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終わる日  作者: みき


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5/10

第5話

 圭と出会ったのは、その春だった。


 会社の近くの、古い喫茶店だった。図書館の、昼休みに、わたしは、いつも、その店の、奥の席で、本を読んでいた。客の少ない、時間の止まったような店で、マスターは、無口で、コーヒーは、濃くて、店内の物の日付は、どれも、のんびりと、遠かった。レジの上の、招き猫は、十二年後に、割れることに、なっていたし、壁の、振り子時計は、わたしが死んだあとも、まだ、動いているらしかった。古い物に、囲まれていると、なぜか、落ち着いた。終わりが遠いものたちは、見ていて、優しい。


 圭は、ある日、その店の、わたしの隣の席に、座った。


 文庫本を、開いていた。わたしが、読んでいるのと、同じ作家の、別の小説だった。それに気づいたのは、どちらが先だったか、もう、覚えていない。気づいたら、本の話を、していた。彼は、その作家の、わたしが嫌いな作品を、いちばん好きだと言い、わたしは、その理由を、むきになって、尋ね、彼は、困ったように、笑って、「うまく説明できないんだけど」と前置きしてから、思いのほか、真剣に、その小説のことを、話した。彼の話し方は、ゆっくりで、言葉を、ひとつずつ、選ぶようだった。わたしは、その話し方が、好きだと、思った。


 それから、わたしたちは、その店で、ときどき、顔を合わせるようになった。


 彼も、近くの会社で、働いているらしかった。昼休みの、同じ時間に、同じ店で、わたしたちは、よく、会った。最初は、本の話だけだった。次第に、ほかのことも、話すようになった。彼の、子どもの頃の話。わたしの、図書館の話。好きな、音楽。嫌いな、食べ物。たわいもない、話。けれど、わたしは、その時間を、いつのまにか、楽しみに、するようになっていた。


 わたしは、ずっと、迷っていた。


 見ても、いいのか。


 彼の、少し癖のある髪の、その上を。


 見ないでおこう、と、思った。好きになる前に。これ以上、好きになる前に。見てしまったら――もし、近い日付だったら――わたしは、また、知っているのに、何もできない、あの夏に、戻ってしまう。あるいは、美月のときみたいに、こわくなって、逃げて、この、せっかく芽生えた、何かを、自分の手で、台無しにしてしまう。


 だから、わたしは、彼の頭の上を、見なかった。


 不思議なことに、できた。人は、見たくないものを、見ないでいられる。視界の端の光を、ないものとして扱う訓練を、わたしは、十六年かけて、してきた。喫茶店で、彼の話を聞くあいだ、わたしは、一度も、彼の上を、見なかった。彼の顔だけを、見ていた。笑うと、右の頬にだけ、えくぼが、できること。考えごとをすると、下唇を、噛む癖。わたしの名前を呼ぶときの、ほんの少し、照れたような、声の、上ずり。そういう、日付じゃないものだけを、わたしは、見ていた。


 夏の初めに、彼は、わたしを、食事に誘った。


 わたしは、迷った。けれど、断れなかった。彼と、もっと、話したかった。喫茶店の、昼休みの、短い時間だけじゃ、足りなかった。わたしは、自分の中の、こわがりな声を、無理やり、黙らせて、頷いた。その夜、わたしたちは、川沿いの、小さな店で、食事をした。彼は、緊張しているのか、いつもより、口数が、少なかった。わたしも、同じだった。でも、店を出て、川沿いを、歩いているとき、彼が、ふいに、わたしの手を、握った。わたしは、その手を、振り払わなかった。


 付き合うことになったのは、その夜だった。


 わたしは、二十八歳で、初めて、恋人が、できた。


 それは、十二歳の夏以来、ずっと、自分に、禁じてきたことだった。人を、終わりごと、引き受けるくらい、好きになること。



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