第13話:嵐の前の静けさ
堂也は電車の座席に座り、わずかな揺れに身を任せていた。
向かう先は出版社が主催する会場だ。
里奈の話では、今回の集まりには多くの著名な作家が参加するらしい。
堂也にとって人脈を築く大きなチャンスになる。
さらに授賞式もあり、知名度を高める良い機会でもあった。
(正直、全然行きたくないんだけどな……)
だが、あれほど真剣な表情をした里奈を見てしまえば、断ることはできなかった。
堂也は小さくため息をつき、リュックから1冊の本を取り出してページをめくった。
浅倉真のデビュー作『雨の中の君』だ。
「デビュー作でここまで書けるなんて……やっぱり天才っているんだな」
堂也はぽつりともらした。
買った日から毎日少しずつ読み進め、一文一文を丁寧に味わっていた。
少しでも自分の血肉にしようと。
読書に没頭しているうちに時間はあっという間に過ぎ、電車は目的の駅へ到着した。
会場の入口へ向かうと、スーツ姿の小柄な少女が辺りを見回していた。
「先生、来ましたね」
里奈はぱたぱたと駆け寄り、堂也を見上げる。
「西村さん」
堂也が何か言うより早く、里奈は彼の手を引いて会場の中へ歩き出した。
「さあ、早く入りましょう。もうたくさんの先生方がいらっしゃってますよ」
「わかったから、引っ張らないで」
会場へ入った瞬間、堂也は思わず息を呑んだ。
辺り一面にスーツ姿の作家たちと報道関係者が集まっている。
堂也もできる限りきちんとした服装で来たつもりだったが、それでもどこか場違いに感じてしまった。
「やっぱりここでいいや……」
人気のない隅へ移動し、ようやく少しだけ息をつく。
里奈も堂也が本当に緊張しているのを見て、それ以上無理に引っ張ることはしなかった。
代わりに、その場で有名な作家たちを紹介し始める。
「あちらは歴史小説で有名な上野先生です」
豪快な笑顔を浮かべた、大きな髭の壮漢を指差す。
「おお……本当に戦国武将みたいな人だ」
名前だけは知っていた堂也の目が輝く。
「ご挨拶に行きますか?」
「い、いや……向こうもたぶん僕のことなんて知らないだろうし」
堂也は苦笑した。
「……そうですか」
里奈は気を取り直して、次の作家を紹介した。
「あちらは……」
「へーあの方が」
「すみません、少しお時間よろしいでしょうか?」
凛とした声が横から聞こえた。
声のした方を見ると、金髪の少女が立っていた。
右耳の赤いイヤリングが小さく揺れ、淡い水色のワンピースを身にまとっている。
自分より年下に見えるのに、この会場に自然と溶け込んでいた。
まるで、生まれながらにスポットライトの中心で生きてきたようだった。
「御堂先生……ですよね?」
疑問形ではあったが、その口調には確信があった。
「はい。あの……どちら様でしょうか?」
堂也が戸惑う一方で、里奈は目を丸くする。
「浅倉先生!」
その驚きの声にも慣れているのか、少女は微笑みながら名乗った。
「浅倉真です。私、先生の大ファンなんです」
「えっ?」
堂也の頭は、その言葉を理解できずに止まった。
「浅倉先生が……僕のファン?」
だが、その瞬間、別の記憶が呼び起こされた。
以前、本屋で彼女を見かけたことがあった。
その時も今日とまったく同じ格好だった。
「私のことを知ってくれているんですか?それは光栄です」
浅倉は少し嬉しそうに眉を上げ、手を差し出した。
「え? あ、はい」
握手だと気づいた堂也は慌てて手を差し出す。
遠慮がちにそっと握ると、逆にしっかりと握り返された。
軽く手を振ったあと、浅倉は手を離して微笑む。
「よろしくお願いします」
「……こちらこそ」
「先生、小説の映画化おめでとうございます。拝見しました。とても素晴らしかったです」
「あ、ありがとうございます」
沈黙が数秒流れ。
このまま相手を放置するのも気まずいと感じた堂也は、なんとか話題を探した。
「浅倉さん……」
すると浅倉は軽く手を上げて制した。
「お気遣いなく。真と呼んでください」
「い、いえ……その……女性を名前で呼ぶのは慣れていなくて」
堂也はやんわりに辞退した。
「でしたら、浅倉でお願いします。私、年下なので敬語じゃなくて大丈夫です」
浅倉は折衷案を出した。
「じゃ、じゃあ……浅倉。その格好って、もしかして……」
堂也はずっと気になっていたことを尋ねた。
「気づいてくださったんですね。映画をイメージしたコーディネートなんです」
浅倉は金髪を軽くかき上げ、自信ありげに言った。
「先生のホラー小説が大好きで、映画化されたのが嬉しすぎて、この格好をしてきちゃいました」
「ありがとう」
本当に自分の作品を好きでいてくれるのだと分かり、堂也の緊張も少し和らいだ。
「そうだ。最近、浅倉の作品を読み始めたんだ」
そう言って、堂也はバッグから読みかけの本を取り出した。
「さすが大賞受賞作だね。本当に素晴らしい作品だ、感情描写がすごくって、何度も読み返しました。でも、僕はまだあの域には届きません」
ページに栞が挟まっているのを見た瞬間、浅倉の表情がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます、先生! ああ……まさか先生に読んでいただけるなんて、本当に幸せです」
「いや、そんな」
その反応に思わず堂也は半歩だけ後ろへ下がる。
「先生!」
浅倉は逆に半歩近づき、目を輝かせた。
「一緒に写真を撮っていただけませんか?」
「えっと……いいですよ」
少し迷ったものの、堂也は頷いた。
「やった! それでは!」
浅倉はスマホを取り出し、そのまま隣へ寄ってくる。
「浅倉先生、でしたら私が撮りましょうか」
里奈が慌てて口を挟んだ。
浅倉はほんのわずかに眉をひそめ、里奈へ視線を向ける。
「あなたは?」
「申し遅れました。御堂先生の担当編集、西村里奈です」
里奈は丁寧に頭を下げた。
「へぇ~。先生の編集さんなんですね」
その言葉を聞くと、浅倉の表情はすぐ元に戻り、スマホを里奈へ渡す。
「では、お願いします」
「はい。それでは笑ってください」
堂也は言われるまま、ぎこちない笑顔を作った。
何枚か撮影を終え、浅倉はスマホを受け取る。
満足そうに写真を眺めていた。
「先生、連絡先を交換しませんか? 写真も送りますので」
「ああ、いいよ」
「この写真、SNSに載せてもよろしいですか?」
連絡先を交換しながら浅倉が尋ねる。
「顔が写るのは、ちょっと……」
「分かりました。でしたら先生のお名前だけ出しても?」
「それなら大丈夫」
「先生は顔出しがお嫌いなんですか?」
浅倉は興味深そうに聞いた。
「嫌というわけじゃないけど、必要ないと思ってるだけかな」
「必要ない?」
「読者は作品を好きになってくれれば十分だから。作者がどんな顔をしてるかなんて、重要じゃないでしょ」
「さすが先生、硬派ですね」
「そ、そうかな?」
「そうだ、先生。お互いの本にサインを交換しませんか?」
浅倉はバッグを開け、少し迷ったあと、新品の限定版『カタッ』を取り出した。
その一瞬、堂也の目に、大切に保存された旧版の『カタッ』が映る。
ここまで自分の作品を大事にしてくれているファンを前にして、断ることなどできなかった。
堂也もバッグから本を取り出し、お互いにサインを書き合った。
そして最後に、授賞式では記念撮影まであると知った堂也は、絶望した表情で里奈を見る。
「大丈夫ですよ。集合写真ですから、一人ひとりじっくり見る人なんてほとんどいません」
里奈は笑って励ました。
「はい、笑ってくださーい」
カメラマンの声が響く。
堂也はうつむき加減のまま、できるだけカメラを避けるようにして集合写真を撮り終えた。
***
その夜。
悠花はベッドに寝転びながらスマホを眺めていた。
「えっ?」
目に留まったのは、人気若手女性作家・浅倉真の投稿だった。
【今日は一番大好きな作家さんとツーショットを撮って、サイン本まで交換していただきました!】
#最高の一日 #映画『カタッ』応援しています
投稿には二枚の写真が添えられている。
一枚はサイン入りの本の表紙。
もう一枚は、一人の青年とのツーショットだった。
青年の顔は猫のスタンプで隠されている。
それでも悠花が見間違えるはずがなかった。
悠花は静かに「いいね」を押し、その画面を一枚スクリーンショットした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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