第十三湯 福島、膳を睨む
第十三湯です。
今回は、石田三成とは何かと反りの合わない男【福島正則】が佐和山を訪れます。
理屈より先に腹が立ち、疑う時には膳まで睨む。
そんな男に、湊一の「もてなし」は通じるのでしょうか。
白那も、もちろん黙ってはいません。
第十三湯 福島、膳を睨む
佐和山に、やたらと大きな声が響いた。
「三成はおるか!」
城門の内側にいた者たちが、一斉に肩を跳ねさせる。
怒鳴り声だけで門番を二、三人ほど吹き飛ばせそうな勢いだった。
俺は書付から顔を上げ、深く息を吐いた。
「……朝から元気だな」
「呑気なことを申しておる場合か」
井戸端に腰掛けていた白那が、団子をくわえたまま言った。
「ありゃあ、客ではない。嵐じゃ」
「客だ」
「門を壊しそうな客がおるか」
「戦国時代にはいるんだろう」
「おぬし、戦国に慣れる方向を間違えておらぬか」
白那の言うことはもっともだった。
だが、門前で叫んでいる男を放置するわけにもいかない。
俺は左近を伴い、城門へ向かった。
そこに立っていたのは、日に焼けた大柄な武将だった。
太い眉。
鋭い目。
何もしていなくても、何かに腹を立てているような顔。
福島正則。
豊臣恩顧の武将にして、武勇で知られる男。
そして石田三成とは、かなり相性が悪い。
歴史の授業でも、確かそんな扱いだった。
実際に会ってみると、相性以前に声が大きい。
「遅いぞ、三成!」
「まだ呼ばれてから、それほど経っておらぬ」
「言い訳をするな!」
理不尽だ。
旅館でこれをやられたら、まず予約台帳を確認するところだ。
だが、ここは戦国である。
予約台帳もなければ、クレーム対応の手引きもない。
あるのは腰の刀と、気の短い武将だけだ。
俺は正則の後ろへ目を向けた。
供回りの者たちは、土と汗にまみれていた。
馬も疲れている。
どうやら急いで来たらしい。
「何用だ」
「何用だと?」
正則は眉間の皺を深くした。
「妙な噂を聞いた。おぬしが佐和山で湯を沸かし、百姓や流れ者まで城に入れておるとな」
「それがどうした」
「城は宿ではない!」
やはり言われた。
俺自身、最近はときどき忘れそうになるが、佐和山は湯宿ではない。
城である。
ただし今の佐和山には、炊き場があり、湯殿があり、井戸端には白那がいて、団子を供物と言い張っている。
傍から見れば、かなり怪しい。
「戦支度もせず、飯だの湯だのと。三成、おぬし、何を企んでおる」
「疲れた者に飯を食わせ、汚れた者を湯に入れている」
「そのままではないか!」
「だから、そう言っている」
正則のこめかみに青筋が浮かんだ。
左近が一歩前へ出ようとしたので、俺は手で制した。
この男に理屈を積み重ねても、たぶん余計に怒る。
まずは別の手が必要だ。
現代の旅館でも、長旅の直後に込み入った説明を始めれば、相手の機嫌はさらに悪くなる。
疲れと空腹は、人間の判断力を確実に奪う。
戦国武将も例外ではない。
「正則」
「何じゃ」
「飯は食ったか」
正則の腹が鳴った。
見事なほど大きな音だった。
城門の周りが、しんと静まる。
正則の顔がみるみる赤くなった。
「……これは馬の腹じゃ」
「馬は後ろにいる」
「では、供の者じゃ!」
供回りの者たちは一斉に目を逸らした。
俺は笑いそうになるのを堪えた。
「話は膳を囲んでから聞く」
「誰がおぬしの膳など!」
再び腹が鳴った。
今度は、先ほどよりも長かった。
白那が俺の後ろから顔を出す。
「勇ましい腹じゃのう」
「何じゃ、この小娘は!」
「小娘ではない。水守じゃ」
白那は胸を張った。
その手には、しっかり団子が握られている。
正則は白那を上から下まで見た。
「水守が、なぜ団子を食っておる」
「供物じゃ」
「自分で持っておるではないか」
「細かい男じゃのう」
白那に細かい男と言われるとは、正則も災難である。
「よいから来い」
俺は城内を指した。
「毒など入れておらぬ」
「当たり前じゃ! そんなことを申されると、かえって怪しいわ!」
確かにそうだった。
俺は少し反省した。
それでも正則は、供回りの者たちの疲れた顔を見たあと、渋々城内へ入った。
◇
用意させたのは、特別な膳ではなかった。
炊きたての麦飯。
豆と根菜を煮た汁。
川魚の塩焼き。
香の物。
豪華さよりも、温かさを優先した膳だ。
正則は膳の前に座り、じっと料理を睨んでいた。
「食わぬのか」
「見ておる」
「魚に恨みでもあるのか」
「何か仕込んでおらぬか見ておるのじゃ」
「塩を仕込んでいる」
「そういう意味ではない!」
正則は汁椀を持ち上げ、匂いを嗅いだ。
次に麦飯を箸で崩し、魚をひっくり返す。
ここまで疑われると、料理人がかわいそうになってくる。
炊き場の者たちは、柱の陰から不安そうに見守っていた。
白那は少し離れた場所で、団子を食べながら正則を眺めている。
娘もその隣に座り、小さな声で尋ねた。
「白那さま。あのお方は、なぜ膳を睨んでいるのですか」
「飯に負けぬよう、威張っておるのじゃ」
「飯と戦うのですか?」
「大人の男は、ときどき意味のない戦をする」
「聞こえておるぞ!」
正則が振り返った。
白那は素知らぬ顔で団子をかじった。
娘は慌てて白那の後ろへ隠れる。
正則は何か言い返そうとしたが、目の前の汁から立つ湯気に気づき、再び膳へ顔を戻した。
そして、恐る恐る汁を口に含んだ。
動きが止まる。
「どうした」
俺が尋ねても答えない。
正則はもう一口飲んだ。
さらに一口。
気づけば椀の半分ほどがなくなっていた。
「毒が入っていたか」
「……入っておらぬ」
「ならば何だ」
「味が薄い」
そう言いながら、また飲んだ。
「気に入ったのではないか」
「違う。確かめておるだけじゃ」
今度は魚を口へ運ぶ。
皮がぱりりと鳴った。
正則の太い眉が、ほんの少しだけ上がった。
それから麦飯をかき込む。
汁を飲む。
香の物を噛む。
猛烈な勢いだった。
膳を睨んでいた男が、今度は膳に襲いかかっている。
「ゆっくり食え」
「武士に食い方を指図するな!」
「喉に詰まるぞ」
「詰まらぬ!」
その直後、正則は激しくむせた。
俺は黙って水を差し出した。
正則は俺を睨みながら、それを一気に飲み干した。
「……水まで旨いのが腹立たしい」
井戸端の方で、白那が得意げに鼻を鳴らした。
「当然じゃ。誰の水と思うておる」
「おぬしの水か」
「佐和山の水じゃ」
白那はそう言うと、少しだけ真面目な顔になった。
「水は、誰のものでもない。されど粗末に扱えば、誰の喉も潤さぬ」
正則は白那を見た。
先ほどまでの苛立ちとは違う目だった。
だが、すぐに鼻を鳴らす。
「小娘のくせに、生意気な口を利く」
「大男のくせに、団子の一つも供えぬ」
「なぜ俺が供えねばならぬ!」
「客なら手土産くらい持ってまいれ」
「おぬしが客扱いしておらぬではないか!」
二人の言い争いを聞きながら、俺は正則の供回りへ目を向けた。
彼らにも同じ膳が配られている。
最初は遠慮していた者たちも、今は黙々と食べていた。
強張っていた顔が、少しずつ緩んでいく。
旅で冷えた身体に、温かい汁が染みているのだろう。
この顔を、俺は知っている。
現代の湯宿でも何度も見てきた。
長旅を終えた客が、温かいものを口にした時の顔。
豪華な料理でなくてもいい。
まず、身体の奥へ届くもの。
腹が満ちれば、ようやく人は話を聞ける。
「正則」
「何じゃ」
「先ほどの話だ」
正則は箸を止めた。
俺は城内を見回した。
炊き場で働く者。
荷を運ぶ者。
井戸から水を汲む者。
怪我をして休む足軽。
子どもの手を引く女。
武士ばかりではない。
佐和山へ流れ着き、今を生きようとしている者たちだ。
「俺が湯を沸かし、飯を食わせているのは、遊びではない」
「では何じゃ」
「人を残すためだ」
「人を?」
「戦になれば、兵糧がいる。水がいる。怪我人を休ませる場所がいる。兵だけいても、城は保てぬ」
正則は黙って聞いている。
「飯を炊く者。水を守る者。荷を運ぶ者。傷を縫う者。子を育てる者。そういう者がいて、初めて兵は戦える」
「だから百姓や流れ者まで城へ入れると申すか」
「誰でも無条件に入れるわけではない。役目を決め、数を把握し、飯と水を配る」
「おぬしらしい。何でも数にしたがる」
「数えねば、足りぬ者が出る」
「戦とは、その足りぬ中で奪うものじゃ」
正則の声が低くなった。
「優しさだけで城は守れぬぞ、三成」
その言葉には、からかいではない重さがあった。
正則は荒っぽい。
だが、戦場を知らぬ男ではない。
むしろ、嫌というほど知っている。
俺は頷いた。
「分かっている」
「本当にか」
「優しさだけで守れるとは思っていない。だが、奪うことだけで守れるとも思わぬ」
正則の目が細くなる。
「人は、腹が減れば離れる。水がなければ倒れる。帰る場所がなければ、命を懸け続けることはできない」
「帰る場所、か」
「俺は佐和山を、死ぬためだけの城にはしたくない」
正則の箸が止まった。
その顔から、わずかに険が抜ける。
俺の言葉に納得したわけではないだろう。
ただ、先ほどまでとは違うものを見ようとしている。
「おぬしは、変わったな」
やがて正則が言った。
「以前のおぬしなら、飯を出す前に理屈を百ほど並べた」
「今も並べているだろう」
「先に飯を出した」
正則は空になった椀を見る。
「それが気味悪いのじゃ」
褒められたのか、疑われたのか分からない。
おそらく両方だ。
「湯にも入っていけ」
「入らぬ!」
即答だった。
「なぜだ」
「三成の城で裸になれるか!」
「誰も襲わぬ」
「また余計に怪しいことを申すな!」
正則は立ち上がった。
だが、供回りの者たちが期待に満ちた目で正則を見ていることに気づき、動きを止める。
長旅の汗と埃。
目の前には、湯殿から流れてくる白い湯気。
正則の眉間に、深い皺が刻まれた。
「……供の者だけ入れ」
「正則殿は?」
娘が無邪気に尋ねた。
正則は胸を張った。
「俺は武士じゃ。湯などなくとも困らぬ」
白那がぼそりと言う。
「臭うぞ」
「臭わぬ!」
「小さき湯番、近づくでない。鎧から馬小屋の匂いがする」
娘は素直に一歩下がった。
正則の顔が引きつる。
「……少しだけ入る」
「困らぬのではなかったか」
「供の者が、湯で倒れぬか見張るためじゃ!」
白那は俺を見上げた。
「人の男とは、まこと面倒な生き物じゃのう」
「それは否定できない」
「三成! 聞こえておるぞ!」
◇
湯を出た正則は、来た時よりも明らかに静かだった。
頬には血の気が戻り、髪からはまだ湯気が立っている。
供回りの者たちも、すっかり顔色がよくなっていた。
「どうだった」
「ぬるい」
「かなり長く入っていたそうだが」
「確かめておっただけじゃ」
「何を」
「湯加減をじゃ!」
正則は吐き捨てるように言い、馬へ向かった。
だが途中で足を止める。
振り返らぬまま、低い声で言った。
「飯は……悪くなかった」
炊き場の者たちが、ほっと息を吐いた。
「湯は?」
俺が尋ねると、正則の肩がぴくりと動く。
「聞こえなんだか。飯は悪くなかったと申したのじゃ」
「湯は?」
「しつこいぞ、三成!」
正則は勢いよく馬に乗った。
その時、白那が駆け寄った。
「待て、大男」
「誰が大男じゃ」
「手土産を忘れておる」
「持ってきておらぬ!」
「ならば次は団子を持ってまいれ」
「二度と来ぬわ!」
「二本でよいぞ」
「勝手に決めるな!」
正則は怒鳴り、そのまま馬を進めた。
供回りの者たちも後に続く。
城門を出る間際、正則は一度だけ佐和山を振り返った。
井戸。
炊き場。
湯殿から上がる白い湯気。
そして、そこに集まる人々。
ほんの一瞬だった。
だが、彼の目から最初の疑いだけではない何かが見えた気がした。
馬の一団が遠ざかっていく。
白那は腕を組み、満足そうに頷いた。
「次は団子を持ってくるのう」
「来ないと言っていたぞ」
「ああいう男の『二度と来ぬ』は、『また来る』と同じじゃ」
「どんな理屈だ」
「水守の勘じゃ」
白那はそう言うと、娘から団子を半分受け取った。
「それは何だ」
「供物じゃ」
「今、娘からもらっただろう」
「小さき湯番より正式に奉納された」
娘は嬉しそうに笑っている。
俺はため息をつき、城門の向こうを見た。
福島正則が、俺を信じたとは思わない。
三成に対する疑いも、反発も、簡単には消えないだろう。
それでいい。
一度の膳で、人の心がすべて変わるわけではない。
一度の湯で、積年の溝が埋まるわけでもない。
だが、腹を満たした記憶は残る。
冷えた身体を温めた湯の感触も残る。
口には出さぬ温かさを、人は案外忘れない。
伏線などという言葉を、戦国の者たちは知らない。
それでも俺は思う。
今日の一膳が、いつか何かを変えるかもしれない。
変わらないかもしれない。
それでも、まず膳を出す。
話は、それからだ。
佐和山の湯気は、今日も静かに空へ昇っていた。
第十三湯までお読みいただき、ありがとうございます。
今回は福島正則の登場回でした。
三成を素直に信じるはずもなく、膳まで疑って睨む正則ですが、温かい飯と湯を前にすると、少しだけ態度が変わります。
ただし、簡単に仲直りするわけではありません。
反りが合わないからこそ、互いに見えるものもある――そんな関係として、これからも描いていければと思います。
白那は今回も団子を要求しています。
正則が本当に手土産を持ってくる日は、果たして訪れるのでしょうか。
第十四湯は、本日20時頃に更新予定です。




