第17話 裏庭の小さな協力者
包丁2本で異世界転移した少女は、今日も敵を許さない
第一章 森の向こうの世界
第17話 裏庭の小さな協力者
夜風が、石造りの建物の壁を撫でていた。
黒瀬莉央は、積み上げられた薪の陰から裏庭を見渡した。
頭上には、雲に隠れかけた月。
足元には、湿った土。
そして、少し離れた場所には、施設を囲む高い石塀がある。
(……さて)
莉央は、前脚を踏ん張った。
(……どうやって四人を逃がす?)
自分はカエル。
隣にいるのは、ゴブリンの幽霊。
どちらも、扉の鍵を開けることはできない。
地下の排水溝を通れるのも、自分だけだ。
(……人間が通れる道が必要だな)
莉央は、裏庭の奥へ目を向けた。
そこには、古い石段と、半分崩れた小屋があった。
小屋の向こうには、石塀が続いている。
正門とは反対側。
森に面した、施設の裏手だった。
(……あそこ、怪しくね?)
莉央は、隣のゴブリンを見た。
「ケロ」
ゴブリンは、嬉しそうに頷いた。
「ギャ♪」
そして、石塀の向こうへすり抜けていった。
* * *
莉央は、薪の陰で待った。
遠くから、男たちの話し声が聞こえる。
「明朝の馬車は二台だ」
「一台は旧礼拝堂か?」
「ああ。もう一台は街へ戻す」
「荷は?」
「明日の朝、決める」
(……二台?)
莉央は、耳を澄ませた。
(……あの子を運ぶ馬車と、残りの三人を運ぶ馬車か?)
まだ確証はない。
だが、四人が別々にされる可能性がある。
(……急がねえと)
莉央は、地面を見つめた。
今夜のうちに、何か手掛かりを見つけなければならない。
そのとき。
石塀の向こうから、ゴブリンの幽霊が戻ってきた。
「ギャ!」
(……何か見つけた?)
ゴブリンは、両手を大きく広げた。
そして、石塀の一角を指さした。
(……あっち?)
莉央は、そちらを見た。
古い小屋の裏。
石塀の下の方に、色の違う石が並んでいる。
周囲よりも新しい石材だった。
(……補修跡?)
莉央は、慎重に近づいた。
足元には、草が生い茂っている。
その奥に、古い鉄の輪が埋め込まれていた。
(……何だこれ)
鉄の輪は、石壁に取り付けられている。
その周囲には、木材の腐った跡があった。
莉央は、目を細めた。
(……昔、扉でもあったのか?)
ゴブリンは、壁の向こうへすり抜けた。
そして、また戻ってくる。
「ギャギャ!」
今度は、両手を横に広げた。
(……でかい扉?)
ゴブリンは、勢いよく頷いた。
「ギャ!」
(……なるほど)
莉央は、壁を見上げた。
今は石で塞がれている。
だが、かつては人間が通れる大きな出入口だったのかもしれない。
(……これ、使えるか?)
莉央は、鉄の輪へ近づいた。
だが、すぐに考え直した。
今の自分には、動かせない。
仮に人間の身体に戻っても、石で塞がれた壁を簡単に壊せるとは思えない。
(……誰かが開けられる仕組みならいいんだけど)
* * *
そのとき。
――カタン。
小屋の向こうから、物音がした。
(……っ!)
莉央は、草の陰へ飛び込んだ。
誰かが、裏庭へ出てきた。
人間の足音。
軽い靴。
そして、布の擦れる音。
莉央は、草の隙間から覗いた。
現れたのは、一人の女性だった。
年齢は、三十代半ばほど。
茶色の髪を後ろでまとめ、灰色の作業着を着ている。
片手には、小さなランタン。
もう片方には、水桶を持っていた。
(……使用人?)
女性は、周囲を見回した。
そして、小屋の裏へ向かった。
莉央は、じっと観察した。
女性は、水桶を地面へ置いた。
それから、石壁の一角へ手を伸ばした。
――カチ。
(……ん?)
小さな金属音がした。
女性は、壁の下にある鉄の輪を持ち上げた。
そして、何かを引いた。
――ゴトン。
壁の一部が、わずかに動いた。
(……え!?)
莉央は、目を見開いた。
(……開くのかよ!)
女性は、石壁の隙間から何かを取り出した。
小さな布袋だった。
中身を確認する。
そして、代わりに別の袋を置いた。
壁を元に戻す。
――ゴトン。
最後に、鉄の輪を下ろした。
(……何やってんだ?)
莉央は、首を傾げた。
女性は、ランタンを持ち直した。
その顔には、どこか疲れた表情が浮かんでいた。
そして、小さく呟いた。
「……これで、今夜は足りるはず」
(……何が?)
莉央は、ますます分からなくなった。
女性は、水桶を持ち、建物の方へ戻っていった。
* * *
女性がいなくなったあと。
莉央は、石壁へ近づいた。
(……さっきの仕組み)
鉄の輪。
動いた石壁。
そして、布袋。
莉央は、壁の下を調べた。
そこには、わずかな隙間があった。
カエルなら、頭を入れられそうだった。
(……よし)
莉央は、身体を低くした。
――するっ。
隙間から、内側を覗く。
暗い空間。
その奥には、木製の箱のようなものがあった。
(……隠し場所?)
莉央は、少し考えた。
女性は、何かを交換していた。
しかも、誰にも見られないように。
(……怪しいな)
だが、同時に。
(……もしかして、味方になる?)
莉央は、首を傾げた。
まだ分からない。
この施設で働いている以上、悪人の可能性もある。
だが、少なくとも、ほかの男たちとは違う行動をしている。
(……調べる価値はあるな)
莉央は、隙間から身体を引き抜いた。
そして、建物へ向き直った。
* * *
裏庭の石段を上がると、建物の側面に細い通路があった。
莉央は、壁際の草を伝って進んだ。
途中には、木箱や空の樽が置かれている。
その陰を利用すれば、人間に見つかりにくい。
やがて、建物の裏口が見えた。
先ほどの女性が、そこへ入っていく。
(……追うか)
莉央は、少し迷った。
だが、今は情報が必要だった。
ゴブリンの幽霊が、扉の向こうへすり抜ける。
しばらくして戻ってきた。
「ギャ」
そして、莉央に手招きした。
(……大丈夫そう?)
莉央は、扉の下を見た。
隙間は狭い。
だが、横の石壁には、古い排水穴があった。
(……また穴かよ)
莉央は、心の中で苦笑した。
(……カエルになってから、穴ばっか通ってんな)
身体を低くする。
頭を押し込む。
そして、するりと建物の中へ入った。
* * *
そこは、小さな作業室だった。
壁には、掃除道具。
棚には、布や食器。
床には、水桶が並んでいる。
(……使用人の部屋か)
莉央は、棚の下へ潜り込んだ。
女性は、机の前に立っていた。
先ほどの布袋を開いている。
中から出てきたのは、小さな紙片だった。
女性は、紙を広げた。
しばらく見つめる。
そして、静かに呟いた。
「……やっぱり、明日の朝なのね」
(……ん?)
莉央は、耳を澄ませた。
女性は、紙を握りしめた。
「……間に合うかしら」
(……何が?)
女性は、深く息を吐いた。
そして、棚から小さな包みを取り出した。
中には、パンと干し肉が入っていた。
(……食べ物?)
女性は、それを布で包み直した。
さらに、水の入った小さな瓶を用意する。
そして、扉の方へ向かった。
(……どこ行くんだ?)
莉央は、慎重に後を追った。
* * *
女性は、地下へ続く階段を降りていった。
莉央は、壁際の排水溝を使って進んだ。
地下通路。
鉄格子のついた扉。
そして、見張りの兵士。
(……あ)
莉央は、身を伏せた。
女性は、兵士へ声をかけた。
「夜食を持ってきました」
「……またか」
兵士は、面倒くさそうに言った。
「毎晩ご苦労なことだ」
「仕事ですから」
女性は、静かに答えた。
兵士は、包みを受け取った。
そして、中を確認する。
「……パンと干し肉か」
「水もあります」
「分かった。置いていけ」
女性は、少しだけ躊躇した。
「……中の人たちに、ちゃんと渡してくださいね」
兵士は、眉をひそめた。
「分かってる」
「……お願いします」
女性は、頭を下げた。
そして、階段の方へ戻っていった。
(…………)
莉央は、女性の背中を見つめた。
(……あの人)
どうやら、囚われた人々へ食べ物を届けているらしい。
それも、誰にも知られないように。
(……いい人、なのか?)
莉央は、少しだけ希望を感じた。
だが。
兵士は、女性がいなくなると、包みを開いた。
パンを一つ取り出す。
そして、自分で食べ始めた。
(……おい)
莉央は、目を細めた。
(……それ、あの人たちのだろ)
兵士は、残りの包みを棚へ置いた。
そして、椅子に腰を下ろした。
(……クソッ)
莉央は、前脚で石床を押した。
だが、今は飛び出せない。
相手は武器を持った大人の男。
自分は、小さなカエル。
(……我慢しろ)
莉央は、自分に言い聞かせた。
(……今は、我慢だ)
* * *
やがて、兵士は椅子にもたれかかった。
眠そうに目をこする。
莉央は、その様子を見つめた。
(……夜勤か)
兵士は、あくびをした。
そして、鍵束を腰から外した。
――チャリン。
机の上へ置く。
(……鍵)
莉央は、目を細めた。
地下室の扉を開ける鍵。
四人を閉じ込めている部屋の鍵。
もしかすると、その中にあるかもしれない。
(……でも、取れねえ)
莉央は、前脚を見つめた。
鍵束は、今の自分には大きすぎる。
持ち上げることなどできない。
そのとき。
ゴブリンの幽霊が、莉央の隣へ近づいた。
「ギャ」
(……ん?)
ゴブリンは、机の上を指さした。
そして、階段の方を指さす。
(……あ)
莉央は、目を細めた。
(……あの女の人か)
鍵を扱える人間。
そして、囚われた人々を気にかけている人間。
もし、あの女性が協力してくれれば。
(……いけるかもしれねえ)
莉央は、静かに頷いた。
だが、問題がある。
自分は、カエル。
人間の言葉を話せない。
(……どうやって伝える?)
莉央は、考え込んだ。
そのとき。
通路の向こうから、少女の声が聞こえた。
「……お水、まだ?」
莉央は、顔を上げた。
あの少女だった。
兵士は、面倒くさそうに答えた。
「うるさい。朝まで待て」
(……っ!)
莉央は、身体を硬くした。
少女は、それ以上何も言わなかった。
地下通路に、静けさが戻る。
莉央は、ゆっくりと目を閉じた。
(……決めた)
もう、見ているだけではいられない。
あの女性に、何とかして伝える。
四人を助けたい。
そのために、自分にできることを探す。
莉央は、ゴブリンの幽霊を見た。
「ケロ」
ゴブリンは、力強く頷いた。
「ギャ!」
小さなカエルと、小さな幽霊。
二人は、再び地下の暗闇へ向かって動き始めた。
明日の朝まで、残された時間は少ない。
だが、まだ希望は消えていなかった。
――第17話・完――
次のエピソードは…
莉央は、食べ物を届けていた女性に接触する方法を考え始める。しかし、人間の言葉を話せないカエルが、自分の意思を伝えるのは容易ではない。さらに、女性が密かに利用していた石壁の仕掛けには、施設の過去に関わる秘密が隠されていた。翌朝の移送が迫る中、莉央は初めて人間の協力者を得られるのか――。




