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包丁2本で異世界転移した少女は、今日も敵を許さない  作者: 和泉發仙


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第18話 言葉を持たない使者

包丁2本で異世界転移した少女は、今日も敵を許さない


第一章 森の向こうの世界


第18話 言葉を持たない使者


 ――カラン。


 地下通路の奥で、金属の器が床に落ちた。


「……あら」


 女の声がした。


「また、やってしまったわね」


 黒瀬莉央は、排水溝の陰から顔を出した。


(……ん?)


 灰色の作業着。


 後ろで束ねた茶色の髪。


 先ほど囚人たちへ食べ物を届けていた女性だった。


 女性は壁に片手を添え、もう一方の手をゆっくりと床へ伸ばしている。


 落ちた器を探しているらしい。


(……そこじゃねえよ)


 器は、女性の右足から少し離れた場所に転がっていた。


 莉央は、思わず跳ねた。


 ――ぴょん。


「ケロ」


「……あら?」


 女性が手を止めた。


「カエル?」


(……そうです。現在、非常に不本意ながら)


 莉央は、もう一度鳴いた。


「ケロ!」


 女性は、小さく笑った。


「こんな地下まで、どうやって入ってきたの?」


(……それ説明すると長いんだよ)


 莉央は、器のそばへ跳ねた。


 ――ぴょん。


 ――ぴょん。


 小さな足音が、石床に響く。


 女性は、そちらへ顔を向けた。


「……そこにいるのね」


 ゆっくりと手を伸ばす。


 指先が、器に触れた。


「あった」


 女性は、器を拾い上げた。


「ありがとう。……あなたが教えてくれたのかしら」


(……まあ、そういうことで)


 莉央は、少し得意になった。


 だが、そのとき。


 女性が立ち上がり、壁に手を添えて歩き始めた。


 目は開いている。


 しかし、莉央の方を見ていない。


 正確には、どこにも視線を合わせていなかった。


(……あれ?)


 莉央は、首を傾げた。


 女性は足元に置かれた桶へ近づき、靴先で位置を確かめてから持ち上げた。


(……もしかして)


 莉央は、ようやく気づいた。


(……この人、目が見えないのか)


     * * *


 女性は、壁を頼りに地下通路を進んだ。


 歩き方は慎重だったが、迷っている様子はない。


 角に差しかかると、壁の石を指先で確かめる。


 階段の手前では、足を止めて段差を探る。


(……慣れてるんだな)


 莉央は、少し離れて後を追った。


 隣では、ゴブリンの幽霊がふわふわと浮かんでいる。


「ギャ♪」


(……お前、あの人の前に出ても見えねえぞ)


 ゴブリンは、不思議そうに首を傾げた。


 そして、女性の顔の前へ回り込んだ。


「ギャ?」


 女性は、何の反応も示さなかった。


 そのまま歩き続ける。


 ゴブリンは、少し残念そうに肩を落とした。


(……いや、お前は普通の人にも見えねえから)


 莉央は、心の中で突っ込んだ。


 やがて、女性は階段の途中で立ち止まった。


「……さっきのカエルさん?」


(……ん?)


「まだ、ついてきているの?」


(……おっ)


 莉央は、思わず鳴いた。


「ケロ!」


 女性は、少し驚いたように笑った。


「本当についてきているのね」


 そして、しゃがみ込んだ。


「……どうしたの?」


(……それがさ)


 莉央は、女性の前へ跳ねた。


「ケロ! ケロ!」


「そんなに鳴いて……何か困っているの?」


(……困ってるなんてもんじゃねえよ)


 莉央は、地下通路の奥を振り返った。


 あの四人が閉じ込められている場所。


 そこへ向かって跳ねる。


 ――ぴょん。


「ケロ!」


 女性は、じっと耳を澄ませた。


「……そっちへ行きたいの?」


(……そう!)


「ケロ!」


 女性は、しばらく考えていた。


 そして、静かに言った。


「……そこには、行かない方がいいわ」


(……え?)


 女性の声が、少し低くなった。


「怖い人たちがいるから」


     * * *


 女性は、マルタと名乗った。


 三十八歳。


 この施設で、洗濯や食器の管理、簡単な掃除などを任されている。


 ただし、莉央には自己紹介の言葉以外、詳しい事情は分からなかった。


 マルタは、莉央の近くにしゃがんだまま話し続けた。


「……ここはね、あまり良い場所じゃないの」


(……知ってる)


「あなたには分からないでしょうけど」


(……いや、分かりすぎて困ってる)


 莉央は、前脚で床を押した。


「ケロ!」


 マルタは、少し笑った。


「……元気ね」


 だが、その笑顔は長く続かなかった。


「……私も、昔はここに来る人たちを、ただの荷運びの人だと思っていたの」


(……ん?)


 莉央は、動きを止めた。


 マルタは、指先で床の石をなぞった。


「でも、違った」


 静かな声だった。


「夜になると、泣き声が聞こえるの」


 莉央は、じっと聞いていた。


「子どもの声。女の人の声。男の人の声も」


 マルタは、少し間を置いた。


「……そして、何日かすると聞こえなくなる」


(…………)


「代わりに、また別の人たちが来る」


 莉央は、地下通路の奥を見つめた。


 あの四人だけではない。


 この施設には、以前から多くの人間が運び込まれていたのだ。


「……私ね」


 マルタは、小さく息を吐いた。


「ここに来てから、ずっと数えているの」


(……何を?)


「夜中に運ばれてきた人たちの数」


 莉央は、目を見開いた。


     * * *


「最初は、そんなつもりじゃなかったの」


 マルタは、ゆっくりと立ち上がった。


 壁に手を添えながら、作業室へ向かう。


 莉央も後を追った。


 作業室に戻ると、マルタは扉を閉めた。


 そして、棚の下から古い木箱を取り出した。


「……変な話をしてしまったわね」


 マルタは、箱を膝の上へ置いた。


「カエルに話しても、仕方ないのに」


(……いや、めちゃくちゃ重要なんだけど)


 莉央は、箱を見つめた。


 マルタは蓋を開けた。


 中には、細い紐が何本も入っていた。


 それぞれの紐には、小さな結び目が作られている。


(……何だこれ)


 マルタは、その一本を取り出した。


 指先で、結び目を確かめる。


「……四人」


(……っ)


 莉央は、身体を硬くした。


「昨夜、運ばれてきた人たち」


 マルタは、結び目を一つずつ触った。


「女の人が二人。男の子が一人。小さな女の子が一人」


(……合ってる)


 莉央は、息を呑んだ。


 マルタは、別の紐を取り出した。


「……その前は、六人」


 また別の紐。


「……その前は、三人」


 木箱の中には、何十本もの紐があった。


(……おいおい)


 莉央は、箱を見つめた。


(……何人いるんだよ)


 マルタは、静かに言った。


「……全部で、百人を超えているわ」


(…………)


 莉央は、何も考えられなくなった。


 百人以上。


 この施設を通った人間が。


 少なくとも、百人以上いる。


 しかも、それはマルタが数え始めてからの人数にすぎない。


「……どこへ行ったのか、分からない人も多いの」


 マルタは、紐を箱へ戻した。


「商会に売られた人もいる。遠い土地へ運ばれた人もいる」


 そして。


「……でも」


 マルタの指が、一本の紐で止まった。


「……何人かは、売られていないの」


(……え?)


 莉央は、顔を上げた。


 マルタは、少しだけ声を落とした。


「買い手が来ていないのに、連れていかれた人たちがいる」


 莉央は、地下保管室で聞いた言葉を思い出した。


 召喚陣。


 触媒。


 適性。


 失敗すれば、次を探す。


(……まさか)


 マルタは、静かに続けた。


「……そういう人たちは、二度と戻ってこなかった」


     * * *


 莉央は、木箱を見つめていた。


 そこには、何十本もの紐がある。


 一本一本が、誰かの人生だった。


(……ふざけんなよ)


 莉央は、前脚で床を押した。


(……人間を何だと思ってんだ)


 そのとき。


 ゴブリンの幽霊が、木箱の中を覗き込んだ。


「……ギャ」


 いつもの明るい声ではなかった。


 莉央は、幽霊を見た。


 ゴブリンは、一本の紐をじっと見つめている。


 そして、ゆっくりと顔を上げた。


 壁の向こう。


 地下の奥。


 何かを感じ取ったようだった。


(……どうした?)


 ゴブリンは、莉央を見た。


「……ギャ」


 そして、壁の向こうへ消えていった。


(……おい?)


 莉央は、少し驚いた。


 いつもなら、嬉しそうに飛び回るゴブリンが。


 今は、何かに引き寄せられるように進んでいった。


 莉央は、しばらく待った。


 だが、戻ってこない。


(……何だよ)


 不安が、少しずつ大きくなる。


 そのとき。


 マルタが、木箱の蓋を閉めた。


「……ごめんなさいね」


(……ん?)


「変な話ばかりして」


 マルタは、少し笑った。


「……でも、誰かに話したかったのかもしれないわ」


 莉央は、マルタを見つめた。


 そして。


「ケロ」


 小さく鳴いた。


 マルタは、静かに頷いた。


「……ありがとう」


     * * *


 しばらくして。


 壁の向こうから、ゴブリンの幽霊が戻ってきた。


「ギャッ!」


(……おっ)


 莉央は、顔を上げた。


 ゴブリンは、いつになく慌てていた。


 両手を大きく振る。


 そして、壁の向こうを指さした。


(……何だ?)


 ゴブリンは、何度も同じ仕草を繰り返した。


 莉央は、首を傾げた。


(……誰かいるのか?)


「ギャ!」


 ゴブリンは、勢いよく頷いた。


 そして、両手を胸の前で組んだ。


 まるで、何かを抱えるような仕草。


(……人?)


 ゴブリンは、さらに壁を指さした。


 莉央は、少し考えた。


 そして、気づいた。


(……まさか)


 ゴブリンは、霊だった。


 壁をすり抜けられる。


 人間には見えないものが見える。


 もし、地下の奥に。


 ほかにも、霊がいたとしたら。


(……おいおい)


 莉央は、背筋が寒くなった。


(……ここ、何人死んでんだよ)


 ゴブリンは、莉央の前へ戻ってきた。


「……ギャ」


 いつもの笑顔は、なかった。


 莉央は、ゆっくりと頷いた。


(……分かった)


 そして、マルタを見た。


 彼女は、まだ木箱を膝に抱えている。


 百人以上の記録。


 戻ってこなかった人々。


 そして、地下の奥に残された、見えない何か。


(……この施設)


 莉央は、静かに思った。


(……ただの奴隷置き場じゃねえ)


 外では、夜明けに向けた準備が進んでいる。


 少女が連れ去られるまで、残された時間は少ない。


 だが、莉央は今、もう一つの秘密に近づこうとしていた。


 人間を売り買いする施設。


 その地下に隠された、帰ってこなかった人々の行方。


 そして。


 彼らが、何のために使われたのか。


 莉央は、ゴブリンの幽霊を見つめた。


「ケロ」


 ゴブリンは、静かに頷いた。


「……ギャ」


 二人は、暗い地下の奥へ向かうことを決めた。


 そこには、まだ誰も知らない秘密が眠っていた。


――第18話・完――


次のエピソードは…


マルタが結び目で記録していた百人以上の人々。その中には、売られた記録もなく、二度と戻ってこなかった者たちがいた。地下の奥で何かを発見したゴブリンの幽霊は、莉央をさらに深い場所へ導こうとする。一方、マルタが長年この施設に留まり続けている理由にも、過去に連れ去られた一人の人物が関わっていた――。

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