02 侯爵令息も奇行に走る
ヴィンス・ルシオラ侯爵令息に連れてこられたのは、人っ子一人いない、学園のさびれた裏庭だった。
令息はベンチの隣に座ると、開口一番「アメリアって呼んでいい?」と軽い調子で尋ねる。
「え? はい? なんで?」
「だって俺たち、婚約するんだし」
「は?」
「ついでに俺のことは、ヴィンスって呼んで」
「いやいやいや」
全力で否定して、ちょっとだけ距離を取る。なぜか令息は、不服そうな顔をする。
「なんだよ。俺たちの婚約は、もう決まったことだろう?」
「決まってませんよ。さっきのはダイロン殿下が勝手に叫んでいただけですし、いきなりあんなことを命じられたらあなただって嫌でしょう?」
「嫌じゃないけど」
即答である。なぜ?
「で、でも、私たちは同じクラスとはいえほとんど話したこともないですし、お互いのことをよく知らないし、そもそも親たちが許すわけないじゃないですか」
「俺たちの家が、犬猿の仲と言われているからか?」
「そうです」
力強く首肯すると、ルシオラ侯爵令息も途端に黙り込んでしまう。
我がローヴァル辺境伯家とルシオラ侯爵家は、建国当初から続く由緒正しい家柄である。
でも実は、当時から犬猿の仲と言われるほど、関係はよろしくない。
絶対に相容れない、不倶戴天の敵同士、とまで言われることもある。
それは、なぜか。
我が辺境伯家が武芸を尊び、拳で語る武門の家なのに対し、ルシオラ侯爵家は数々の筆頭魔術師を輩出してきた、魔法の象徴ともいえる家門だから。
武力と魔法とは、本来相反する存在。
つまり、両家はこの上なく、相性最悪な間柄なのだ。
お父様なんて、年に数回王都へ出向くたびに「ルシオラのやつめ、次こそは八つ裂きにしてやる!」とか「なーにが筆頭魔術師だ。なめくさりおって」などと暴言の限りを尽くして荒ぶるほどである。
お兄様の話によれば、お父様とルシオラ侯爵は同い年で、学園生時代にもしょっちゅう衝突していたらしい。
それも、カフェテリアの限定スイーツの最後の一つを取り合って決闘したとか、クラス委員長の座をかけて決闘したとか、お互いの先祖自慢が高じて決闘したとか、わりとしょうもない不毛な争いを繰り返していたという。お兄様がチベットスナギツネみたいな顔をして教えてくれた話だから、多分間違いはない(それにしても、決闘が好きすぎない?)。
そんな事情を抱えた両家の縁談なんて、いくらダイロン殿下が衆目の前で命じたところで成立するとは思えないのだけど。
そもそも、あんな行き当たりばったりのふざけた命令に効力なんてないのでは?
高を括る私に、ルシオラ侯爵令息は嬉々として言った。
「じゃあ、お互いの親を説得できればいいってことだよな?」
曇りなき眼である。なぜ?
「……ほ、本気で言っているのですか……?」
「もちろん。君だって、いきなり婚約者がいなくなるなんて事態は避けたいだろう? それとも、まだダイロン殿下に気持ちが残っているとか……?」
「そんなわけないでしょう?」
「好きだったから、殿下のぞんざいな扱いにも耐えていたんじゃなくて?」
「違いますよ。半ば王命で決められた婚約だったからです。だいたい、あそこまであからさまに疎んじられて、好きになれると思います?」
「じゃあ、決まりだな」
そう言って、ルシオラ侯爵令息はその端正な顔に薄い笑みを浮かべる。
「これからよろしく頼むよ。アメリア」
許した覚えはないのだけど、勝手に名前呼びされてしまった。解せない。
◇・◇・◇
週末、話を聞きつけたお父様が辺境伯領から単騎で駆けつけた。
「アメリア! ルシオラのせがれに手籠めにされたというのは本当か!?」
いや、全然違うから。なんでそうなる。
「お父様、私の手紙をちゃんと読んだのですか?」
「読んだとも! だからこうして駆けつけたんじゃないか!」
「だったらまず、ダイロン殿下との婚約破棄のほうを問題にすべきでしょう?」
「そっちは別にいいんだ。こちらにしてみれば、はじめから望まない婚約だったわけだしな」
不愉快さを滲ませて、お父様が吐き捨てる。
そう。
ダイロン殿下との婚約は、ローヴァル辺境伯家にとって厄介極まりない話だったのだ。
巷では、辺境伯家が王家とのつながりを求めて決まった婚約だと思われていたようだけど、実際は真逆である。隣国マグノールの度重なる侵攻に対し、辺境伯家の更なる忠誠と献身を求めて婚約を打診してきたのは、むしろ王家のほう。
お父様なんか、「凡庸と噂のダイロン殿下にうちの可愛い娘をくれてやるつもりはない!!」とかなんとか言って、だいぶ抵抗していたのだ。
それでも、王家は半ば強引にこの婚約を決めてしまった。
見た目は武骨で言動にも難ありなお父様だけど、常に家族のことを一番に考えてくれる、愛に溢れた人なのである。
「ダイロン殿下との婚約は、恐らく白紙になるだろう。無能な殿下が大勢の人間の前で、堂々と宣言してしまったのだからな。王家も今更取り消すことは不可能だと諦めたようだ」
「婚約破棄ではなく、白紙撤回ということですか?」
「ああ。婚約自体をなかったことにしたいらしい。恐らく王家は、非を認めたくないのだろうよ」
「お父様はそれでいいのですか?」
「お前こそ、どうなんだ? 学園に入学して以降、殿下がお前を冷遇しているという話は辺境伯領にも届いておる。お前が許せないというのなら、父はこのまま王城に単騎で乗り込み大将の首を獲ってくることもやぶさかでないのだが?」
「お父様、相変わらず血の気が多すぎます」
容赦なくツッコむと、お父様は「がははは」と上機嫌で笑う。
多分、婚約が決まった当初は、そこまでダイロン殿下に嫌われてはいなかったと思うのだ。
次第に距離ができて、わかりやすく蔑ろにされ始めたのは、学園に入学してから。
殿下はあのとき、婚約破棄の理由を「田舎者」だし「粗野で野蛮」だから「王子妃にふさわしくない」なんて言っていたけど、本当の理由は、多分違う。
ただひたすら、私が強かったから。
これに尽きる。
いや、私としては、武門の家に生まれた以上、心身の鍛錬を怠らなかっただけである。普通に鍛えていただけ。そりゃあ、多少、遺伝的な資質はあったかもしれないけど。だってほら、『血まみれ辺境伯』の娘だし。
でも、如何せん強すぎた。
剣術の授業で、私に勝てる人間がいないくらいに。
学園の剣術の授業は、将来騎士を目指す者のほとんどが選択する。だから当然、男子が多い。
ただし、今のところ私より強い令息は、皆無なのである。
何をどうやっても私に勝てない騎士志望の令息たちは、いつからか私を『脳筋令嬢』と呼んで揶揄するようになった。
そして、クラスは違えど剣術の授業を選択していた殿下も、桁外れの私の強さを耳にしたらしいのだ(噂の真偽を確かめるため、隠れて見ていたという話もある)。
だからどんなに淑女ぶっても、令嬢としての所作やマナーを完璧にしても、「粗野で野蛮」などと蔑まれるようになってしまった。まったくもって、心外である。
結局、殿下は私を徹底的に冷遇し続け、最終的にはあの婚約破棄公開宣言に至ったわけだけど。
「殿下との婚約がなくなるのは喜ばしいが、だからといって、なぜあのルシオラとの縁談に応じねばならんのだ。殿下の戯れ言など、放っておけばいいだろう!」
お父様が語気を強めるのも、無理はない。
両家の間に横たわる溝は思いの外大きく、天地がひっくり返っても不仲が解消されることはないとさえ言われてきたのだから。
その定説を、ルシオラ侯爵令息は見事にひっくり返してしまうのである。




