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終わる日  作者: みき


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3/10

第3話

 その夏から、わたしは、人の頭の上を、できるだけ、見ないように、なった。


 でも、見ないでいるのは、難しい。日付は、見ようとしなくても、視界の端に、光る。電車で、向かいに座った人。レジを打つ、店員さん。横断歩道で、すれ違う、子ども。公園で、犬を散歩させている、おじいさん。みんなの上に、てんでばらばらの、日付が、浮かんでいる。来年の人。十年後の人。ずっと、ずっと先の、わたしが生きているかどうかも、わからない頃の、人。そして、ときどき――ぞっとするくらい、近い、人。


 近い日付の人を、見てしまうと、わたしは、その顔を、なるべく早く、忘れようとした。


 だって、どうしようもないから。


 祖母のときも、何も、できなかった。次に、近い日付の人を見ても、わたしには、きっと、何もできない。その人の、終わりを、知ってしまうだけだ。知って、こわがって、それで、終わり。だったら、最初から、見ないほうがいい。知らないほうが、いい。


 わたしは、人混みが、苦手になった。


 たくさんの人がいる場所には、たくさんの、日付がある。その中に、いくつかは、必ず、近い日付が、混じっている。わたしは、できるだけ、人の顔を見ないように、うつむいて、歩くようになった。視線を、下げて、足元を見て、日付の浮かぶ、頭の上を、見ないように。


 高校生のとき、美月という、友達がいた。


 いちばん、仲のよかった子だった。明るくて、よく笑う子で、わたしの、うつむきがちなところを、いつも、引っ張り上げてくれた。放課後、いっしょに、寄り道をして、駅前のミスタードーナツで、何時間も、しゃべった。将来の話や、好きな人の話や、くだらない、先生の物真似。わたしは、美月といるときだけ、日付のことを、忘れていられた。彼女の前では、頭の上の数字なんて、どうでもよかった。わたしは、彼女の、笑った顔だけを、見ていた。


 美月は、勘の鋭い子だった。


 わたしが、人混みで、急にうつむいて、黙り込むことや、レジの列で、前の人の顔を、見ないようにしていることに、彼女は、気づいていた。一度、駅のホームで、人がたくさんいて、わたしが、いつものように、足元ばかり見ていたとき、美月が、ふいに、言った。「あんた、なんか、人のこと、見ないようにしてるよね。前から、思ってた」。わたしは、どきりとした。図星だったから。けれど、美月は、それ以上、追及しなかった。ただ、「まあ、いいけど。あたしが、ちゃんと見るから、あんたは、あたしのこと、見てなよ」と言って、笑った。わたしは、その言葉に、救われた。彼女は、わたしが、何かを抱えていることに、気づいていて、それでも、無理に、聞き出そうとは、しなかった。


 わたしは、いつか、美月になら、本当のことを、話せるかもしれない、と思っていた。


 物の終わる日が、見えること。人の上にも、それが、浮かんでいること。十二歳の夏のこと。誰にも言えずに、ずっと、一人で、抱えてきたことを。あの、勘の鋭い、でも、優しい彼女になら、いつか、打ち明けられる日が、来るかもしれない、と。そう思える相手は、祖母が死んでから、初めてだった。


 でも。


 ある日、わたしは、美月の頭の上に、近い日付を、見てしまった。


 一週間先の、日付だった。


 わたしは、祖母のことが、頭をよぎって、こわくなった。美月が、死んでしまう。そう、思い込んだ。あの、夏の終わりと、同じだ。一週間後、美月は、いなくなる。眠ったまま、冷たくなるのかもしれない。事故にあうのかもしれない。何が起きるのかは、わからない。でも、その日に、美月の「今のかたち」が、終わる。わたしには、それしか、わからなかった。そして、それしか、わからないことが、たまらなく、こわかった。


 わたしは、その一週間、美月を、避けた。


 顔を見るのが、こわかった。終わりの日付の浮かんだ顔を、これ以上、目に、焼き付けたくなかった。祖母の遺影の上の、何もない空白を、思い出すたびに、わたしは、震えた。美月の顔が、あんなふうに、遺影になるところを、想像したくなかった。だから、わたしは、逃げた。電話にも、出ず。メールも、返さず。学校でも、用事があるふりをして、美月から、距離を取った。彼女が、近づいてくると、わたしは、目を逸らして、足早に、その場を、離れた。


 美月は、最初、戸惑っていた。


 どうしたの、何かした? と、何度も、メールが来た。わたしは、返さなかった。次第に、メールの文面は、不安そうなものから、怒ったものに、変わっていった。無視しないでよ。ちゃんと、説明してよ。わたし、何か、悪いことした? わたしは、それでも、返せなかった。返したら、美月の声を聞いたら、わたしは、きっと、泣いてしまう。あなたは、あと数日で、終わるの、と、言ってしまいそうで、こわかった。だから、ただ、逃げて、息を潜めて、その日付が、過ぎるのを、待った。


 美月は、死ななかった。


 日付の、朝。


 わたしは、恐る恐る、学校へ行った。教室の、ドアを開けるのが、こわかった。美月の席が、空っぽだったら、どうしよう。先生が、神妙な顔で、何かを、告げるのだったら。わたしは、心臓を、握りつぶされるような気持ちで、ドアを、開けた。


 美月は、いつもの席に、いた。


 生きていた。


 わたしは、その場に、へなへなと、座り込みそうになった。よかった。生きてる。日付が、外れたんだ。間違いだったんだ。わたしは、心の底から、ほっとして、美月の方へ、駆け寄ろうとした。


 でも、美月は、わたしの方を、見もしなかった。


 その一週間、わたしが、理由も言わずに、避け続けたことで、美月は、深く、傷ついていた。あんなに、仲が良かったのに。急に、無視されて。何度、連絡しても、無視されて。美月は、わたしを、許さなかった。彼女の中で、何かが、終わっていた。わたしへの、信頼が。友達でいたいという、気持ちが。わたしが、自分の都合で、勝手に、終わらせて、しまったのだ。


 それきり、わたしたちは、二度と、口を、きかなかった。


 卒業まで、同じ教室にいながら、わたしたちのあいだには、もう、何も、なかった。すれ違っても、目も、合わせなかった。わたしは、何度も、謝ろうとした。けれど、できなかった。あの一週間、わたしが何をしていたのか、本当のことを、言えるわけが、なかった。あなたが、死ぬと思って、こわくて、逃げていたの――そんなこと、言えるはずが、ない。だから、わたしは、ただ、黙って、美月との時間が、終わったことを、受け入れた。


 わたしは、ずっと、それを、「日付が、外れた」例として、記憶していた。


 美月は、死ななかったのだから、あの日付は、間違いだったのだ、と。人の上の日付は、ときどき、外れるのだ、と。そう、思うことにして、心の隅に、押し込んで、見ないように、してきた。そう思わないと、やりきれなかった。日付のせいで、わたしは、いちばんの友達を、失ったのだから。せめて、あの日付が、間違いだったと思わなければ、わたしは、自分を、許せなかった。


 でも、本当は。


 外れてなんか、いなかった。

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