第7話:最高のヒロイン、初公開!
部屋の中はきれいに片付いていた。
二人の姉妹は同じ屋根の下で暮らしている。
もともと悠花もきれい好きな性格だが、彩里は毎日欠かさず掃除していた。
リビングへ入って最初に目に飛び込んできたのは、壁いっぱいに飾られた巨大なアイドルのサイン入りポスターだった。
悠花は一度、それを止めようとしたことがあった。
『いつでも大好きなアイドルの姿を見たいと思って、何が悪いの?』
彩里が毅然とした態度で言い張るため、悠花も姉の重すぎる愛を受け入れるしかなかった。
しかし、ポスターだけではない。
CDやライブグッズなども部屋のあちこちに飾られている。
猫モチーフの小物だけが、悠花自身のわずかな趣味を物語っていた。
そのポスターと同じ顔をした悠花本人は、大きめのTシャツ姿でリビングのソファに座り、スマートフォンの画面を見つめていた。
そこに表示されているのは、御堂逸中の投稿だった。
自然と口元がほころぶ。
その一文から、どうしても目が離せなかった。
御堂逸中
【最高のヒロイン】
映画の宣伝ポスターも添えられている。
金髪の少女がガラスへ手を伸ばす。
その瞳は深く、どこか虚ろだった。
気泡の浮かぶガラス越しの水模様が頬に映り込み、まるで涙のように見える。
「えへへ……最高のヒロイン、か」
悠花はソファの上で一回転し、そのまま立ち上がってリビングでくるりと一回転した。
揺れるポニーテールが、美しい軌跡を描く。
「悠花、今日はずいぶんご機嫌ね」
掃除をしながら彩里が何気なく声をかける。
家では、ゆったりしたシャツ姿。
普段の仕事モードとはまるで別人だった。
肩までの黒髪も、無造作に後ろでまとめている。
「だって、今日はいよいよ映画の配信日だもん」
悠花は慌てて理由を口にした。
もちろん、それも本音だった。
「そうねぇ。でも、悠花が女優になるなんて思わなかったな」
彩里はしみじみと呟く。
「名女優・逸見悠花、参上!」
悠花はくるりと回り、戦隊ヒーローのようなポーズを決めた。
「おおー!」
彩里もノリよく拍手を送った。
ひとしきりじゃれ合ったあと、悠花は再びソファへ腰を下ろす。
投稿の下には、自分の返信も表示されていた。
ごく普通の宣伝活動の一環だったため、彩里も特に何も言わなかった。
逸見悠花
【先生、ありがとうございます。これからももっと頑張ります】
この返信を書くまで、悠花は何度も悩んだ。
「ありがとうございます」だけでは冷たすぎる気がする。
「先生は最高の作家です」と書けば、余計な誤解を招きそうだった。
打っては消し、消してはまた打ち。
そうして最後に選んだのが、この無難な一文だった。
悠花はその投稿をスクリーンショットに残し、大切な宝物としてアルバムへ保存する。
これが、公の場で堂也と交わした初めてのやり取りだった。
「えへへ」
黒猫のクッションをぎゅっと抱きしめながら、小さく笑う。
「悠花〜」
彩里はグラスを二つ持ってきた。
リビングのテーブルには、小さく切り分けられたケーキが並んでいる。
「準備できたわよ」
そう言って、手にした梅酒のボトルを軽く掲げた。
「梅酒。悠花、好きでしょ?」
「やった〜!」
悠花は彩里に抱きついた。
「お姉ちゃん、大好き!」
「はいはい」
彩里は優しく悠花の頭を撫でた。
「座りましょう。そろそろ始まるわよ」
「うん!」
二人はソファに並んで腰掛けた。
悠花はいつもの黒猫を抱え直した。
今日は、悠花主演映画『カタッ』の配信開始日だった。
最初から映画館ではなく、動画配信サービスで公開される予定だと聞いていた。
彩里の目を盗んで、悠花はそっと堂也へメッセージを送る。
【そろそろ始まるよ!】
【そうだね】
【なんだか緊張してきた】
【俺も】
「悠花? カウントダウンが始まるわよ」
「うん!」
悠花は慌ててスマートフォンをしまい、画面へ視線を向けた。
***
悠花から得た着想をきっかけに、里奈と何度も何度も打ち合わせを重ね。
堂也はついに『恋するアイドル~みんなには内緒だよ~』第三巻の原稿を提出した。
あとは編集部からの返事を待つだけだった。
気にならないと言えば嘘になる。
それでも今日だけは、それより大切なものがあった。
リビングのソファに座り、堂也は画面に映る『カタッ』のタイトルを見つめる。
自分の作品が映画化されるのは、これが初めてだった。
堂也は口の中がカラカラに渇くのを感じ、お祝い用に用意していた梅酒を先に開けて口にした。
ピロン。
スマートフォンを見ると、悠花からメッセージが届いていた。
「緊張してきた」と書かれたその一文を見て、堂也は思わず笑みを浮かべる。
「ははっ」
不思議と肩の力が抜けた。
堂也は返信を送り終えると、画面に映るカウントダウンが少しずつゼロへ近づいていくのを見つめる。
胸の鼓動が、次第に速くなっていく。
ゼロ。
画面が暗転する。
歯車が回転するような音が響く。
やがて、一つのタイトルが浮かび上がった。
『カタッ』
映画が、始まった。
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