第1話 仲直りなんか、してやるもんか
午後の教室には、文化祭の準備で残った紙飾りが揺れていた。
「……だから、もういいって言ってるじゃん」
窓際に立つ少女が、うんざりした顔で言った。
「よくない!」
向かい合っているのは、同じ高校に通う15歳の少女。
名前は、黒瀬莉央
制服の上に少し大きめのカーディガンを羽織り、肩まで伸ばした黒髪を乱暴に耳へかけている。
「なんで? 昨日まで普通だったじゃん!」
「普通じゃなかったよ。ずっと前から」
「はあ?」
「莉央って、私が何か言うとすぐ怒るでしょ。自分の考えと違ったら、全部否定するし」
「だって、そっちが変なこと言うから!」
「……ほら、また」
その一言が、妙に腹立たしかった。
「何それ。私が全部悪いってわけ?」
「そういう話じゃない」
「じゃあどういう話だよ!」
相手は答えなかった。
ただ、疲れたように息を吐いた。
「しばらく、距離を置きたい」
莉央の顔が強張った。
「……は?」
「ごめん」
「待ってよ」
「もう帰るね」
「待てって言ってんだろ!」
少女は振り返らずに教室を出ていった。
廊下の向こうから、ほかの生徒たちの笑い声が聞こえる。
誰かが段ボールを運び、誰かが文化祭のポスターを剥がしている。
いつもと変わらない学校。
莉央だけが、その場に取り残されていた。
「……ふざけんな」
机の上に置かれたスマートフォンが震えた。
画面には、クラスのグループチャット。
楽しそうな写真。
スタンプ。
どうでもいい会話。
「……クソが」
莉央はスマートフォンを鞄に押し込んだ。
鞄の底で、硬いものが触れ合った。
布に包んだ、二本の包丁。
家から持ち出したものだった。
どうしてこんなものを持ってきたのか。
今となっては、自分でも説明できない。
ただ、怒りをどこかへぶつけたかった。
莉央は鞄をつかみ、教室を飛び出した。
廊下を歩く。
階段を下りる。
人の声が遠くなる。
そして――
「……え?」
足元が、光った。
最初は、窓から差し込んだ西日だと思った。
だが違った。
床一面に、見たこともない模様が浮かび上がっていた。
幾重にも重なる円。
奇妙な文字。
淡い青白い光。
「な、何これ……?」
莉央が後ずさる。
その瞬間。
――ゴォン。
鐘のような音が響いた。
「ちょっ……待っ……!」
床が消えた。
いや。
世界そのものが、ひっくり返った。
莉央は悲鳴を上げた。
「うわああああああああっ!!」
そして。
何もかもが、真っ白になった。
――チュン。
――チュンチュン。
「…………」
鳥の声。
風の音。
頬に触れる、冷たい草。
「……いってぇ」
莉央は目を開けた。
青空だった。
木々の枝が、頭上で揺れている。
「…………は?」
起き上がる。
周囲には、見渡す限りの森。
舗装道路もない。
電柱もない。
建物もない。
当然、学校もない。
「……どこ?」
立ち上がった莉央は、制服についた土を払った。
「え? 何? ドッキリ?」
誰も答えない。
「ちょっと! 誰かいないの!?」
返ってきたのは、鳥の鳴き声だけだった。
「……マジで?」
莉央は鞄を開いた。
財布。
スマートフォン。
イヤホン。
ハンカチ。
そして、布に包まれた二本の包丁。
「…………」
しばらく、それを見つめた。
「……なんで包丁まで来てんだよ」
自分で持ってきたくせに、そんな文句が口をついた。
スマートフォンを取り出す。
画面はついた。
時刻は午後二時十七分。
だが、画面の上には無情な表示。
圏外
「はああああ!?」
莉央はスマートフォンを高く掲げた。
「おい! 電波! 電波どこだよ!!」
右へ。
左へ。
背伸びして。
岩の上に乗って。
何も変わらない。
「クソッ!!」
岩から飛び降りた。
――ポーン♪
「……ん?」
スマートフォンではない。
頭の中で、電子音が鳴った。
続いて、目の前に半透明の文字が浮かび上がった。
異世界転移を確認しました
特別能力が付与されます
《恐怖のルーレット》
発動条件・効果・持続時間は抽選によって決定されます。
「…………」
莉央は文字を見つめた。
一秒。
二秒。
三秒。
「……異世界?」
もう一度、周囲を見渡す。
森。
空。
見たこともない植物。
そして、浮かぶ謎の文字。
「……え?」
莉央の口元が、ゆっくりと緩んだ。
「……マジ?」
スマートフォンを握り直す。
「異世界転移って……あの?」
小説や漫画で何度も見たやつ。
魔法。
冒険者。
モンスター。
お姫様。
そして、チート能力。
「……ちょっと待って」
莉央は自分の両手を見た。
「私、主人公じゃん」
さっきまでの怒りは、どこかへ吹き飛んでいた。
「やっば!」
莉央は笑った。
「マジで異世界じゃん!!」
鞄を肩にかける。
とりあえず、歩いてみることにした。
どこかに町くらいあるだろう。
ゲームなら、最初の村があるはずだ。
「とりあえず、人探すか」
莉央は鼻歌まじりに歩き始めた。
その背後。
深い茂みの奥で、何かが動いた。
――ガサッ。
「ん?」
振り返る。
何もいない。
「……鹿?」
莉央は肩をすくめた。
「まあ、いっか」
再び歩き出す。
彼女は、まだ知らなかった。
この世界には、セーブもロードもない。
痛みも、空腹も、死も、本物だということを。
そして何より。
目の前に現れた《恐怖のルーレット》が、彼女にとって必ずしも幸運をもたらすものではないことを。
森の奥から、低い唸り声が聞こえた。
莉央は、まだ気づいていない。
――第1話・完――
次のエピソードは…
森をぶらつく莉央は、ようやく人間の住む小さな村を発見する。しかし、期待していた異世界の村は、どうにも気に入らない場所だった。「クソみたいな村だ」と吐き捨て、再び森へ。そして、いよいよ《恐怖のルーレット》が動き出す。




