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包丁2本で異世界転移した少女は、今日も敵を許さない  作者: 和泉發仙


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第7話 小さな命の戦場



第一章 森の向こうの世界


第7話 小さな命の戦場


 最初に飛んできたのは、一本の矢だった。


 ――ヒュッ!


 森の木々を縫うように放たれた矢は、集落の入口に積まれていた薪の束へ突き刺さった。


 乾いた木片が弾け、近くにいたゴブリンが悲鳴を上げる。


「ギャアッ!」


「前へ出すぎるな!」


 人間の男が叫んだ。


 革鎧を着た若い剣士だった。


 その後ろには、槍を構えた男たちと、弓を持った冒険者が続いている。


 森の南にある村からやって来た討伐隊。


 その数は八人。


 装備は決して立派ではなかった。革鎧には継ぎ当てがあり、槍の穂先も使い込まれている。村の自警団員たちに至っては、農作業用の厚手の服に革の胸当てを重ねただけだった。


 それでも、ゴブリンたちの装備とは比べものにならなかった。


 鉄の剣。


 鋼の穂先を持つ槍。


 弓と矢。


 そして、集団で戦うための最低限の訓練。


 相手が小柄な魔物である以上、十分な戦力だと考えられていた。


「……おいおいおい」


 黒瀬莉央は、集落の中央に立ち尽くしていた。


 右手には包丁。


 左手には、何も持っていない。


 二本目は鞄の中だった。


 ゴブリンの身体には、一本持つだけでも重すぎる。二本同時に振り回すなど、今の莉央には到底できなかった。


「……マジで来やがった」


 人間たちの姿を見た途端、心臓が激しく鳴り始めた。


 昨日までの稽古とは違う。


 目の前の男たちは、棒を持って遊びに来たわけではない。


 殺すために来たのだ。


 その事実が、遅れて莉央の身体に染み込んでいった。


     * * *


「囲まれるな! 入口を押さえろ!」


 年配の自警団員が声を張り上げた。


 男たちは森を背にして横へ広がった。


 しかし、集落の入口は狭い。


 倒木と岩に挟まれた通路を抜けなければ、住居の並ぶ中央部へは進めなかった。


 ゴブリンたちは、その地形をよく知っていた。


「ギャアアッ!」


 先頭に立った大柄なゴブリンが、木の槍を突き出した。


 人間の剣士が盾で受け止める。


 ――ガンッ!


 鈍い音が響いた。


 別のゴブリンが横から石を投げつける。


「うおっ!」


 石は自警団員の肩に当たった。


 男がよろめく。


 そこへ、二匹のゴブリンが飛びかかった。


「くそっ!」


 槍を持った男が慌てて穂先を向ける。


 ゴブリンたちはすぐに後退した。


 彼らは決して、無秩序に突っ込んでいるわけではなかった。


 狭い場所を利用し、複数で相手を牽制する。


 石を投げ、槍で突き、危険になれば退く。


 森で獣を狩るときと同じように、集団で相手を追い詰めようとしていた。


 だが、人間たちも簡単には崩れなかった。


「弓! 右の奴を狙え!」


 剣士が叫ぶ。


 ――ヒュッ!


 放たれた矢が、石を投げていたゴブリンの肩を貫いた。


「ギャアアッ!!」


 ゴブリンが倒れる。


 仲間が駆け寄ろうとした瞬間、もう一本の矢が飛んできた。


 ――ドスッ!


 今度は地面に突き刺さった。


 ゴブリンたちは足を止めた。


 その隙に、人間たちが入口へ踏み込んだ。


「押せ!」


 盾を持った男が前進する。


 ゴブリンの木槍が盾に当たり、穂先の石片が砕けた。


「ギャッ!?」


 次の瞬間、男の剣が振り下ろされた。


 ――ザシュッ!


 ゴブリンの胸元から血が飛んだ。


 小さな身体が地面へ崩れ落ちる。


「…………」


 莉央は、その光景を見ていた。


 つい先ほどまで、同じ集落にいたゴブリンだった。


 朝、薪を運んでいた。


 昨日は焚き火のそばで肉を食べていた。


 名前も知らない。


 言葉も分からない。


 それでも、見覚えのある顔だった。


「……え?」


 莉央の口から、間の抜けた声が漏れた。


 倒れたゴブリンは、動かなかった。


「……ちょっと」


 血が、地面に広がっていく。


「……おい」


 誰も答えなかった。


     * * *


 戦いが始まってから、まだ数分も経っていなかった。


 それなのに、集落はすでに混乱していた。


 子供たちは住居の奥へ押し込まれ、年老いたゴブリンたちが入口を塞ぐように木の板を立てかけている。


 負傷したゴブリンが運び込まれ、焚き火のそばでは薬草を潰す音が響いていた。


 昨日まで食事をしていた場所が、今は負傷者を寝かせる場所になっている。


 莉央は、その光景を呆然と見つめていた。


「……何だよ、これ」


 目の前で、また金属音が響く。


 ――ガキィン!


 小柄なゴブリンが、莉央の前に飛び出した。


 いつもの短剣を握っている。


「ギャッ!」


「……お前!」


 彼は莉央の肩を押し、住居の方を指さした。


「ギャギャ!」


「……隠れろって?」


「ギャ!」


 莉央は首を横に振った。


「嫌だ!」


 ゴブリンが何かを叫ぶ。


「ギャギャアッ!」


「だから嫌だって言ってんだろ!」


 莉央は包丁を握り直した。


 手のひらが汗で滑る。


 小柄なゴブリンは、そんな莉央を見つめた。


 そして、短剣を構えた。


 その目には、いつもの陽気さがなかった。


 森の中で生きてきた者の、鋭い警戒心だけがあった。


     * * *


「右から回れ!」


 人間の剣士が叫んだ。


 槍を持った男が、住居の脇へ回り込む。


 そこには、木の枝で作られた低い柵があった。


 男は槍の柄で柵を押し倒した。


 ――バキッ!


 乾いた音が響く。


「ギャアッ!」


 近くにいたゴブリンが飛びかかった。


 男は槍を突き出す。


 ゴブリンは身を捻って避けたが、肩をかすめられた。


 そのまま地面を転がる。


 男が追いかけようとした。


 その瞬間。


「……やめろ!」


 莉央が飛び出した。


 包丁を両手で握り、男の前へ立ちはだかる。


「……あ?」


 男は目を見開いた。


「何だ、この小さいのは?」


「……てめえ!」


 莉央は包丁を振り上げた。


 男の腕を狙ったつもりだった。


 だが、刃は届かなかった。


 身長が違いすぎる。


 莉央の腕は短く、男の身体は遥か上にある。


「……え?」


 男は、軽く槍を引いた。


 そして、柄の部分で莉央を突き飛ばした。


 ――ドンッ!


「ぐえっ!」


 小さな身体が後ろへ飛んだ。


 莉央は地面を転がり、木の根に背中をぶつけた。


「……っ!!」


 息が詰まる。


 肺の中の空気が、一気に押し出された。


 目の前が白くなる。


 男は、莉央を見下ろした。


「武器を持ったゴブリンか」


 槍の穂先が向けられる。


「……ひっ」


 莉央は反射的に後ずさった。


 だが、背中には木の根がある。


 逃げ場がない。


 そのとき。


 ――ガキンッ!


 小柄なゴブリンが横から飛び込み、槍の穂先を短剣で弾いた。


「ギャアッ!」


「くそっ!」


 男が振り返る。


 ゴブリンは莉央の腕をつかみ、強引に引き起こした。


「……お前」


「ギャ!」


 今度こそ、逃げろ。


 そう言っているのだと分かった。


 莉央は歯を食いしばった。


 悔しかった。


 自分が、何の役にも立っていない。


 それどころか、助けられてばかりいる。


「……クソッ!」


 莉央は走り出した。


 背後で、再び金属音が響いた。


     * * *


 集落の奥へ逃げ込んだ莉央は、小屋の壁に背中を預けた。


「はあ……はあ……」


 息が苦しい。


 手が震えている。


 包丁の刃には、血がついていなかった。


 一度も相手に届いていない。


「……何なんだよ」


 莉央は、包丁を見つめた。


「……何なんだよ、これ!」


 腹の底から、怒りが込み上げてきた。


 人間たちに対する怒り。


 ゴブリンになってしまったことへの怒り。


 そして、何もできない自分自身への怒り。


「……ふざけんな」


 涙が滲んだ。


「……私だって、やれると思ったのに」


 稽古では、少しずつ上達していた。


 棒を受け止められるようになった。


 相手の動きを見て、避けることも覚えた。


 だから、少しくらい戦えると思っていた。


 だが、実際の戦場では違った。


 相手は待ってくれない。


 失敗しても、笑ってくれない。


 転んだら、そこで終わりかもしれない。


 そして、何より。


 自分より遥かに大きな人間を相手にすることが、こんなにも恐ろしいとは思わなかった。


「……クソッ」


 莉央は、袖で目元を拭った。


 そのとき。


 ――ドォンッ!


 大きな音が響いた。


「……っ!?」


 小屋の外へ顔を出す。


 集落の入口にあった木の柵が、倒れていた。


 人間たちが、ついに中央部へ踏み込んできたのだ。


「進め!」


 剣士の声が響く。


 ゴブリンたちが応戦する。


 だが、すでに何匹も倒れていた。


 負傷した仲間を引きずって後退する者。


 子供を抱えて逃げる者。


 住居の入口に立ち、槍を構える者。


 集落全体が、逃げ場を失いつつあった。


「…………」


 莉央は、立ち上がった。


 足が震えている。


 それでも、歩き出した。


     * * *


 小柄なゴブリンは、集落の中央で戦っていた。


 相手は、あの若い剣士だった。


 剣士は盾を構え、短剣を持つゴブリンを追い詰めている。


「ちょこまかと!」


 剣が振り下ろされる。


 ゴブリンは横へ跳んだ。


 ――ザンッ!


 剣が地面を抉る。


 ゴブリンは短剣を突き出した。


 だが、盾に弾かれた。


「ギャッ!」


「くそっ!」


 剣士が踏み込む。


 小柄なゴブリンは後退した。


 その背後には、住居の壁があった。


 逃げ道が狭い。


 莉央は、その光景を見た。


「……おい!」


 声を張り上げる。


 小柄なゴブリンが振り返った。


 その一瞬。


 剣士の盾が、ゴブリンの身体を突き飛ばした。


 ――ドンッ!


「ギャアッ!」


 小さな身体が地面へ転がった。


「……っ!!」


 莉央は走った。


「やめろおおおっ!!」


 剣士が振り返る。


「またゴブリンか!」


 莉央は包丁を振り上げた。


 今度は、相手の足元を狙った。


 しかし、剣士は簡単に避けた。


 そして。


 莉央の手首を、盾の縁で叩いた。


 ――ガンッ!


「いっ……!」


 包丁が手から離れた。


 刃物は地面を滑り、倒れた木の陰へ転がっていく。


「……あ」


 莉央は、空になった手を見つめた。


 剣士が剣を構え直す。


「邪魔だ!」


 男の目には、怒りがあった。


 同時に、ためらいもなかった。


 相手はゴブリン。


 魔物。


 殺しても構わない存在。


 そう信じている目だった。


「……ちょっ」


 莉央は後ずさった。


「待っ……!」


 剣士が踏み込む。


 大きな剣が、斜め上から振り下ろされた。


 莉央には、その動きが妙にはっきり見えた。


 刃の先端。


 握り込まれた手。


 踏み込んだ足。


 そして、自分の身体へ向かってくる鋼の光。


「…………」


 避けられない。


 そう思った。


 身体が動かなかった。


 腕も、足も。


 何もかもが、凍りついたようだった。


 刃が迫る。


 あと少し。


 ほんの一瞬で、身体が切り裂かれる。


「……嫌」


 莉央の唇が震えた。


「……死にたくない」


 その瞬間だった。


 ――ポーン♪


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 【SYSTEM】


 生命の危機を検知しました。


 《恐怖のルーレット》


 緊急抽選を開始します。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「……は?」


 莉央の目の前に、光る円盤が現れた。


 だが、剣は止まらない。


 円盤だけが、異様な速さで回転している。


 カラカラカラカラカラ……。


「……ちょっ」


 莉央は叫ぼうとした。


「今!?」


 剣が迫る。


 円盤が回る。


 カラカラカラ……。


「待て待て待て待て!!」


 カラ……。


 カチッ。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 【SYSTEM】


 抽選結果が確定しました。


 獲得効果:


 《カエル化》


 種族を一時的に変更します。


 持続時間:24時間


 ※現在の変身効果を上書きします。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━


「……はあああ!?」


 莉央の身体が光った。


 緑色の皮膚が、さらに濃い緑色へ変わる。


 手足が縮み、身体が急激に小さくなっていく。


 制服が、ふわりと地面へ落ちた。


 その直後。


 ――ブォンッ!!


 剣が空を切った。


 いや。


 つい先ほどまで莉央の胴体があった場所を、鋼の刃が通り過ぎた。


 ――ザシュッ!


 剣先が背後の木の幹に食い込む。


「……なっ!?」


 剣士が目を見開いた。


 目の前にいたゴブリンが、突然消えたのだ。


 地面には、妙な布の塊が落ちている。


 その下から。


 ――ぴょこん。


 一匹の小さなカエルが顔を出した。


「…………」


 剣士は、呆然と見下ろした。


「……カエル?」


 莉央も、呆然としていた。


 視界が低い。


 地面が近い。


 手が短い。


 いや、手というより前脚だった。


「…………」


 莉央は、自分の身体を見下ろした。


 つるりとした緑色の皮膚。


 小さな四本の脚。


 丸い腹。


 そして、異様に大きく感じる周囲の景色。


「…………」


 口を開いた。


「……ゲコ」


 自分の声に、莉央は固まった。


「…………」


 もう一度。


「ゲコッ!?」


 それしか出なかった。


 頭の中では、確かに言葉を叫んでいる。


 ふざけんな。


 何でカエルなんだ。


 ゴブリンの次はカエルかよ。


 だが、口から出るのは鳴き声だけだった。


「ゲコゲコゲコゲコォォォッ!!」


 剣士は、さらに困惑した。


「……何なんだ、こいつ?」


 そのとき。


 ――ガキンッ!


 背後から金属音が響いた。


 小柄なゴブリンが、剣士の足元へ飛び込んだのだ。


「ギャアッ!」


「くそっ!」


 剣士が振り返る。


 莉央は、はっとした。


 そうだ。


 戦いは終わっていない。


 自分が助かっただけだ。


 小柄なゴブリンは、まだ剣士と戦っている。


 集落では、仲間たちが倒れている。


 子供たちが泣いている。


 そして。


 自分は。


「……ゲコ」


 莉央は、自分の小さな身体を見つめた。


 包丁は持てない。


 棒も持てない。


 走ることさえ、今までとは違う。


 剣士の足元を見上げる。


 巨大だった。


 人間だった頃には普通の大きさだった靴が、今は岩のように見える。


 その靴が、一歩動いた。


 ――ドンッ!


「ゲコッ!?」


 莉央は反射的に跳ねた。


 身体が、思いがけないほど高く浮き上がった。


 そして、地面へ着地する。


「……ゲコ?」


 もう一度、跳ねる。


 ――ぴょん!


 身体が軽い。


 脚の力が強い。


 人間やゴブリンとは、まったく違う動きだった。


「……ゲコ!」


 莉央は、倒木の陰へ跳び込んだ。


 その直後、剣士の足がすぐ横を踏みつけた。


 ――ドスッ!


 土が跳ねる。


「ゲコォッ!!」


 危なかった。


 今の身体なら、踏まれただけで終わる。


 莉央は、震えながら倒木の下へ潜り込んだ。


 そこから、集落の様子を見た。


 人間たちが進んでいる。


 ゴブリンたちが後退している。


 小柄なゴブリンが、剣士の前に立っている。


 そして。


 ――ガキィン!


 短剣が弾かれた。


「……ゲコ?」


 莉央の目が、大きく開かれた。


 小柄なゴブリンが、地面に膝をついた。


 剣士が、剣を持ち上げる。


「……ゲコッ!」


 莉央は、必死に跳ねた。


 倒木の陰から飛び出す。


 だが、距離が遠い。


 小さな身体では、どうにもならない。


「ゲコ! ゲコゲコッ!!」


 叫ぶ。


 何度も叫ぶ。


 しかし、誰も振り返らない。


 カエルの鳴き声など、戦場の喧騒に紛れてしまう。


 莉央は、さらに跳ねた。


 ――ぴょん!


 ――ぴょん!


 そのとき。


 空から、大きな影が落ちてきた。


「……ゲコ?」


 見上げる。


 鋭い爪。


 広げられた翼。


 黄色い目。


 大型の鳥だった。


 鳥は、地面を跳ねるカエルを見つけていた。


 ――バサァッ!!


「ゲコオオオッ!?」


 莉央は慌てて方向を変えた。


 鳥の爪が、すぐ横の土を掴む。


 ――ザッ!


 莉央は倒れた木の根元へ飛び込んだ。


 鳥は一度舞い上がり、再び上空を旋回する。


「……ゲコ……ゲコ……」


 莉央は、狭い隙間で身体を震わせた。


 さっきまで、人間に殺されかけていた。


 今度は、鳥に食われかけている。


 そして、目の前では。


 ゴブリンたちが、まだ戦っている。


「…………」


 莉央は、木の根の隙間から集落を見つめた。


 小柄なゴブリンが見えた。


 彼は、剣士の攻撃を避けながら、少しずつ後退していた。


 左腕から血が流れている。


 それでも、逃げようとはしなかった。


 彼の背後には、子供たちが隠れている住居があった。


「……ゲコ」


 莉央は、喉の奥から小さな声を漏らした。


 助けたい。


 そう思った。


 だが、今の自分には何もできない。


 昨日まで、あれほど偉そうなことを言っていた。


 もう逃げない。


 戦ってやる。


 何もできないわけじゃない。


 そう言っていた。


 それなのに。


 結局、自分は逃げている。


 小さなカエルになって。


 木の根の隙間に隠れて。


 仲間が戦っているのを、ただ見ている。


「…………」


 莉央は、目を閉じた。


 悔しかった。


 情けなかった。


 そして、何より。


 怖かった。


 自分が死ぬことも。


 誰かが死ぬことも。


 どちらも、どうしようもなく怖かった。


 そのとき。


 集落の中央から、ひときわ大きな叫び声が響いた。


「ギャアアアアッ!!」


 莉央は目を開いた。


 小柄なゴブリンが、剣士へ飛びかかっていた。


 短剣を握った右手。


 傷ついた左腕。


 小さな身体。


 彼は、最後まで住居の前を離れなかった。


 剣士が盾を突き出す。


 ――ドンッ!


 ゴブリンの身体が弾かれた。


 そのまま地面へ転がる。


「……ゲコ?」


 莉央は、息を止めた。


 剣士が一歩踏み込む。


 剣を振り上げる。


 そして。


 ――ザシュッ。


 鋼の刃が、振り下ろされた。


「…………」


 莉央の視界が、止まった。


 小柄なゴブリンは、動かなかった。


 剣士は剣を引き抜くと、次の相手へ向き直った。


 まるで、道端の石を蹴飛ばしたかのように。


 何事もなかったかのように。


「…………」


 莉央は、木の根の隙間から、その光景を見つめていた。


 声が出なかった。


 いや。


 出せる声など、最初からなかった。


 カエルの喉から漏れたのは。


「……ゲコ」


 ただ、それだけだった。


 森の上空では、鳥が旋回していた。


 集落では、まだ戦いが続いている。


 そして。


 黒瀬莉央は、初めて理解した。


 この世界では。


 助けてくれた相手が、明日も生きているとは限らないのだと。

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