第十五湯 白那さまは、団子を譲らない
今回は、白那と小さき湯番の、団子を巡る小さなお話です。
「絶対に譲らない」と言い張る白那ですが、さて本当に最後まで守り切れるのでしょうか。
戦の気配が近づく中、佐和山の縁側に流れる、少しだけ穏やかな朝をお楽しみください。
第十五湯 白那さまは、団子を譲らない
朝の佐和山は、まだ少しだけ眠たげだった。
山から下りてくる風は涼しく、台所の裏手にある井戸のあたりには、昨夜の湿り気がうっすら残っている。
桶を下ろす綱のきしむ音。
朝餉の支度で動く女中たちの足音。
湯を沸かす釜の、ふつふつという響き。
それらが重なって、城というより、大きな宿の朝みたいだと湊一は思った。
もっとも、目の前にいるのは宿の従業員ではない。
「おい、若旦那。ぼさっと立っておるな。団子が冷めるであろう」
縁側の柱にもたれていた白那が、ふん、と鼻を鳴らした。
白い髪。
白い肌。
朝の薄光を吸って、その輪郭がどこか水気を帯びて見える。
巫女装束の裾をきっちり揃えて座っているくせに、膝の上にはしっかり皿があった。
皿の上には、串に刺さったみたらし団子が三本。
つやつやとした飴色のたれが朝日に照らされて、実にうまそうだ。
「朝から団子かよ」
「供物じゃ」
「昨日も供物って言って食ってたよな」
「神は毎日供えられてもよい」
「神側の欲望が、だだ漏れなんだよ」
白那は答えず、一本目の団子にかぶりついた。
もぐ、もぐ、と頬を小さく動かす。
その横顔は妙に幸せそうで、言っていることの胡散臭さが増していた。
湊一は苦笑して、縁側の端に腰を下ろした。
昨日、井戸の祠を巡るひと騒動があったばかりだ。
あの小さな祠に宿っていた気配。
鈴の音。
水面に広がる、冷たい波紋。
白那があまり多くを語らなかったせいで、結局わかったことは半分ほどだ。
それでも、
――この城には、目に見えないものがちゃんといる。
その実感だけは、以前よりもはっきりしていた。
そして、その実感は湊一だけのものではなかったらしい。
「白那さまー!」
廊下の向こうから、小さな足音がぱたぱたと近づいてきた。
続いて、ひょこっと顔を出したのは、湊一の娘だった。
最近では、城中で「小さき湯番」と呼ばれることも増えている。
両手で大事そうに抱えているのは、小さな包み。
目がきらきらしているあたり、どう見てもろくなことではない。
「おはようございます!」
「うむ」
「おはよう。朝から元気だな」
「はいっ。きょうは、だんごをもらいました!」
そう言って、娘は包みを開いた。
中から出てきたのは、小ぶりの団子が二串。
台所の女たちが、朝の手慰みに丸めてくれたものだろう。
その瞬間、白那の目がすっと細くなった。
「……ほう」
「え、なにその顔」
「別に」
「完全に警戒してる顔だろ」
娘はそんな空気などまるで気づかず、にこにこしながら白那の隣に座った。
最近覚えたらしい遠慮の仕方で、裾を踏まないようにちょこんと座るのが可笑しい。
「白那さま、たべますか?」
「いらぬ」
「えっ」
「わらわには、これがある」
白那は自分の皿を、すっと胸元へ引き寄せた。
まるで、敵から宝を守る猫である。
娘はきょとんとしたあと、何かに気づいたように目を丸くした。
「もしかして、白那さま、だんごすきですか」
「好きではない」
「でも、たべてます」
「供物じゃ」
「おいしいですか」
「……まずくはない」
「すきなんですね」
「違う」
湊一は吹き出しそうになるのをこらえた。
娘の無邪気さは、ときどき城内の権威や神秘を平気で踏み越えていく。
白那は不機嫌そうに二本目の団子へ手を伸ばした。
それを見た娘は、「わあ」と嬉しそうに身を乗り出す。
「みたらし!」
「見ればわかる」
「つやつやしてます」
「見ればわかる」
「ひとつ、ください」
「だめじゃ」
即答だった。
「ええー」
「これは、わらわの供物である」
「でも、わたしもだんごあります」
「ならば、それを食え」
「でも、白那さまの、つやつやのです」
「なおさら、だめじゃ」
白那は皿を抱えたまま、身体ごと少し離れた。
娘はそれを見て、むう、と頬をふくらませる。
年の近い子ども同士の喧嘩にしか見えないのが困る。
「神さま、けちです」
「誰がけちじゃ」
「だって、ひとつもくれません」
「当たり前じゃ。団子は譲らぬ」
「そんなに?」
「そんなにじゃ」
きっぱり言い切った白那は、どこか誇らしげですらあった。
譲らないことに胸を張るな。
湊一が呆れていると、娘はしばらく考え込み、それから自分の団子を一本差し出した。
「じゃあ、はんぶんこならいいです」
「は?」
「わたしの、ひとつあげます。だから白那さまの、ひとつください」
「交換条件を持ち出すな、小娘」
「こうかんじゃなくて、なかよしです」
「雑に美名を貼るでない」
白那は眉を寄せた。
娘は団子を差し出したまま、じっと白那を見上げている。
断られても引っ込めないあたり、こういうところは母親譲りなのかもしれない。
やわらかいのに、意外と頑固だ。
しばしの沈黙のあと、白那はふい、と顔をそむけた。
「……要らぬ」
「えー」
「わらわは、そなたの団子が欲しいわけではない」
「じゃあ、白那さまのをください」
「だから、譲らぬと言うておる!」
堂々巡りである。
娘は、しゅんと肩を落とした。
さすがに可哀想になったのか、湊一が口を挟もうとした、その時だった。
「ただし」
白那が、ぼそりと言った。
娘が、ぱっと顔を上げる。
白那はものすごく嫌そうな顔のまま、串を一本持ち上げた。
「ひとつだけじゃ」
「ほんと?」
「半分だけじゃぞ」
「ほんとに!?」
「騒ぐな。朝からうるさい」
「やったあ!」
娘は両手を叩いて喜んだ。
白那はその勢いに押されたように、団子を一つ串から外し、指先でちぎる。
半分にするつもりが、少し大きく割れてしまったらしい。
白那は、一瞬だけ眉をひそめた。
そして、より大きいほうを――ほんの一瞬ためらってから――娘の掌に乗せた。
「ほれ」
「いいの?」
「今さら、返せとも言えぬであろう」
「ありがとうございます、白那さま!」
「……別に、礼は要らぬ」
娘は、さっそく団子を口に入れた。
みたらしのたれが口元について、嬉しそうに目を細める。
「おいしい!」
「そうか」
「白那さまのだんご、すごくおいしい!」
「わらわのではない。台所の者が作った」
「でも、白那さまのだんごです」
「違う」
「白那さまがもってたから、白那さまのです」
「理屈が雑すぎる……」
そう言いながらも、白那の声は少しだけ柔らかかった。
湊一は、その横顔を見る。
白那は相変わらず、不機嫌そうな顔をしている。
だが、娘が団子を頬張るたびに、ちらりとその様子を確認しているのがわかった。
まるで、自分がやったことを悟られたくない猫みたいだ。
「なんだよ。結局、あげるんじゃん」
「うるさい、若旦那」
「最初からそうすればよかっただろ」
「わらわにも面子というものがある」
「団子の面子ってなんだ」
「団子を譲らぬ神としての格じゃ」
「そんな格、いらねえよ」
娘が、くすくす笑う。
白那はむっとした顔で三本目の団子に手を伸ばしたが、その途中で娘の視線に気づき、動きを止めた。
「……なんじゃ」
「まだ、ありますね」
「あるな」
「もうはんぶんこ、しますか?」
「しない」
「えー」
「しない」
「すこしだけ」
「しない」
「ちょっとだけ」
「しつこい!」
白那は、ぺちんと娘の額を軽く指で弾いた。
痛くはない程度の、ただの牽制だ。
娘は「いたっ」と言いながら笑っている。
その光景に、湊一の胸の奥が少しだけ温かくなった。
戦の気配は、たしかに近づいている。
城の外では人の思惑が渦を巻き、城の内でも、誰が味方で誰が敵か簡単には言い切れない。
それでもこうして、朝の縁側で団子の取り分を巡って揉めている時間がある。
それはきっと、守りたいものの輪郭なのだ。
「若旦那」
「ん?」
「そなたも欲しいのか」
「いらねえよ」
「そうか。ならば見るな」
「見てねえよ」
「見ておる」
「見てたとしても、別に食いたいわけじゃない」
「ふん。強がりを言うでない」
白那はそう言って、最後の一本を自分のほうへ引き寄せた。
ところが、娘がじっと見ているのに気づくと、また少しだけ顔をしかめる。
「……なんじゃ、その目は」
「白那さま」
「だめじゃ」
「まだ、なにも言ってません」
「どうせ、団子を寄越せと言うのじゃろう」
「ちがいます」
「なら、何じゃ」
「白那さまも、おいしいときは、おいしいって言うんだなって」
「……は?」
娘は、にこっと笑った。
「前は、ぜんぶ『ふつう』とか『まずくはない』とかでした」
「……」
「でも、さっき、ちょっとだけ、うれしそうでした」
「気のせいじゃ」
「そうかなあ」
「そうじゃ」
「じゃあ、またこんど、いっしょにだんごたべましょうね」
「約束した覚えはない」
「しました」
「しておらぬ」
「いま、しました」
「人の言葉を勝手に増やすでない!」
娘はけらけら笑い、白那は本気で嫌そうな顔をする。
だが、その耳の先がほんの少しだけ赤くなっているのを、湊一は見逃さなかった。
白那は、こういうところがある。
大仰に神ぶって、人をからかって、偉そうに命じて、いかにも「わらわは人の情など知らぬ」みたいな顔をする。
くせに、子どもが腹を空かせていれば気にする。
泣きそうな顔をされれば、団子を割る。
自分が譲ったと認めるのは癪だから、最後まで不機嫌な顔を崩さないだけだ。
その不器用さが、少しずつ城の者たちにも知られ始めている。
「若旦那」
「なんだ」
「笑うな」
「笑ってない」
「笑っておる」
「ちょっとだけな」
「腹立たしい」
白那はついに、最後の団子を口へ放り込んだ。
むぐむぐと頬を動かしながら、じとっと湊一を睨んでくる。
怖いのか可愛いのか、もはや判別に困る。
娘は、そんな白那の袖をちょんとつまんだ。
「白那さま」
「まだ何かあるのか」
「これ、あげます」
娘が差し出したのは、自分の団子の、いちばん最後のひと玉だった。
「さっき、もらったぶんのおれいです」
「……」
「白那さまのほうが、だんごすきだから」
「好きではない」
「でも、白那さまにあげたいです」
「……」
白那は、しばらくその団子を見つめていた。
断るなら、いつものようにすぐ断れたはずだ。
だが今日は、なぜかそうしなかった。
白い睫毛が伏せられ、わずかに迷うような間が落ちる。
やがて白那は、小さく息をついた。
「……では、供物として預かってやろう」
「はい!」
「ただし」
「はい?」
「次は、もっと大きいものを持ってくるがよい」
「えーっ」
「神への捧げ物は、多いほどよい」
「けっきょく、だんごすきなんじゃん」
「若旦那、黙れ」
白那は娘から団子を受け取り、ほんの少しだけ口元を緩めた。
すぐに、いつもの澄ました顔へ戻ったけれど、娘はそれをちゃんと見ていたらしい。
うれしそうに、白那へ身体を寄せる。
白那は「近い」と文句を言いながら、追い払わなかった。
その時、台所のほうから声がした。
「若旦那さまー!」
朝餉の支度で、手が足りないのだろう。
湊一は返事をしながら立ち上がった。
「行ってくる。白那、あんまり娘を甘やかすなよ」
「甘やかしておらぬ」
「どう見ても甘やかしてる」
「見間違いじゃ」
「白那さま、まただんごたべましょうね!」
「……気が向けばな」
湊一は笑って、廊下を台所のほうへ向かった。
背中越しに、娘の弾む声と、白那のぶっきらぼうな返事が聞こえる。
――そう遠くない未来。
この小さなやりとりが、どれほど大切なものになるのか。
今の自分は、まだ知らない。
けれどきっと、人はこういう時間のために、帰る場所を作るのだ。
団子を半分こする朝のために。
誰かが「またね」と言える、縁側のために。
戦の前であっても。
戦の中であっても。
それを失わないために。
湊一はそう思いながら、湯気の立つ台所へ足を速めた。
背後で白那が、聞こえるか聞こえないかの声で言った。
「……次は、こし餡でもよいな」
「しろなさま、いまなんて?」
「何でもない!」
娘の笑い声が、朝の佐和山にころころと転がった。
関ヶ原まで 六十三日
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
団子を譲らないはずの白那さま。
けれど、小さき湯番を前にすると、ほんの少しだけ甘くなってしまうようです。
こうした何気ない時間が、やがて湊一たちにとって「守りたい帰る場所」へと変わっていきます。
次回、第十六湯。
左近が、湊一の覚悟を試します。
湯宿の若旦那が掲げる優しさは、戦国の世でも通じるのか。
佐和山に、少し冷たい風が吹き始めます。




