第14話:挑戦
カフェの席に座る堂也の前には、一杯のラテが置かれていた。
だが、ほとんど口をつけていない。
彼はスマホを見つめ、眉をひそめる。
「これはまずいな……」
画面には、悠花が浅倉の投稿に「いいね」を押していることが表示されていた。
(悠花、変な誤解してなきゃいいけど……)
堂也にとって、あの日はただ一人の読者と作家が会っただけだった。
たまたま相手も同業者だったというだけの話だ。
ピロン。
【先生、お時間があればお会いできませんか?】
浅倉からメッセージが届く。
まだそこまで親しい間柄ではないと思っていた堂也は、やんわりと返事をした。
【何かご用件でしょうか?】
【それなら、直接お電話で説明しますね】
次の瞬間、浅倉から電話がかかってきた。
「もしもし?」
『こんにちは、先生』
「えっと……こんにちは」
『先生、今は外出中ですか?』
「うん、そうだけど」
『でしたら長くはお時間をいただきません。単刀直入に申し上げますね。先生、今月末の小説大賞のお知らせは届いていますか?』
「小説大賞?」
堂也の反応で事情を察したのか、浅倉の声色が少しだけ落ちる。
『……いえ、まだ連絡がいっていないだけみたいですね』
「はい?」
堂也は首をかしげながら、続きを待った。
『簡単に言うと、ジャンル不問の短編小説コンテストです』
「うん」
『私はそのコンテストで、先生と勝負をしたいんです』
「勝負?」
『先生には恋愛小説を書いて参加していただきます。その代わり、私はホラー小説で応募します』
「どうして?」
『もし私が勝ったら、先生には長谷川さん……つまり私の担当編集のところへ移籍してほしいんです』
「いや、急に何を言ってるの?」
怒るというより、堂也は純粋に困惑していた。
『先生の新連載、『恋するアイドル~みんなには内緒だよ~』ですよね』
浅倉は少しだけ声を強める。
『先生の実力が、まったく発揮できていません』
「読んでくれたの?」
『もちろんです。でも、以前のホラー小説みたいに、読み終えたあと興奮して眠れなくなる作品と比べたら、あの本は良くて佳作止まりです』
「そ、そうなんだ……」
堂也は少しだけ傷ついた。
(そんなに出来が悪いのかな……)
『先生はあんなに素晴らしいホラーが書けるのに、急に恋愛小説に転向するなんて、絶対にその編集者にそそのかされたんですよね?』
浅倉の声には、わずかな不満が混じっていた。
「あ、いや。それは僕が自分で決めたことなんだ」
堂也は慌てて否定する。
その答えを聞いた浅倉は勢いを失いながらも、なお言葉を続けた。
『そ、そうだったんですね。でも、そちらの編集さんは新人だと聞きました』
「うん」
『長谷川さんはベテラン編集です。持っている人脈も、アドバイスも、絶対にこちらのほうが恵まれています』
「そうかもしれない。でも、僕は編集を変えるつもりはないよ」
堂也ははっきりと言った。
西村さんは新人編集だ。
それでも、その努力と支えがあったからこそ、自分はここまで来られた。
目先の利益だけで、その信頼を裏切るつもりはなかった。
『……分かりました』
少し沈黙したあと、浅倉は静かに言う。
『それなら、賭けの条件を変えましょう』
「条件を?」
『私が勝ったら、先生にはホラー小説へ戻っていただきます』
「どうして?」
堂也は当然納得できなかった。
『恋するアイドル~みんなには内緒だよ~』には、悠花との約束が込められているのだから。
『もったいないからです』
浅倉は少し間を置き、小さく息をついた。
『恋愛小説も十分素晴らしいですが』
さらに静かに続ける。
『先生なら、百点満点のホラー小説を書けるんです』
「はぁ……ありがとう?」
堂也はいまひとつ彼女の真意が分からなかった。
『もし先生が恋愛小説で私に勝てたなら、その時は私が間違っていたと認めます』
そして、浅倉は付け加える。
『もちろん、一方的な勝負にはしません。私が負けたら、先生のお願いを一つ何でも叶えます』
「いや、でも……」
『どんな要求でもいいですよ。印税を全部よこせ、でも構いません』
浅倉が口にした金額は、堂也が思わず目を回しそうになるほどだった。
「賭けが大きすぎるよ」
『何をお願いするかは先生次第です』
浅倉の声に、少しからかうような響きが混じる。
『もちろん、違法なことはだめですよ』
「冗談はやめてよ」
堂也は苦笑した。
こうして半ば強引に賭けは成立してしまった。
電話を切る前に、堂也はふと気になって尋ねる。
「そういえばさ」
『はい?』
「ちなみに、僕がこの約束を踏み倒すとは思わなかったの?」
この賭けには何の強制力もない。
堂也が無視してしまえば、それまでだ。
しかし浅倉は迷いなく答えた。
『先生は、約束を破るような人ではありませんから』
「そこまで信用してくれてありがとう」
『どういたしまして』
浅倉は穏やかに笑う。
『それでは今日はこの辺で失礼します』
「あ、最後に一つだけ」
『どうぞ』
「自分が負ける可能性は考えたことある?」
すると電話の向こうから、小さな笑い声が聞こえた。
『もしそうなったら、それはそれで素敵なことですね、先生』
そして、自信に満ちた声で言う。
『私、一度も負けたことがないんです』
「それでは、ごきげんよう」
通話が切れる。
堂也は切れた通話画面を見つめながら、小さく苦笑した。
「『ごきげんよう』って……どこのお嬢様だよ」
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