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包丁2本で異世界転移した少女は、今日も敵を許さない  作者: 和泉發仙


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第8話 焼け跡に残されたもの

包丁二本で異世界転移!


第一章 森の向こうの世界


第8話 焼け跡に残されたもの


 森の中に、焦げた匂いが漂っていた。


 黒く焼けた木材。


 崩れ落ちた住居。


 踏み荒らされた地面。


 昨日までゴブリンたちが暮らしていた集落は、見る影もなくなっていた。


 その焼け跡を、一匹の小さなカエルが跳ねていた。


 黒瀬莉央、十六歳。


 数日前まで、日本の高校に通っていた少女である。


 今は、手のひらに収まるほどのカエルだった。


「……クソッ」


 声を出したつもりだった。


 しかし、口から漏れたのは短い鳴き声だけだった。


「ケロッ」


(……ちきしょう!)


 莉央は、前脚で地面を叩いた。


 ぺちっ。


 何とも情けない音がした。


(……何なんだよ、この身体!)


 怒鳴ろうにも怒鳴れない。


 拳を握ろうにも、指がない。


 包丁を持とうにも、前脚ではつかめない。


 例の《恐怖のルーレット》が与えた能力。


 《カエル化》。


 その結果が、これだった。


 だが、今の莉央にとって、そんなことはどうでもよかった。


 目の前に、動かなくなった小さな身体があったからだ。


     * * *


 焼けた住居の陰。


 そこに、一匹のゴブリンが倒れていた。


 小柄な身体。


 尖った耳。


 擦り切れた腰布。


 そして、いつも腰に差していた短剣。


 莉央は、ゆっくりと近づいた。


 ぴょん。


 ぴょん。


 いつもなら、一歩で済む距離だった。


 だが、今は何度も跳ねなければならない。


(……おい)


 莉央は、ゴブリンの顔を覗き込んだ。


(……起きろよ)


 返事はなかった。


 昨日まで、何度も聞いた声。


「ギャ♪」


「ギャギャ!」


 あの陽気な声は、もう聞こえない。


(……なあ)


 莉央は、ゴブリンの頬へ前脚を伸ばした。


 ぺたっ。


 冷たかった。


(……ふざけんなよ)


 何度も助けてもらった。


 食べ物を分けてもらった。


 包丁の扱いを教えてもらった。


 自分がゴブリンの姿になっていたとき、誰よりも親しくしてくれた。


 そして昨日。


 人間たちが集落を襲ったときも、彼は逃げ遅れた子供たちを守ろうとしていた。


(……何で、お前が死ぬんだよ)


 莉央は、動かない身体の隣に座り込んだ。


 涙が出ているのかどうかも、よく分からなかった。


 カエルの顔では、表情さえ思うように作れない。


 それでも、胸の奥が痛かった。


(……クソッ)


 小さな身体が震えた。


(……クソッ……!)


 何度悪態をついても、何も変わらなかった。


     * * *


 どれほど時間が過ぎたのだろう。


 莉央は、焼け跡に残された荷物の方へ顔を向けた。


 自分の鞄だった。


 人間だった頃に使っていた通学鞄。


 制服も、靴も、スマートフォンも、財布も。


 そして、二本の包丁も。


 今はすべて、あの鞄の中や周囲に残されている。


(……あそこまで行くか)


 莉央は、跳ねた。


 ぴょん。


 ぴょん。


 ぴょん。


 ようやく鞄の前にたどり着く。


 だが。


(……高っ!)


 鞄の口は、カエルの莉央にとって崖のような高さだった。


 何度か跳ねてみる。


 一度目。


 届かない。


 二度目。


 鞄の側面にぶつかった。


 三度目。


 どうにか縁へ前脚がかかった。


(……よしっ!)


 莉央は、身体を引き上げた。


 そして、鞄の中を覗き込む。


 スマートフォン。


 財布。


 ハンカチ。


 筆箱。


 それから、布に包んだ包丁。


(……全部ある)


 少しだけ安心した。


 だが、すぐに気づく。


(……持てねえじゃん)


 当たり前だった。


 カエルの身体で、人間用の鞄を背負えるわけがない。


 スマートフォンを操作することも難しい。


 包丁に至っては、持ち上げることさえできなかった。


(……何のための包丁二本だよ!)


 莉央は、鞄の縁に前脚を叩きつけた。


 ぺちっ。


(……ちきしょう!)


 だが、ここで荷物を捨てるわけにもいかなかった。


 日本から持ってきた、数少ないものだったからだ。


 莉央は、しばらく考えた。


 そして、鞄の口を覆う布の下へ潜り込んだ。


(……とりあえず、ここに置いとくしかねえか)


 人間に戻れれば、また使える。


 いつ戻れるのかは分からない。


 それでも、今はそう考えるしかなかった。


     * * *


 夕方。


 森の空気が冷たくなってきた。


 莉央は、鞄の中から顔を出した。


 焼け跡には、もう誰もいなかった。


 生き残ったゴブリンたちは、森の奥へ逃げたのだろう。


 人間たちも、すでに姿を消している。


 残されたのは、死者と灰だけだった。


(……どうすんだよ、これから)


 莉央は、空を見上げた。


 木々の間を、鳥が飛んでいった。


 その影が地面を横切った瞬間、莉央は反射的に鞄の奥へ引っ込んだ。


(……っ!)


 心臓が跳ね上がる。


(……あぶねえ!)


 人間だった頃なら、気にも留めなかった鳥。


 しかし今は違う。


 小さなカエルなど、鳥にとっては餌でしかない。


 蛇もいるだろう。


 大きなトカゲもいるかもしれない。


 獣に踏まれる可能性だってある。


(……冗談じゃねえぞ)


 莉央は、鞄の隙間から外を覗いた。


 焼け跡の向こうには、暗い森が広がっている。


(……こんな場所で、どうやって生きろってんだよ)


 そのときだった。


 ――ポーン♪


(……ん?)


 聞き覚えのある音が響いた。


 莉央の目の前に、半透明の文字が現れる。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 【SYSTEM】


 現在の変身状態


 《カエル化》


 残り時間:9日と23時間


 ※変身中は元の身体能力および

  一部の装備使用が制限されます。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


(……は?)


 莉央は、文字を凝視した。


(……九日?)


 もう一度読む。


 九日と二十三時間。


(……ちょっと待て)


 頭の中で、数字を数える。


 一日。


 二日。


 三日。


 そして。


(……十日間!?)


「ケロォッ!!」


 焼け跡に、カエルの鳴き声が響いた。


(ふざけんなああああっ!!)


 莉央は、鞄の中で暴れた。


 だが、小さな身体では何も動かせない。


(十日もカエルでいろってのかよ!!)


 答えはなかった。


 例のルーレットは、いつもそうだった。


 勝手に現れ。


 勝手に能力を決め。


 勝手に消えていく。


(……クソッ!)


 莉央は、鞄の底へ沈み込んだ。


 そして、しばらく動かなかった。


     * * *


 夜が近づくにつれ、森の音が変わり始めた。


 昼間の鳥の声が消え、代わりに虫の鳴き声が響く。


 遠くから、獣の唸り声が聞こえた。


 風が吹くたび、焼け残った木材が軋んだ。


 莉央は、鞄の中で身体を縮めていた。


(……寒い)


 カエルの身体は、人間とは違う。


 湿り気が必要なのか、乾いた布の上に長くいると落ち着かなかった。


 それでも、外へ出る勇気はなかった。


(……寝られるかよ、こんなの)


 そのとき。


 ――サァ……。


 鞄の外で、何かが動いた。


(……っ!?)


 莉央は、身体を硬くした。


 風ではない。


 何かが、すぐ近くにいる。


(……何だ?)


 恐る恐る、鞄の口から顔を出す。


 焼け跡には、青白い光が漂っていた。


 最初は、月明かりかと思った。


 だが、違う。


 光は、ゆっくりと形を変えていた。


 小さな頭。


 尖った耳。


 細い腕。


 そして、見覚えのある顔。


(…………)


 莉央は、息を呑んだ。


 そこにいたのは。


 昼間、土の上で動かなくなっていたはずのゴブリンだった。


「……ギャ?」


(……え?)


 莉央は、目を見開いた。


 ゴブリンの身体は半透明だった。


 向こう側の木々が透けて見える。


 足は地面から少し浮いていた。


(……お前?)


「ギャ♪」


 聞き慣れた声だった。


 昨日まで、何度も聞いた声。


 莉央は、鞄から飛び出した。


 ぴょん!


 そして、ゴブリンへ向かって跳ねた。


(……お前!!)


 だが。


 身体は、すり抜けた。


 莉央は、そのまま地面へ着地した。


(……あ)


 振り返る。


 ゴブリンは、そこにいた。


 嬉しそうに笑っている。


 しかし、触れることはできなかった。


(……そっか)


 莉央は、ゆっくりと前脚を下ろした。


(……幽霊、か)


 ゴブリンは、首を傾げた。


「ギャ?」


(……馬鹿)


 莉央は、小さく呟いた。


(……死んでも、まだ来るのかよ)


 ゴブリンは、笑った。


「ギャギャ♪」


 その笑顔を見た瞬間。


 莉央は、もう何も言えなくなった。


     * * *


 ――ポーン♪


 再び、音が響いた。


 莉央の目の前に文字が浮かぶ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 【SYSTEM】


 抽選結果が確定しました。


 獲得能力:


 《霊寄せ》


 周囲に存在する霊的存在を

 感知・誘引する能力です。


 ※霊的存在の意思を

  支配するものではありません。


 ※能力は継続して保持されます。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


(……霊寄せ?)


 莉央は、文字を見つめた。


 そして、目の前のゴブリンへ視線を戻す。


(……お前が見えるの、これのおかげか?)


「ギャ?」


(……まあ、いいや)


 莉央は、少しだけ笑った。


(……何でもいい)


 触れることはできない。


 抱きしめることもできない。


 それでも、もう一度会えた。


 今は、それだけで十分だった。


 ゴブリンは、莉央の前にしゃがみ込んだ。


 そして、小さな手を差し出した。


 莉央も、前脚を伸ばした。


 互いの手は、触れ合わなかった。


 だが、二人はしばらく、そのままでいた。


     * * *


 夜が更けた。


 森の奥から、何かの遠吠えが聞こえた。


 莉央は、反射的に身を縮めた。


(……っ!)


 ゴブリンが、すぐに周囲を見渡す。


「ギャ……」


(……なあ)


 莉央は、彼を見上げた。


(……ここ、危ねえよな)


 ゴブリンは、森の方へ顔を向けた。


 しばらくして、小さく頷いた。


「ギャ」


(……だよな)


 莉央は、焼け跡を見渡した。


 もう、ここには住めない。


 食べ物もない。


 安全な寝床もない。


 そして、自分は十日間もカエルのままだ。


(……ちきしょう)


 莉央は、空を見上げた。


 木々の向こうに、星が見えた。


(……どうすっかな)


 しばらく考える。


 森の中には、鳥がいる。


 蛇もいる。


 大きな獣もいる。


 魔物だっているかもしれない。


 そんな場所で、小さなカエルが十日間も生き延びられるのだろうか。


(……無理だろ)


 莉央は、前脚を地面についた。


(……絶対、無理)


 そのとき。


 ふと、一つの考えが浮かんだ。


(……待てよ)


 人間の街。


 あの襲撃者たちが暮らしているような場所。


 そこなら、少なくとも森の中ほど大型の獣はいないはずだ。


 建物もある。


 水場もある。


 食べ物もある。


 雨風をしのげる場所も、探せるかもしれない。


(……街)


 莉央は、顔を上げた。


(……そうだ)


 もちろん、人間が安全とは限らない。


 昨日のことを思い出せば、むしろ警戒すべき相手だった。


 だが、今の莉央はカエルだ。


 人間の姿で正面から歩いていく必要はない。


 小さな隙間に隠れることもできる。


 人間の目につかない場所を移動することもできる。


(……いや)


 莉央は、すぐに首を振った。


(……そんな簡単じゃねえか)


 街に着くまでに、鳥に食われるかもしれない。


 道が分からず迷うかもしれない。


 そもそも、どこに街があるのかも知らない。


 それでも。


 ここに留まるよりは、ずっとましだった。


(……よし)


 莉央は、ゴブリンを見上げた。


(……お前)


「ギャ?」


(……一緒に来るか?)


 言葉は通じない。


 カエルの口からは、まともな声さえ出ない。


 それでも、莉央は森の向こうを前脚で示した。


 そして、もう一度ゴブリンを見た。


「ケロ」


 ゴブリンは、しばらく莉央を見つめていた。


 やがて。


「ギャギャ♪」


 嬉しそうに笑った。


 莉央も、小さく頷いた。


(……決まりだな)


 焼け跡に残された通学鞄を振り返る。


 二本の包丁。


 制服。


 スマートフォン。


 日本から持ってきたもの。


 今は、持っていくことができない。


(……ごめん)


 莉央は、鞄を見つめた。


(……いつか、取りに来るから)


 そして、もう一度ゴブリンへ向き直った。


(……行くぞ)


「ギャ!」


 二人は、森の方へ進み始めた。


 小さなカエル。


 そして、小さなゴブリンの幽霊。


 どちらも、まともに武器を持てない。


 どちらも、人間の街では歓迎されそうにない。


 それでも、二人は歩き出した。


 いや。


 一匹は跳ね。


 もう一匹は、ふわふわと浮かびながら。


 夜の森へ入っていった。


 黒瀬莉央、十六歳。


 異世界転移から数日。


 彼女は、まだ知らない。


 この忌々しいカエルの身体が、後に人間たちの隠した秘密を覗き見るための、大きな武器になるということを。


 今の彼女にあるのは、ただ一つの願いだけだった。


(……頼むから)


 莉央は、暗い森を見つめた。


(……鳥にも蛇にも食われずに、街まで行かせてくれよ!)


 その願いを聞き届ける者がいるのかどうかは、分からなかった。



――第8話・完――


次のエピソードは…

カエルの姿で森を進む莉央と、幽霊になった小さなゴブリン。人間なら気にも留めない段差や水たまりが、今の莉央には大きな障害となる。そして森の上空では、獲物を探す鳥が旋回していた。二人は無事に街道へたどり着けるのか――。

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