第5話:撮影現場とヒロイン
朝早く、堂也のもとへ一本の電話がかかってきた。
「先生、申し訳ありません。出版社で急な対応が入ってしまって、現場へ到着するのが少し遅くなりそうです」
電話の向こうからは、里奈の申し訳なさそうな声が聞こえてくる。
「気にしないでください。入館証もアドレスもありますし、一人で行けますから」
堂也は笑いながら答えた。
「本当に申し訳ありません」
里奈はもう一度謝る。
「だから気にしないでくださいって」
罪悪感でいっぱいの里奈をなだめたあと、堂也は期待に胸を膨らませながら撮影現場へ向かった。
撮影スタジオは少し郊外にある施設だった。
「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか?」
入口に立っていた警備員が、堂也に気づいて丁寧に声をかける。
「見学に伺いました」
「入館証をお持ちでしょうか?」
「これですか?」
「はい。どうぞお入りください」
堂也が入館証を見せると、警備員はそのまま通してくれた。
「ここが撮影スタジオか……」
堂也は物珍しそうに辺りを見回す。
第一印象は、とにかく忙しいということだった。
名前も分からないような大道具や機材を抱えたスタッフたちが、スタジオ内を慌ただしく行き来していた。
「おーい!」
周囲を見渡していた堂也は、机を運びながら横を通り過ぎた中年男性に呼び止められた。
「兄ちゃん、突っ立ってないで手伝ってくれ!」
「えっ、あ、はい!」
堂也は自分がスタッフではないことを説明することもなく、運ぶ場所だけ確認すると、そのまま手伝い始めた。
「もう少し左だ! 気をつけろ、その辺にケーブルがあるぞ!」
「はい!」
しばらく慌ただしい作業が続き、ようやくセッティングが完了した。
スタッフたちはスタジオの隅に集まり、休憩を取っていた。
「おう、お疲れさん」
男性は笑いながら、堂也へ一本の缶ジュースを差し出した。
「ありがとうございます」
堂也は遠慮なくそれを受け取り、大口を開けて喉を潤した。
「これでしばらくは俺たちの出番もないな」
男性は壁にもたれながら、自分も飲み物を口にした。
「そういえば大将、ヒロイン役って誰か知ってます?」
隣にいた青年が興味津々で尋ねる。
「ヒロインか? 監督、今回は妙に秘密主義でな。『大物が来る』としか言わねぇんだ」
「大物?」
堂也は、自分の作品にそんな有名人が出演するとは信じられなかった。
「本当かどうかなんて分からんさ。監督がそう言うなら、そういうもんだと思っとけ」
大将と呼ばれた男性は、あまり気にしていない様子で手を振る。
「でも、本当に大物なら、こんな小さい現場には来ないだろうけどな」
堂也も頷きながら、映画業界の裏話に耳を傾ける。
大将は話好きらしく、知っている噂話を次々と披露し始めた。
ほかのスタッフも話に加わり、場はすっかり盛り上がる。
そんな時だった。
堂也のスマホが鳴った。
「すみません」
画面を見ると、里奈からの着信だった。
一言断ってから、少し離れた場所へ移動する。
「大将、あの人って、うちのスタッフじゃないですよね?」
青年が堂也の後ろ姿を見ながら、ぽつりと口を開く。
「は?」
大将は驚いて青年を見る。
「あの人、入館証を付けてますよ」
青年は小声で言った。
「マジかよ……」
その頃、隅へ移動した堂也は電話に出ていた。
「先生、もう現場に着いていますか?」
「はい、着いてます」
自分が今いる場所を説明すると、ほどなくしてスーツ姿の若い女性が足早に近づいてきた。
「先生、こちらでしたか」
「西村さん」
「監督にご挨拶に伺いましょう」
「はい、分かりました」
堂也は頷いて歩き出そうとしたが、ふと思い出したように振り返る。
「大将、すみません、お先に失礼します」
わざわざ大将のところまで戻って声をかけた。
「お、おう……」
大将は口をあんぐり開けたまま、堂也が監督のほうへ歩いていく姿を見送った。
監督は四十代半ばほどの、穏やかな雰囲気の男性だった。
「初めまして。御堂逸中です」
「おお! あなたが御堂先生ですか! こんなにお若いとは思いませんでした。まさに若き才能ですね」
監督は満面の笑みで迎える。
「恐縮です」
監督は大きく手を叩き、スタジオ中の視線を集めた。
「皆さん、今日は原作者の御堂先生も来てくださっています!」
「初めまして。よろしくお願いいたします!」
「この企画が動き出したのも、先生のおかげです!」
堂也は慌てて何度も頭を下げる。
スタッフたちも温かい拍手で迎えてくれた。
「終わった……。俺、原作の先生に雑用させちまった……」
大将は額に手を当て、真っ青になる。
しばらくして隙を見つけると、おそるおそる堂也のもとへやって来た。
「すまん、兄ちゃん……いや、御堂先生。まさか先生だとは知らなくて……」
「気にしないでください。それより、ジュースありがとうございました」
堂也は笑顔で缶ジュースを軽く掲げる。
本人にとっても、貴重な経験だったのだから。
「すまねえな」
大将は堂也が本気で気にしていないと分かると、もう一度だけ謝って持ち場へ戻っていった。
「何かあったんですか?」
里奈が不思議そうに尋ねる。
「いえ。さっきジュースまでご馳走になったんですよ」
堂也は笑って答えた。
しばらくすると、監督が再び手を叩く。
スタジオ中の視線が一斉に集まった。
監督の隣には二人の女性が立っている。
一人はスーツ姿の長身の美女。
そして、もう一人はキャスケット帽を深く被り、サングラスをかけた少女だった。
「皆さん! 本日のヒロインをご紹介します!」
その場の空気が一瞬で張り詰めた。
少女は堂々と一歩前に出た。
堂也は目を見開いた。
少女がサングラスを外し、続いてキャスケット帽を取る。
長い黒髪がさらりと肩へ流れ落ちる。
「ヒロインの、逸見悠花さんです!」
監督が高らかに紹介した。
「皆さん、初めまして。逸見悠花です。よろしくお願いいたします」
悠花は周囲へ優しく微笑みながら挨拶する。
シンプルな服装にもかかわらず、そこに立っているだけで自然と目を奪われる存在感があった。
次の瞬間。
スタジオ中に割れんばかりの拍手が響く。
「マジかよ! 本当に逸見さんがヒロインなのか!」
「なんであんなトップアイドルが、こんな小さな現場に!?」
(あの日、部屋で笑っていた悠花とはまるで別人だ)
堂也はごくりと唾を飲み込み、人々の中心に立つ少女を見つめた。
里奈もまた、どこか見覚えがあるような表情で悠花を見つめていた。
(……これが、トップアイドルとしての悠花なのか)
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