14 王太子を足蹴にする天才魔術師
王太子であるカストル殿下に呼び出されたのは、そんなときだった。
「大変な目に遭ったそうだね、アメリア嬢」
模擬戦の騒動もお茶会でのことも、カストル殿下は当然聞き及んでいるらしい。
「何事もなかったのは、不幸中の幸いではあるが」
「お気遣いありがとうございます」
「半分以上、俺の深くて重い愛情のおかげだけどな」
横から口を挟むヴィンスに、殿下はちょっと吹き出している。「『深くて重い』とか自分で言うんだ?」などとツッコミを入れている。
「実は、今日来てもらったのは例のフリュムについて、もう少し詳しい話を聞きたくてね」
そう言ったカストル殿下は、とても深刻そうな顔つきになった。
「フリュムの被害が年々拡大していることは、君たちも知っているだろう? どうも市井を中心に、人知れず出回っているらしくてね。密売が横行し、多量摂取で精神に異常をきたす平民が増えているのは事実なんだ」
「それは、由々しき事態ですね」
「ルシオラ侯爵が解析を急いでくれてはいるが、如何せんフリュムは実態の掴めない、謎の魔法薬でもある。今後の取り締まりについて策を練るうえでも、ぜひフリュムを直に目にしたアメリア嬢から話を聞きたいと思ったんだよ」
殿下はどうやら、フリュムの存在とその影響について、思った以上に重く受け止めているらしい。
さすがは、王族で唯一まともな王太子。
平民の間で広がる憂慮すべき状況に、きちんと目が向いているのだ。
だから私は、お茶会の一部始終について丁寧に説明した。
「甘い匂い……?」
「はい。媚薬のほとんどは甘い匂いがする、と王子妃教育で習っていましたし、あのとき用意された紅茶を鼻先に近づけたら、紅茶本来の花のような香りの中に妙に人工的な甘い匂いと独特の渋みというかえぐみというか、そういう匂いが混じっていることに気づきまして」
「それは、誰でもわかるようなレベルの匂いなのか?」
「いや、多分無理だと思うよ」
ヴィンスがあっさり、しかもぞんざいに言い返す。
「俺も現物の匂いを嗅いでみたけど、ちょっと甘い匂いがするか? くらいのレベルだったから」
「ではなぜ、アメリア嬢はその匂いに気づくことができたのだ?」
「だから、俺の深くて重い愛情のおかげだって」
「……それ、全然答えになっていないだろう……?」
困惑したようにヴィンスを見返しつつも、カストル殿下は不意に思案顔になる。
「味に関しては不明だが、匂いもわずかとなると、フリュムの混入に気づかず摂取してしまうことはあり得るだろうな。誰が何の目的で開発した魔法薬なのかは知らないが、人々の心身の健康を害する以上、何らかの強い悪意があってのことに違いない。おまけに、市井での売買が広がっている状況を考えれば、フリュムの密売を手掛ける悪辣で卑劣な組織が存在するのだろう」
カストル殿下のつぶやきにも似た言葉に、私はふと考え込んでしまう。
フリュムを開発し、密かに市井に広めている悪質な組織と、私たちの婚約――ひいてはローヴァル辺境伯家とルシオラ侯爵家の結びつき――に警戒を強め、不和を目論む輩とは、恐らく同じ人間だろう。
ネリッサ様にフリュムを手渡し、悪事をそそのかしたとされる老婆も、その組織の一員という気がする。
となると、私たちをつけ狙い、害そうとする敵は、思った以上に得体の知れない厄介な相手なのかもしれない。
思わず身震いしてしまった私の手を、ヴィンスがそっと握った。
そして、からりと言い放つ。
「とにかくさ、俺たちはこれからもその得体の知れない悪の組織に狙われる可能性があるわけだし、殿下だって一国の王太子なんだから、どこでどう狙われるかわからない。来月には建国記念祭もあるんだ。そこで命を狙われた、なんてことになったらシャレにならないだろ?」
「まあ、確かにな」
「アメリアのことは俺が絶対に守るつもりだし、俺のことはアメリアが守ってくれるから、殿下は殿下でちゃんと自衛してくれよ」
「なんだそれ。お前は私を守る気がないのか」
「だって俺、殿下よりアメリアのほうが大事だから」
いやいやいや。
そこは本音だとしても、もうちょっと言葉を選ぶとか、オブラートに包んだ言い方をしたほうがよくない……?
殿下もまた、何ともいえない複雑な顔をして「お前はほんとにさ……」なんて言いながら、肩を落としていた。
◇・◇・◇
カストル殿下の執務室を出ようとした瞬間、やけに甲高い声が廊下の先から飛んできた。
「やっと会えるようになって、リナもうれしい~!」
ついつい、三人で顔を見合わせる。
ほどなく、予想通り、子爵令嬢リナ様と密着して歩くダイロン殿下が曲がり角から現れた。
「げっ」
わかりやすく仰け反る、ダイロン殿下。その反応は、第二王子としてちょっとどうかと思う。
「あ! やだ! カストル殿下じゃないですかー! それに、ヴィンス様もアメリア様も、お久しぶりですぅ」
まったくもって悪びれる様子もなく、リナ様がきゃんきゃんはしゃいでいる。
「ダイロン、リナ嬢を王城に連れてくるのは控えるようにと、あれほど言ったであろう」
カストル殿下の冷ややかな声に、ダイロン殿下は面白くなさそうな顔をした。
「たまにはいいじゃないですか」
「たまにじゃないから言っているんだ」
「はあ。めんどくさ」
「ダイロン!」
「兄上に迷惑をかけるわけじゃないんだし、別にいいでしょう? 僕の私室に連れていきますから」
「それが問題だと言っているんだ! 婚約者でもない未婚の令嬢を私室に招き入れるなど――」
「兄上が僕たちの婚約に反対するからでしょう!? 僕は今すぐにでも、リナと婚約したいのに!」
唐突に始まった兄弟げんかを見て、リナ様が目をぱちくりさせている。初めて見たらしい。
私がダイロン殿下と婚約している間も、この二人の兄弟仲は決してよくはなかった。素行のあまりよろしくないダイロン殿下に対し、カストル殿下が苦言を呈する。それにダイロン殿下が反発する。その繰り返し。
ヴィンスも動じていないところを見ると、こういったことはやっぱりよくあるのだろう。
ちなみに、ダイロン殿下の謹慎は、いつのまにかうやむやになっていた。
あのお茶会の騒動のあと、気づいたら殿下が学園に登校していたのだ。謹慎が解かれたという発表も何もなく。
フリュムという謎の魔法薬の出現に社交界や王立学園が大きな衝撃を受ける中、どさくさに紛れて殿下を学園に復帰させてしまったのだろう。陛下のやりそうなことである。
睨み合う王子二人の間に割って入りながら、リナ様は無邪気な声を上げた。
「もう、二人とも、喧嘩なんかしないでくださいよぉ! あ、そうだ! うちの商会で今売り出し中の、炭酸飲料があるんです! これを飲んで、仲直りしましょう?」
リナ様はそう言って、持っていた鞄から細めの瓶を二本取り出した。ガチャガチャと音が鳴っているところを見ると、鞄の中にはまだまだたくさん瓶が入っているらしい。え、その重い瓶、いつも持ち歩いてるの?
渋い顔をしながらも、ダイロン殿下はリナ様から素直に瓶を受け取った。
一方、カストル殿下は腕組みをしたまま、差し出された瓶を受け取ろうとはしない。
「カストル殿下もぜひどうぞ――」
「結構だ」
「えー。そんなこと言わずに、飲んでみてくださいよぉ」
「いや、いい」
カストル殿下はリナ様が差し出す瓶には目もくれず、私とヴィンスに向かって「外まで送ろう」と言いながら歩き出す。
「え、ちょっと! カストル殿下!」
なんとか追いすがろうとしたリナ様が、私の目の前で偶然つまずいた。
その瞬間――――
独特の渋みというかえぐみを含んだ、妙に人工的な甘い匂いが、ふわっと漂った。




