第2話 クソみたいな村
第一章 森の向こうの世界
第2話 クソみたいな村
森の中を歩き始めて、どれくらい経っただろう。
「……暑っ」
黒瀬莉央は、額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。
十月の終わりだというのに、妙に蒸し暑い。
制服のカーディガンを脱ぎ、腰に巻く。
「つーか、道くらいないわけ?」
足元には落ち葉と木の根。
ところどころに岩が転がり、歩きやすい場所などほとんどない。
さっきから何度も靴が滑っていた。
「異世界って、もっとこう……草原とかさあ」
莉央はスマートフォンを取り出した。
画面には相変わらず「圏外」の文字。
「はいはい。知ってますよー」
電源を切ろうとして、ふと指を止める。
写真を撮っておこう。
そう思ったのだ。
カメラを起動する。
見上げれば、巨大な木々の間から青空が覗いていた。
日本では見たこともない、紫色の花。
枝から垂れ下がる、青白い実。
「おー、すげえ」
パシャ。
パシャ。
「これ、SNSに上げたらバズるんじゃね?」
もちろん、投稿はできなかった。
「……帰ったら絶対上げてやる」
そう呟いて、また歩き出した。
そのとき。
――ガサガサッ。
「ん?」
前方の茂みが揺れた。
莉央は足を止める。
「……何?」
しばらくして、小さな動物が飛び出してきた。
ウサギに似ている。
ただし、耳が四本あった。
「うわっ! 何あれ!」
動物は莉央を一瞥すると、すぐに茂みへ消えた。
「四つ耳のウサギ……?」
莉央は思わず笑った。
「やっぱ異世界じゃん!」
まだ、楽しかった。
知らない植物。
知らない動物。
知らない景色。
まるでゲームの世界を歩いているようだった。
もっとも。
ゲームと違って、足は確実に疲れていた。
* * *
「……腹減った」
さらに歩くことしばらく。
莉央は倒木に腰を下ろした。
鞄の中を探る。
財布。
スマートフォン。
イヤホン。
ハンカチ。
包丁二本。
「……食い物ねえじゃん」
水筒もない。
ペットボトルすら持っていなかった。
「コンビニ……」
口にしてから、周囲を見渡す。
森。
森。
森。
「……あるわけねえか」
ため息をついた。
喉も渇いている。
さっき見かけた青白い木の実を思い出したが、食べていいものなのか分からない。
「毒とかあったら嫌だしな……」
とりあえず、食べるのはやめておいた。
莉央は立ち上がる。
そのとき、遠くに何かが見えた。
「……あれ?」
木々の向こう。
細い煙が、空へ昇っている。
「煙?」
莉央は目を凝らした。
一本ではない。
二本、三本。
どうやら、何かを燃やしているらしい。
「……人がいる?」
急に元気が出た。
「おっしゃ!」
莉央は煙の方角へ歩き始めた。
* * *
森を抜けると、小さな畑が広がっていた。
その向こうには、木の柵。
柵の内側に、十数軒ほどの家が並んでいる。
屋根は藁葺き。
壁は木と土。
煙突から煙が上がり、畑では何人かが作業していた。
「おおお……!」
莉央は思わず声を上げた。
「村じゃん!」
まさに、ファンタジー世界の村だった。
ただし、想像していたよりずっと小さい。
石畳もない。
立派な門もない。
教会らしき建物も見当たらない。
入口には、木の棒を持った男が一人立っていた。
男は莉央に気づくと、怪訝そうに眉をひそめた。
「おい、娘。どこから来た?」
「え?」
莉央は目を瞬いた。
言葉が分かる。
いや、正確には、聞いたことのない言葉なのに意味が理解できた。
「……日本語?」
「何を言っている?」
「あ、いや。こっちの話」
男は莉央の制服をじろじろと眺めた。
「妙な格好だな。旅人か?」
「まあ、そんな感じ?」
「一人か?」
「うん」
「護衛もなしに森を歩いてきたのか?」
「そうだけど?」
男の顔色が変わった。
「馬鹿なことをするな。あの森には魔物が出るぞ」
「魔物?」
「知らんのか?」
「いや、まあ……」
莉央は少し考えた。
魔物。
つまり、モンスター。
「へえー。やっぱ出るんだ」
「……お前、話を聞いているのか?」
「聞いてるって」
男は呆れたように首を振った。
「まあいい。村で騒ぎを起こすなよ」
「はいはい」
莉央は軽く手を振り、村へ入った。
* * *
「…………」
五分後。
莉央は村の真ん中に立っていた。
「……何もねえ」
本当に何もなかった。
道は土。
家は古い。
店らしい店もない。
井戸の周囲には桶が並び、鶏に似た鳥が地面をつついている。
子供たちが裸足で走り回っていた。
「宿屋とかないの?」
近くを歩いていた老婆に尋ねる。
「宿? 旅人なら村長の家に聞いてみな」
「コンビニは?」
「こんびに?」
「あ、いや。店とか」
「物を買いたいなら、行商人が来るのを待つことだね」
「いつ来るの?」
「さあ。十日後か、二十日後か」
「……は?」
老婆は不思議そうに莉央を見た。
「何か困っているのかい?」
「いや、別に」
莉央は歩き出した。
広場の端には、小さな水場があった。
木桶に水を汲んでいる女性がいる。
「あの、水飲めます?」
「井戸の水なら飲めるよ」
「マジ? ありがとう」
莉央は備え付けの木の器で水を飲んだ。
「……ぷはっ!」
冷たかった。
それだけは、ありがたかった。
しかし、周囲を見回すうちに、だんだん気分が沈んできた。
どこを見ても、土と木ばかり。
スマートフォンも使えない。
食べ物を買おうにも、店がない。
何より、村人たちがこちらをちらちら見ている。
「……何見てんだよ」
小さく呟く。
近くの子供が、莉央のスカートを指さした。
「変な服!」
莉央の眉がぴくりと動いた。
「……あ?」
子供は笑いながら走っていった。
「……クソガキ」
その後も、村を一周してみた。
鍛冶屋らしき小屋はあった。
共同の倉庫もあった。
家畜小屋もある。
しかし、莉央が期待していた冒険者ギルドも、魔法道具屋も、賑やかな市場もなかった。
「……つまんな」
村の入口へ戻る。
さっきの男が、まだ立っていた。
「もう出るのか?」
「うん」
「森へ戻るつもりか?」
「ほかに道あんの?」
「南へ行けば街道に出る。ただし、ここから歩けば日が暮れるぞ」
「ふーん」
「泊まる場所がないなら、村長に相談しろ。仕事を手伝えば飯くらいは――」
「いいって」
莉央は男の言葉を遮った。
「別に、困ってないし」
「……そうか」
男はそれ以上、何も言わなかった。
莉央は村を出た。
しばらく歩いてから、振り返る。
木の柵。
藁葺き屋根。
煙突から昇る細い煙。
「…………」
莉央は鼻を鳴らした。
「クソみたいな村だ」
そして、再び森へ入っていった。
* * *
夕方が近づいていた。
森の中は、さっきより薄暗い。
「……ったく」
莉央は落ちていた枝を蹴飛ばした。
「もっとまともな村ないわけ?」
歩く。
歩く。
歩く。
そのうち、腹が鳴った。
――ぐうう。
「…………」
莉央は立ち止まった。
「……腹減った」
さっきの村で、食べ物を分けてもらえばよかった。
そんな考えが一瞬だけ浮かんだ。
しかし、すぐに打ち消した。
「……別にいいし」
森の奥へ進む。
やがて、細い獣道に出た。
そのときだった。
――ポーン♪
「……ん?」
聞き覚えのある電子音。
莉央の目の前に、半透明の文字が浮かび上がった。
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【SYSTEM】
《恐怖のルーレット》
初回抽選を開始します。
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「……あ!」
莉央の表情が明るくなった。
「来た来た来た!」
異世界転移の特典。
さっきからすっかり忘れていた。
「これだよ! こういうの待ってたんだって!」
目の前に、光る円盤が現れた。
円盤には、いくつもの文字が刻まれている。
《身体能力強化》
《魔力増幅》
《アイテムボックス》
《ネットショッピング》
《言語理解》
《エルフ化》
《ドラゴン化》
《カエル化》
《ゾンビ化》
《ゴブリン化》
「おおおお!!」
莉央は興奮した。
「アイテムボックス! それいいじゃん!」
円盤が回転する。
カラカラカラカラカラ……。
「ドラゴンでもいい! いや、エルフもあり!」
回転が少しずつ遅くなる。
「頼む頼む頼む……!」
カラカラ……。
カラ……。
カチッ。
円盤が止まった。
莉央は、満面の笑みで結果を見上げた。
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【SYSTEM】
抽選結果が確定しました。
獲得効果:
《ゴブリン化》
種族を一時的に変更します。
持続時間:72時間
※効果終了まで解除できません。
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「…………」
莉央は瞬きをした。
「……は?」
足元が光った。
「ちょ、待っ……!」
身体が熱くなる。
制服が急に大きくなった。
視界がぐんぐん低くなる。
手の指が短くなり、皮膚が緑色に変わっていく。
「うわっ! うわあああっ!?」
耳が伸びた。
鼻が潰れた。
口から小さな牙が覗いた。
そして。
――ぽふっ。
大きすぎる制服の中に、小さな身体が埋もれた。
「…………」
森が静まり返る。
しばらくして、制服の襟元から緑色の頭がひょっこり顔を出した。
「……え?」
声が変だった。
妙に甲高い。
莉央は自分の手を見た。
緑色。
小さい。
爪が黒っぽい。
「…………」
慌ててスマートフォンを取り出した。
インカメラを起動する。
画面に映っていたのは――
大きな耳。
緑色の肌。
尖った鼻。
小さな牙。
どう見ても、ゴブリンだった。
「…………」
莉央は震える手で画面を見つめた。
そして。
「ふっ……」
肩が震えた。
「ふざ……」
顔が引きつった。
「ふざけんなああああああああああっ!!!」
森中に、甲高い叫び声が響き渡った。
木の上から鳥たちが一斉に飛び立つ。
「なんでゴブリンなんだよ!!」
莉央は地面を蹴った。
「ドラゴンとか! エルフとか! もっとあっただろうが!!」
だが、ルーレットは何も答えない。
表示はすでに消えていた。
「クソッ!! クソッ!!」
莉央は大きすぎるスカートを引きずりながら歩き出した。
靴はぶかぶか。
カーディガンは地面を擦っている。
鞄も重い。
包丁二本は、今の身体には大きすぎた。
「……最悪」
莉央は、もう一度スマートフォンの画面を見た。
緑色の顔が映っている。
「……マジで最悪」
そのとき。
遠くから、人の声が聞こえた。
「おい! 今、何か叫ばなかったか?」
「こっちだ!」
莉央は顔を上げた。
「……あ?」
茂みの向こうから、三人の男が現れた。
革鎧を着た若い剣士。
弓を背負った男。
短い槍を持った男。
いずれも、まだ経験の浅そうな冒険者だった。
彼らは莉央を見るなり、足を止めた。
「……ゴブリン?」
「一匹か?」
「こんなところに……」
莉央は、ほっとした。
「あ! ちょっと! 聞いてよ!」
両手を振る。
「私、さっきまで人間だったんだけど――」
剣士が剣を抜いた。
――シャキン。
「……え?」
「ゴブリンだ! 逃がすな!」
「はあ!?」
弓の男が矢をつがえる。
槍の男が回り込む。
「ちょっ! 待てって!!」
莉央は慌てて後ずさった。
「私、人間! 人間だから!!」
だが、男たちには、緑色の小さな魔物が甲高い声で騒いでいるようにしか見えなかった。
「何か鳴いてるぞ!」
「構うな!」
剣士が駆け出す。
莉央は目を見開いた。
「……うそ」
剣が振り上げられる。
「うそだろ、おい!!」
莉央は制服の裾をつかみ、必死に走り出した。
「ふざけんなああああっ!!」
その背後で、男たちの怒号が響いた。
「追え!」
「森へ逃がすな!」
こうして。
異世界転移から、わずか数時間。
黒瀬莉央、十六歳。
人生初の異世界冒険は――
ゴブリンとして、人間の冒険者に追い回されるところから始まった。
――第2話・完――
次のエピソードは…
冒険者たちから必死に逃げる莉央。しかし、小さくなった身体では思うように走れず、ついに追い詰められてしまう。そんな彼女の前に現れたのは、まさかのゴブリンの一団だった。




