第12話:向かうべき道【悠花)
「ただいま」
悠花は少し息を切らしながら、玄関のドアを開けた。
首に掛けたタオルで額の汗を拭う。
体にフィットしたトレーニングウェアから、健康的なお腹がのぞいていた。
「悠花、おかえり~」
リビングでノートパソコンを真剣に見つめていた彩里が、顔を上げて微笑んだ。
「お風呂、もう沸いてるよ」
「ありがとう! さすがお姉ちゃん、私のことよく分かってる!」
悠花は彩里の手をつかみ、ぶんぶんと振った。
「何年お姉ちゃんやってると思ってるの。早く入ってきなさい」
彩里は悠花の手の甲を軽く叩きながら促す。
「風邪ひいたら大変だからね」
「はーい」
お風呂から上がった悠花は、髪を拭きながらリビングに戻ってきた。
「わあ、すごい量」
テーブルの上に小山のように積まれた書類を見て、小さく口を開ける。
「悠花にCMのオファーと、ドラマの出演依頼が来てるよ」
「こんなにあるの?」
「CMのほうは私が先に選別しておいたよ。このあたりは知名度も高くて、トラブルになりにくい案件だから」
彩里は書類の山の一つを指差した。
「好きなものを選んでいいよ。もちろん、全部引き受けることもできるけど」
「全部だと忙しすぎそう……あっ! これ、私がいつも飲んでるブランドじゃない?」
悠花は資料に目を通し、最終的に流行のレディースブランドとジャスミン茶を選んだ。
「こっちは悠花がモデルを務める企画で、特集を組む予定らしいよ」
「うんうん」
「ジャスミン茶のほうはCMを一本撮って、その後は宣伝にも協力してもらう形だね」
「了解」
悠花は説明を聞きながら、内容をスマホのメモに入力していく。
「そうそう、悠花」
「ん?」
「会社のほうで、今回のライブの反響がすごく良かったから、全国ツアーを検討する話が出てるの」
「全国ツアー……」
悠花は小さくその言葉を繰り返した。
「そう」
「まさか、ここまで来られるなんてね……」
デビューしたばかりの頃は、想像すらできなかった舞台だった。
小さなイベントステージに立ち、がらんとした客席を見つめて落ち込んだこと。
全力で歌い終えても、拍手は八人ほどしかいなかった。
自分はアイドルに向いていないのではないかと、本気で悩んだこともあった。
(全部、堂也のおかげ……)
あの頃にもらったファンレターがなければ、自分がここまで頑張れたかどうか分からない。
「まだ気を抜いちゃだめだよ。あくまで検討段階なんだから」
彩里は優しく釘を刺した。
「でも、このタイミングで全国ツアーの可能性が見えてきたのは、本当に良かったね」
悠花は少し自嘲気味に笑う。
「もうすぐ二十歳だし。これ以上遅れたら、若手アイドルなんて名乗れなくなっちゃう」
「『もう』じゃなくて『まだ』でしょ。十分若いよ」
彩里は呆れたようにツッコむ。
「しょうがないよ。アイドルって、やっぱり若さが武器の世界だから」
ようやく髪を拭き終えた悠花はタオルを掛け、ため息をつく。
「ずっと歌だけでやっていけるわけじゃないし」
彩里は悠花の肩を軽く叩き、優しい目で見つめた。
「大丈夫。悠花の歌が一番だから」
「お姉ちゃん……」
「悠花が何歳になっても、結婚してお嫁に行っても、私の中ではずっとアイドルだからね」
どれだけ家族フィルターがかかっているのか分からない。
「お姉ちゃん!」
感動した悠花は両手を広げ、そのまま彩里にぎゅっと抱きついた。
「悠花!」
抱き合った姉妹は、そのまま笑い合った。
「だから女優を選んだの?」
彩里は腕の中の妹を見つめ、不思議そうに尋ねる。
「うん」
悠花は心の中でこっそり舌を出した。
(それに……約束もあるしね)
脳裏に浮かんだ見慣れた顔へ小さく首を振り、その考えを追い払う。
そして、そのまま話題を変えた。
「この山は全部出演オファー?」
「うん」
彩里はキーボードを叩き、資料を表示する。
「前に出演した『カタッ』が大好評で、配信ランキングも今一位なんだって。制作側も、小規模だけど劇場公開を検討してるみたい」
「わあ! すごい!」
悠花は嬉しそうに拍手しながら思った。
(これで堂也の作品も、本当に映画館へ届く)
配信だけでは、どこか物足りない気がしていた。
これでようやく、完璧だ。
「出演オファーも同じように、怪しいところや正規じゃないものは先に外してあるよ」
彩里は別の書類の山を指差した。
「興味があったら見てみて」
「はーい」
悠花は姉が選別した台本を手に取り、ページをめくる。
脇役もあれば、主演もあった。
「えっと……恋愛ものが多いね」
「その中の十一本が恋愛作品だよ」
「そんなに?」
悠花は感心しながら台本をめくり、尋ねる。
「これって、手をつなぐシーンとかあるのかな?」
「恋愛ドラマで、最後まで手もつながない主人公とヒロインなんて見たことある?」
「じゃあ、ハグは?」
「たぶんあると思うよ」
「キスは?」
「それもあるんじゃないかな」
「そっか……」
悠花は恋愛作品の台本をそっと机へ戻した。
「うーん……」
腕を組み、困ったように首をかしげる。
「……嫌なの?」
彩里は悠花の気持ちを見透かしたように、静かに尋ねた。
悠花は両手の人差し指を合わせ、もじもじしながら答える。
「……うん、ちょっとね」
「それもそうだね。悠花はアイドル路線なんだから、恋愛作品にはそれなりのリスクがあるし」
彩里は冷静に分析した。
「熱心なファンほど、役と現実を分けてくれないこともあるからね」
本当に恋愛しているわけではなくても、ドラマの中だけで炎上する可能性は十分にあった。
悠花はさらに台本をめくり、一冊で手を止める。
「これ、なんだか面白そう」
彩里はその台本を見て、少し驚いた。
「悠花、本当にこれでいいの?」
「有名な推理ドラマでしょ?」
「確かに、すごく有名だけど」
彩里は頷き、心配していたことを口にする。
「でも、この役って犯人だよ」
悠花は台本をめくる。
普段はとても優しく振る舞うキャラクター。
最後に探偵から真相を暴かれた後も、優しい笑顔のまま、この上なく残酷な言葉を口にする。
演技力が求められる、ギャップの大きな役だった。
悠花は力強く頷いた。
「これに決める!」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
もしよろしければ★★★★★とレビュー、それにブックマークもどうぞ!
励みになりますのでよろしくお願いいたします!




