第3話マジかよ´д` ;なんかゴブリンに助けられたんだけど…
第一章 森の向こうの世界
第3話 マジかよ´д` ;なんかゴブリンに助けられたんだけど…
――ガサガサガサッ!!
「うわああああっ!!」
黒瀬莉央は、森の中を必死に走っていた。
いや。
走っているつもりだった。
「なんでこんな走りにくいんだよ!!」
身長は、せいぜい百センチほど。
短い足。
小さな手。
そして、身体にまったく合っていない制服。
スカートの裾を踏みそうになり、何度も転びかけていた。
「待て! ゴブリン!」
「そっちへ回れ!」
背後から男たちの声が聞こえる。
「待てるかバーカ!!」
莉央は叫び返した。
しかし、男たちには意味が通じていないらしい。
「何か喚いてるぞ!」
「威嚇してるんだろ!」
「してねえよ!!」
莉央は振り返った。
剣士が迫っている。
その後ろには槍を持った男。
さらに、弓を構えた男がいた。
「おい、やめろって!!」
――ヒュンッ!
「ひっ!?」
矢がすぐ横の木に突き刺さった。
――ドスッ!
「…………」
莉央の顔から血の気が引いた。
いや、緑色なので分かりにくいのだが。
「……マジ?」
木に刺さった矢を見つめる。
もし、あと少しずれていたら。
「……殺す気じゃん」
今さらながら、理解した。
これはゲームではない。
相手は、本気で自分を殺そうとしている。
「……っ!!」
莉央は再び走り出した。
* * *
どれほど走っただろう。
莉央は、倒れた大木の陰に身を潜めていた。
「はあ……はあ……」
息が苦しい。
喉が焼けるように痛い。
足も震えている。
「……なんなんだよ、マジで」
大きすぎるカーディガンを脱ぎ捨てた。
制服の上着も邪魔だった。
今の身体では、まともに動けない。
莉央は鞄を開け、二本の包丁を取り出した。
「……これ」
一本を握る。
重い。
人間だった頃なら、普通に持てたはずなのに。
「……クソッ」
もう一本は鞄に戻した。
そのとき。
――パキッ。
「……!」
近くで枝の折れる音がした。
莉央は息を止めた。
誰かがいる。
ゆっくりと、大木の向こうを覗く。
そこにいたのは――
「…………」
緑色の小さな生き物だった。
尖った耳。
低い鼻。
粗末な腰布。
手には木の棒。
「……え?」
莉央は目を瞬いた。
相手も莉央を見つめている。
「ギャ?」
「…………」
ゴブリンだった。
「……仲間?」
莉央が呟く。
ゴブリンは首を傾げた。
「ギャギャ?」
「いや、違うから。私、人間だから」
「ギャ?」
「だから、元は人間なの!」
ゴブリンは、ますます不思議そうな顔をした。
「……通じてねえ」
莉央は頭を抱えた。
その瞬間。
「いたぞ!!」
背後から怒号が響いた。
「げっ!!」
剣士が大木の向こうから現れた。
莉央は慌てて立ち上がる。
「ちょっ、待っ――!」
剣士が包丁を持つ莉央を見て、目を細めた。
「武器持ちか!」
「違っ……!」
剣が振り上げられる。
莉央は思わず目を閉じた。
――ガキィン!!
「……え?」
金属音が響いた。
莉央が目を開ける。
目の前に、もう一匹のゴブリンが立っていた。
先ほどの個体より、ひと回り大きい。
手に持った錆びた剣で、人間の一撃を受け止めていた。
「ギャアアッ!!」
ゴブリンが叫ぶ。
すると。
――ガサッ!
――ガサガサッ!
茂みのあちこちから、緑色の影が飛び出してきた。
「なっ!?」
剣士が後ずさる。
「ゴブリンの群れだ!」
弓の男が叫んだ。
現れたゴブリンは、全部で七匹。
木の槍。
石斧。
錆びた短剣。
粗末な武器を持ち、人間たちを取り囲んでいる。
「くそっ! 巣が近いのか!?」
「退け! 一度退くぞ!」
剣士は舌打ちした。
ゴブリンたちも、無理に追撃しようとはしなかった。
互いに睨み合う。
やがて、三人の冒険者は森の向こうへ姿を消した。
「…………」
莉央は、その場にへたり込んだ。
「……助かった?」
錆びた剣を持ったゴブリンが振り返る。
「ギャ?」
「…………」
莉央は相手を見上げた。
「……助けてくれたの?」
「ギャギャ」
「…………」
ゴブリンは、何やら仲間たちと話していた。
そのうち一匹が、莉央の制服を指さす。
「ギャ?」
別の一匹が、鞄を指さす。
「ギャギャ?」
「……何だよ」
莉央は鞄を抱き寄せた。
「これ、私のだからな」
ゴブリンたちは顔を見合わせた。
そして。
一匹が、莉央の前にしゃがんだ。
最初に見つけた、小柄なゴブリンだった。
「ギャ」
手を差し出している。
「……何?」
「ギャ」
どうやら、立てと言っているらしい。
莉央は、その手を見つめた。
小さくて、緑色で。
爪は汚れている。
人間だった頃なら、絶対に触ろうと思わなかっただろう。
「…………」
莉央は、そっと手を伸ばした。
ゴブリンが、その手を握った。
そして、ぐいっと引っ張る。
「うわっ!」
莉央は立ち上がった。
「ちょ、乱暴!」
「ギャギャ♪」
ゴブリンは、妙に嬉しそうだった。
* * *
「……どこ行くんだよ」
莉央は、ゴブリンたちの後ろを歩いていた。
正確には、連れていかれていた。
七匹のうち二匹が先頭を歩き、三匹が周囲を警戒している。
残る二匹が、莉央のそばについていた。
「……誘拐?」
莉央は小さく呟いた。
「いや、助けてもらったんだけどさ……」
小柄なゴブリンが振り返る。
「ギャ?」
「何でもない」
しばらく歩くと、森の地面が少しずつ下り坂になった。
木々の間に、細い煙が見える。
「……また煙?」
やがて、莉央の前に小さな集落が現れた。
木の枝を組んだ小屋。
土を盛り上げた住居。
岩の隙間を利用した穴倉。
中央には焚き火。
その周囲で、十数匹のゴブリンが動き回っていた。
「…………」
莉央は立ち止まった。
「……マジか」
ゴブリンの村だった。
人間の村より、さらに粗末だった。
だが、不思議なことに。
そこには、生活があった。
小さなゴブリンが木の実を運んでいる。
年老いたゴブリンが、焚き火のそばで何かを編んでいる。
別のゴブリンは、獲物らしい小動物の皮を剥いでいた。
そして、小さな子供のゴブリンたちが、木の棒を振り回して遊んでいた。
「……へえ」
莉央は思わず呟いた。
「ゴブリンって、こんな生活してんだ」
すると。
子供のゴブリンが、莉央を見つけた。
「ギャッ!」
駆け寄ってくる。
「うわっ、何!?」
子供は莉央の制服を引っ張った。
「ギャギャ!」
「ちょっ、引っ張んな!」
別の子供が、鞄をつつく。
「おい! それ私の!」
さらに一匹。
さらに一匹。
「ちょっと! 何なんだよお前ら!!」
気づけば、莉央は子供たちに囲まれていた。
周囲の大人たちが、面白そうに眺めている。
「……笑ってんじゃねえ!」
もちろん、誰にも通じなかった。
* * *
夕暮れ。
集落の中央では、焚き火が燃えていた。
莉央は丸太に腰掛けていた。
身体に合わない制服は、裾を折り返して紐で縛ってある。
小柄なゴブリンが手伝ってくれたのだ。
「……ありがと」
「ギャ」
ゴブリンは隣に座った。
しばらくして、木の器が差し出された。
「……何これ?」
中には、どろりとした茶色いものが入っていた。
木の実。
何かの肉。
葉っぱ。
そして、正体不明の汁。
「…………」
莉央は顔をしかめた。
「……食い物?」
「ギャ!」
ゴブリンは大きく頷いた。
自分の器から、同じものを口に運ぶ。
「……うわ」
莉央は器を見つめた。
見た目は、かなりひどい。
匂いも独特だった。
「……絶対まずいだろ、これ」
そのとき。
――ぐううううう。
腹が鳴った。
「…………」
隣のゴブリンが莉央を見た。
「ギャ?」
「……見るな」
莉央は木の匙を手に取った。
少しだけ、口に運ぶ。
「…………」
もぐ。
もぐ。
「……ん?」
思ったほど、まずくなかった。
肉には少し臭みがあったが、温かい。
木の実には甘みがあり、汁には塩気があった。
「……食えるじゃん」
もう一口。
さらに一口。
気づけば、器は空になっていた。
「…………」
莉央は空の器を見つめた。
隣のゴブリンが、嬉しそうに笑った。
「ギャギャ♪」
「……何笑ってんだよ」
莉央は、そっぽを向いた。
だが。
しばらくして、小さな声で呟いた。
「……ごちそうさま」
ゴブリンには、その言葉の意味が分からなかった。
それでも。
「ギャ♪」
嬉しそうに、もう一度笑った。
* * *
夜。
集落の周囲は暗闇に包まれていた。
焚き火の明かりが、ゴブリンたちの顔を照らしている。
莉央は小屋の片隅で、鞄を抱えて座っていた。
スマートフォンを取り出す。
バッテリー残量、六十一パーセント。
圏外。
「…………」
画面には、学校で撮った写真が残っていた。
教室。
友達。
文化祭の準備。
そして。
あの少女と並んで撮った、少し前の写真。
「…………」
莉央は画面を消した。
「……クソ」
小さく呟く。
何がクソなのか、自分でも分からなかった。
学校か。
あの友達か。
異世界か。
それとも。
自分自身か。
小屋の入口で、物音がした。
「……ん?」
小柄なゴブリンが顔を覗かせていた。
昼間、最初に出会ったあいつだ。
「ギャ?」
「……何?」
ゴブリンは、乾いた葉っぱを束ねたものを抱えていた。
それを莉央の前に置く。
「……布団?」
「ギャ」
どうやら、寝床を用意してくれたらしい。
「…………」
莉央は葉っぱの束を見つめた。
日本の布団とは比べものにならない。
硬そうだし、虫もいそうだ。
けれど。
何もない森で夜を迎えるよりは、ずっとましだった。
「……ありがと」
ゴブリンは首を傾げた。
「ギャ?」
「だから、ありがとうって!」
「ギャギャ♪」
また、嬉しそうに笑った。
「……変なやつ」
莉央は苦笑した。
ゴブリンは小屋の入口に座り、外を見張るように背を向けた。
「……お前、そこで寝るの?」
「ギャ」
「……ふーん」
莉央は葉っぱの寝床に横になった。
天井には、木の枝が組まれている。
隙間から星が見えた。
「…………」
日本とは違う星空。
知らない森。
知らない世界。
そして。
自分は今、ゴブリンになっている。
「……何やってんだろ、私」
莉央は目を閉じた。
外では、ゴブリンたちが何かを話している。
焚き火の薪が、ぱちぱちと音を立てた。
やがて、眠気が訪れる。
その直前。
莉央は、ふと思った。
人間の村では、誰も自分に食べ物をくれなかった。
いや。
正確には、食事を勧めてくれた人がいた。
自分が断ったのだ。
それなのに。
ゴブリンたちは、何も聞かずに食べ物を分けてくれた。
「…………」
莉央は寝返りを打った。
「……変なの」
そして、眠りについた。
* * *
同じ頃。
森の外れ。
人間の村では、三人の冒険者が焚き火を囲んでいた。
「間違いない。あの辺りにゴブリンの巣がある」
剣士が言った。
「七匹はいたな」
「もっといるだろう。あれだけで生活しているとは思えん」
弓の男が頷く。
槍の男は、黙って火を見つめていた。
「村長に報告するか?」
「ああ。放っておけば畑や家畜が襲われるかもしれん」
「……でも、今日の連中は追ってこなかったぞ」
槍の男が言った。
剣士は肩をすくめた。
「だから何だ?」
「いや……」
「魔物は魔物だ。増える前に片づけるに越したことはない」
薪が、ぱちりと爆ぜた。
「明日、村の自警団に話を通す」
剣士はそう言って、立ち上がった。
森の奥では。
何も知らない莉央が、ゴブリンたちの小屋で眠っていた。
その傍らには、小柄なゴブリンが一匹。
彼は夜空を見上げながら、静かに耳を動かしていた。
遠くで、狼に似た獣が吠えた。
ゴブリンは、手元の木の棒を握り直した。
そして再び、森の暗闇へ目を向けた。
――第3話・完――
次のエピソードは…
ゴブリン集落で初めての朝を迎えた莉央。食料集めや水汲み、子供たちとの騒動を通じて、ゴブリンたちの暮らしを少しずつ知っていく。一方、人間の村では、森のゴブリンを討伐するための話し合いが始まっていた。




