや。それより眠い。寝よ。おやすみ。
――って明日から応援歌練習じゃん! 忘れてた! 慌てて跳ね起きる。眠気なんか掛け布団と一緒に吹っ飛んだ。やべえやべえ、歌詞覚えないと。じゃないと明日、とんでもないことになっちゃう。覚えたってとんでもないことになりそうだけど。
そのあとの約30分を暗記に費やし、歌詞をあらかた覚えたオレは一抹以上の不安を抱きつつ眠りに就いた。……今日ってまだ月曜日なんだよな。こんなんで今週乗り切れるかな……




