第16話 名前を知る魔道具
包丁2本で異世界転移した少女は、今日も敵を許さない
第一章 森の向こうの世界
第16話 名前を知る魔道具
《召喚対象記録との照合を開始》
(…………は?)
黒瀬莉央は、青白く光る金属の輪を見つめた。
場所は、ベルクハイム郊外にある謎の施設。
その地下保管室。
木箱の隙間から漏れる光が、石床を淡く照らしている。
(……ちょっと待てよ)
莉央は、頭の中で必死に考えた。
(……何で私の名前を知ってんだ?)
この世界に来てから、自分の名前を名乗った相手などいない。
そもそも、最初に出会ったのはゴブリンたちだった。
人間の言葉で自己紹介する機会すらなかった。
なのに。
《対象個体――黒瀬莉央》
間違いなく、自分の名前だった。
(……気持ち悪っ)
莉央は、一歩後ずさろうとした。
だが、カエルの後脚が木箱にぶつかった。
――コツ。
(……っ!)
小さな音だった。
しかし、静かな地下室では妙に大きく響いた。
莉央は、慌てて身体を伏せた。
扉の向こうから、靴音が聞こえる。
――カツン。
――カツン。
(……やべえ)
誰かが近づいてくる。
青白い光は、まだ消えていない。
(……おい、止まれよ!)
莉央は、金属の輪を睨んだ。
だが、魔道具は構わず声を響かせた。
《照合中》
《照合中》
《記録不一致》
(……え?)
《対象個体の現在形態が登録情報と一致しません》
(……そりゃそうだろ!)
莉央は、思わず心の中で叫んだ。
(……今カエルなんだから!)
そのとき。
ゴブリンの幽霊が、金属の輪へ近づいた。
「ギャ……?」
小さな手を伸ばす。
もちろん、触れることはできない。
指先は、青白い光をすり抜けた。
だが。
――トクン。
光が、一瞬だけ揺れた。
(……ん?)
莉央は、目を細めた。
ゴブリンが、もう一度手を伸ばす。
――トクン。
再び、光が揺れた。
《未登録霊体反応を検知》
(……霊体?)
莉央は、ゴブリンを見た。
ゴブリンも、驚いたように自分の手を見つめている。
《対象個体との霊的結合を確認》
《識別処理を一時中断》
青白い光が、弱くなった。
(……お?)
莉央は、思わず顔を上げた。
(……止まった?)
ゴブリンは、莉央の方を向いた。
「ギャ♪」
(……お前、何した?)
もちろん、返事はない。
ただ、嬉しそうに笑っているだけだった。
だが、莉央には分かった。
ゴブリンが何かをしたというより、魔道具の方が幽霊に反応したのだ。
(……《霊寄せ》か?)
焼け落ちた集落で手に入れた能力。
死者の霊を引き寄せる、不思議な力。
その力が、魔道具の認識を乱したのかもしれない。
しかし、考える時間はなかった。
――カチャ。
扉の取っ手が動いた。
(……っ!)
莉央は、木箱の陰へ飛び込んだ。
* * *
――ギィ……。
扉が開いた。
入ってきたのは、灰色の外套を羽織った男だった。
片手にはランタン。
もう片方には、小さな帳簿を持っている。
「……妙だな」
男は、保管室を見回した。
「反応があったはずだが」
(……うわ)
莉央は、木箱の裏側で身を縮めた。
(……やっぱり、あの光がバレたか)
男は、中央の机へ向かった。
そこに置かれた紙を確認する。
「……異界反応?」
男は、眉をひそめた。
「この施設に、召喚対象などいるはずがない」
(……いるんだよ、ここに)
莉央は、心の中で呟いた。
(……カエルだけどな)
男は、金属の輪へ近づいた。
青白い石は、すでに弱い光へ戻っている。
「……記録不一致か」
男は、帳簿を開いた。
「……誤作動か?」
しばらく考え込む。
そして、輪の周囲に刻まれた文字を確認した。
「霊体干渉……?」
(……っ)
莉央は、息を潜めた。
男は、低く呟いた。
「……この辺りに、霊術師でもいるのか?」
ゴブリンの幽霊が、莉央の隣で首を傾げた。
「ギャ?」
(……お前だよ、多分)
莉央は、苦笑した。
だが、男はそれ以上調べなかった。
「……明日の準備が先だな」
帳簿を閉じる。
そして、部屋を出ていった。
――バタン。
扉が閉まる。
(……ふう)
莉央は、ようやく身体を起こした。
(……助かった)
だが、安心はできなかった。
あの男は、異界反応に気づいていた。
もし、もう一度魔道具が作動すれば。
(……今度こそ見つかるかもな)
* * *
莉央は、保管室の奥へ進んだ。
魔道具には近づかない。
今度こそ、余計な反応を起こしたくなかった。
ゴブリンの幽霊が、先へ進む。
「ギャ」
(……何かある?)
ゴブリンは、壁の向こうへ消えた。
しばらくして戻ってくると、莉央の前で両手を振った。
そして、床を指さす。
(……下?)
莉央は、周囲を見た。
石床。
木箱。
棚。
そして、壁際に置かれた大きな樽。
(……あれか?)
莉央は、樽の下へ近づいた。
そこには、床板の隙間があった。
よく見ると、石床の一部に木製の蓋がはめ込まれている。
(……地下の地下?)
莉央は、目を細めた。
蓋の端には、小さな隙間があった。
そこから、冷たい空気が流れてくる。
(……何だよ、この施設)
莉央は、身体を低くした。
――するっ。
頭を押し込む。
前脚。
腹。
後脚。
――ぽてっ。
身体が、下へ落ちた。
(……うわっ!)
莉央は、湿った土の上へ着地した。
そこは、狭い空間だった。
頭上には木製の蓋。
周囲には石の壁。
そして、横へ続く細い通路。
(……何だ、ここ)
莉央は、顔を上げた。
ゴブリンの幽霊が、嬉しそうに浮かんでいる。
「ギャ♪」
(……お前、よく見つけたな)
莉央は、小さく笑った。
しかし、すぐに表情を引き締めた。
通路の奥から、人間の声が聞こえてきたからだ。
* * *
「……明朝、移送する」
男の声だった。
「どこへ?」
「北の旧礼拝堂だ」
「……あそこか」
「ああ。召喚陣の基礎は、すでに組んである」
(……旧礼拝堂?)
莉央は、耳を澄ませた。
どうやら、この狭い通路は、別の部屋の床下へ続いているらしい。
頭上から、声が響いていた。
「例の娘は?」
「適性を調べる」
「……失敗したら?」
「別の候補を使う」
「ほかの三人は?」
「商会へ戻す。値がつけば売ればいい」
(……っ!)
莉央は、身体を硬くした。
(……何だよ、それ)
四人のうち、少女だけが特別扱いされている。
ほかの三人は、単なる商品。
少女は、召喚術の実験に使われるらしい。
(……クソッ)
莉央は、前脚で土を押した。
頭上の男たちは、さらに話を続けた。
「……領主府は、そこまでして勇者が欲しいのか?」
「欲しいのは勇者だけじゃない」
「……どういう意味だ?」
「召喚に成功すれば、異界から知識や技術も得られる」
「……なるほど」
「戦争に使えるものなら、なおさらだ」
(…………)
莉央は、動きを止めた。
(……戦争?)
勇者召喚。
魔王討伐。
異世界からの英雄。
そういう話だと思っていた。
だが、この国では違うらしい。
勇者の力だけでなく、異世界の知識や技術まで利用しようとしている。
(……おいおい)
莉央は、目を細めた。
(……私の世界の人間を、兵器扱いするつもりかよ)
男たちの声が、さらに低くなった。
「……国境の向こうでは、すでに成功例があるそうだ」
「本当か?」
「確証はない。だが、噂は広がっている」
「……それで焦っているのか」
「そういうことだ」
莉央は、黙って聞いていた。
この世界は、思っていたよりずっと複雑だった。
魔王だけが敵ではない。
人間同士も争っている。
国境を挟んで、互いに力を欲しがっている。
そして、そのために人を犠牲にする者がいる。
(……最低だな)
* * *
やがて、男たちの声が遠ざかった。
莉央は、狭い通路の奥へ進んだ。
そこには、木製の格子があった。
格子の向こうには、小さな空間が見える。
壁際には、古い石段。
その先には、外へ続く扉があった。
(……出口?)
莉央は、目を細めた。
ゴブリンの幽霊が、格子の向こうへすり抜ける。
そして、外の様子を確認して戻ってきた。
「ギャ!」
ゴブリンは、両手を広げた。
それから、何かを指さす。
(……外に出られるってことか?)
莉央は、格子を見た。
木製の棒は、古くなっている。
一本が欠け、下に小さな隙間があった。
(……よし)
莉央は、身体を低くした。
――するっ。
格子を抜ける。
石段の下へ出た。
そこから、扉の下の隙間を覗く。
外には、月明かりが差し込んでいた。
(……あ)
莉央は、少し驚いた。
どうやら、建物の裏側に出られるらしい。
扉の下には、カエルが通れるほどの隙間があった。
(……これなら)
莉央は、慎重に身体を押し込んだ。
――するっ。
そして。
――ぽてっ。
冷たい土の上へ出た。
(……外だ)
夜風が、身体を撫でた。
頭上には、星空。
遠くには、木々の影。
そして、目の前には、石造りの建物が並んでいた。
(……なるほど)
莉央は、周囲を見渡した。
ここは、施設の裏庭らしい。
建物の壁際には、薪が積まれている。
その向こうには、細い通路。
そして、鉄の門。
(……逃げ道にはなるな)
莉央は、少しだけ安心した。
だが、すぐに思い出した。
あの四人。
特に、少女。
(……まだ助けてねえ)
莉央は、振り返った。
建物の地下には、今も四人が閉じ込められている。
明日の朝、少女は旧礼拝堂へ運ばれる。
その前に、何かしなければならない。
(……でも)
莉央は、前脚を見つめた。
(……どうやって?)
縄を切れない。
鍵を開けられない。
人間の言葉も話せない。
そして、今はカエル。
(……クソッ)
莉央は、空を見上げた。
星が、静かに瞬いていた。
そのとき。
ゴブリンの幽霊が、莉央の隣へ近づいた。
「ギャ……」
莉央は、幽霊を見た。
(……お前)
ゴブリンは、建物の方を指さした。
そして、今度は鉄の門を指さした。
(……ん?)
莉央は、首を傾げた。
ゴブリンは、何度も同じ仕草を繰り返した。
建物。
門。
建物。
門。
(……もしかして)
莉央は、目を細めた。
(……逃がす道を探せってことか?)
ゴブリンは、嬉しそうに頷いた。
「ギャギャ♪」
(……そっか)
莉央は、少しだけ笑った。
(……お前、頭いいな)
ゴブリンは、得意げに胸を張った。
莉央は、もう一度建物を見つめた。
今の自分にできることは少ない。
だが、何もできないわけではない。
幽霊は壁を抜けられる。
自分は、小さな隙間を通れる。
人間には見えない場所を調べられる。
(……だったら)
莉央は、前脚を踏ん張った。
(……まず、逃げ道を見つける)
そのとき。
遠くから、馬のいななきが聞こえた。
――ヒヒーン。
続いて、男の声。
「……明朝の馬車を用意しろ!」
「了解!」
莉央は、顔を上げた。
建物の向こうで、松明の光が動いている。
誰かが、明日の準備を始めていた。
(……時間がねえな)
莉央は、ゴブリンを見た。
「ケロ」
ゴブリンは、嬉しそうに頷いた。
「ギャ!」
二人は、建物の裏側へ向かって進み始めた。
小さなカエルと、小さな幽霊。
誰にも気づかれない二人の探索が、再び始まった。
――第16話・完――
次のエピソードは…
施設の裏庭へ出た莉央とゴブリンの幽霊は、囚われた人々を逃がすための経路を探し始める。しかし、鉄の門には見張りが立ち、地下室の扉には鍵がかけられている。さらに、翌朝の移送に向けて警備が強化され始めた。そんな中、莉央は施設で働く一人の人物が、ほかの者たちとは違う行動を取っていることに気づく――。




