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# 第7話 百三人目は、減点のしようがない



 百三人目の釣書は、チェイニーの一件が落着して、まだ小箱の余韻も冷めやらぬうちに届いた。


「ユリウス・グランフェルト辺境伯子息、二十二歳。王立騎士団第二席。剣術大会二連覇。領地経営の実務経験あり。慈善事業に私財を投じること多数。……なんですか、この釣書は」


 縁談係の見習いとして、私は届いた釣書を検分する立場にある。そして断言できる。こんな書類は千枚見てきて初めてだった。


 減点箇所が、ない。


 家格、実績、人柄の傍証、収入、健康、いずれも満点。前世の基準で査定すれば、成婚率九十五パーセント。私が相談員なら、列に並ぶ女性会員を整理券で捌く案件である。


「怪しいわね」


 温室の作業台で魔導灯を分解しながら、レティシア様は一言で切って捨てた。


「レティシア様。世間ではこれを『優良物件』と呼びます」


「あのねフィオナ、考えてもみなさい。剣術大会二連覇の騎士団第二席が、なんで百二連敗の私のところに来るのよ。選び放題でしょうに」


「……ご自分で仰って悲しくなりませんか」


「事実は道具と同じ。磨いてこそ使えるの」


 妙な格言を吐きながら、お嬢様は魔導灯の芯を抜いた。


「それにね、直近の二人を思い出しなさいよ。片や隷属具の卸元、片や質草詐欺の仕入れ屋。三度目の正直か、三度目の納品か。賭けるならどっち?」


「賭け事は縁談係の禁じ手です。……ですが、率直に申し上げれば、今回は判じかねています」


 私は釣書を作業台に広げ、頁の端を指で押さえた。


「ハロルドとチェイニーの釣書には、いま思えば『匂い』がありました。条件の盛り方が、こちらの足元を見た組み立てなのです。ハロルドは財力を、チェイニーは蒐集品を、それぞれ餌の位置に置いていた。ですがこの釣書は……餌が、ない。強いて言えば全部が餌で、つまり、何も仕掛けていない書き方です」


「本物の優良物件か、餌を使う必要すらない大物の駒か」


「二つに一つかと」


 手つきは軽いが、目は笑っていない。ハロルドの倉庫の夜から、この方は届く縁談のすべてを「次の納品」と疑ってかかっている。そしてチェイニーの一件で、その疑いは確信に近いところまで育っていた。


 正直に言えば、私もだった。


 仲介状の署名は、調べた。ハロルドの件の書状は父の筆跡を巧妙に写した偽物で、父は打診の事実そのものを知らなかった。つまり、家の中か、家の書式に触れられる距離に、偽造犯がいる。


 そして今回のユリウス様の釣書は――本物の手続きで、正規に届いていた。


 疑う根拠は、ない。疑わない根拠も、ない。


「まあいいわ。受けて立ちましょう。敵の駒なら尻尾を掴む。違うなら」


 お嬢様はにやりと笑った。


「いつも通り、盛大に破談にするだけよ」


 ――かくして三日後。公爵家の応接間に、百三人目が現れた。


「ユリウス・グランフェルトです。本日は貴重なお時間をいただき、心より感謝いたします」


 第一印象を、プロとして正確に記す。


 背筋のいい長身。日に灼けた金髪を短く整え、騎士団の礼服には染みひとつない。一礼の角度は模範的だが硬すぎず、声には気負いも軽薄さもない。


 挨拶の声量、適正。着席の所作、及第どころか教本級。茶菓子には手を付けず、しかし出された茶には一礼して口を付けた。歓待を軽んじず、緊張も装わない。三分査定の項目が、頭の中で片端から満点に塗られていく。前世の面談室なら、この時点で私は裏の評価票に花丸を付けている。


 極めつけは、入室してすぐ、控えの私にまで軽く会釈をしたことだ。


 使用人への態度は人間性の試金石である。前世で千組見てきて、これを自然にできた男は一割いない。


(……本当に、減点がない)


 私は職業的な感嘆と、それによく似た正体不明の不快感を同時に覚えながら、視た。


『鑑定』。


 ユリウス様の輪郭が光を帯び、内側が透ける。


 打算の色、なし。遊びの色、なし。虚栄の色、なし。緊張が二割、誠実が七割、残りは――好奇心。晴れた日の空みたいな、突き抜けた色をしていた。


 嘘が、どこにもない。


「レティシア様のお噂は、その、あまり良い形では伺っておりません」


 開口一番、ユリウス様はそう言った。


 お嬢様の完璧な微笑が、ぴくりと固まる。


「あら。百二連敗の氷の薔薇、と?」


「いえ。『お見合い相手が二人続けて逮捕された』『氷の薔薇は破談のたびに悪党を狩る』と」


「…………」


「それで、お会いしてみたくなりました。百二回も破談になる令嬢がいるなら、百二回ぶんの理由があるはず。その理由に、興味があります」


 沈黙が落ちた。


 私は内心で頭を抱えた。この方の対応マニュアルに「興味を持たれた場合」の項目はない。百二人、誰一人としてレティシア・オールウィンの中身に興味を持たなかったからだ。


 お嬢様はしばし相手を眺め、それから、ゆっくりと足を組み替えた。淑女の礼法にない座り方だった。仮面を、自分から一枚外した。


「……いいわ。じゃあ単刀直入に聞くけれど、グランフェルト卿。あなた、私と結婚したいの?」


「わかりません」


 即答だった。


「ただ、辺境伯家からは早く身を固めろと矢の催促でして。義理で席に着くくらいなら、面白い方に会いたい。不誠実でしたら、この場で破談にしてくださって構いません」


「……ふうん?」


 お嬢様の目が、すっと細くなった。ボタンの産地偽装を見抜いたときと同じ目だ。ただし今回は品物ではなく、人間を検分している。


「ならもう一つ。あなたの腰の剣、拝見しても? 鞘の魔力封じの細工、王都の流儀じゃないわね」


「よくお気づきで。辺境の魔獣は魔力に寄ってくるので、封じは死活問題です。……お詳しいのですか?」


「詳しいなんてものじゃないわよ。ちょっと貸しなさい、その鞘の三重巻きの理屈、前から実物を見たかったの」


「どうぞ。あ、二重目の結び目は緩めないでください、緩めると全部解け――解けましたね」


「あら」


「……直せますか?」


「三分ちょうだい」


 お見合いの席が、魔導具談義の作業場に変わるまで、十分とかからなかった。


 私はティーワゴンの脇で、その光景を眺めていた。


 鞘を挟んで額を寄せ合う二人。お嬢様は素の早口で捲し立て、ユリウス様は目を輝かせて相槌を打つ。氷の薔薇の仮面は、跡形もない。素のレティシアを見て、引くどころか身を乗り出す男を、私は初めて見た。


 ――成婚率、推定六十パーセント。


 頭の中で、勝手に数字が弾かれた。前世からの職業病だ。相性の要素が噛み合っていく音が、プロには聞こえてしまう。


 聞こえて、しまって。


 私は無意識に、ワゴンの上のティーポットの持ち手を、強く握っていた。


 チェイニーのときとは、違った。


 あのときは、後ろ暗い色を視つけた瞬間、安堵と失望が同時に来た。安堵の方が早かったことを、私はまだ自分に謝れていない。でも今回は――視ても視ても、失望の種が、どこにもない。晴れた空色。誠実、七割。あってはならないものを探す自分の眼の卑しさだけが、鮮明だった。


 おかしい。


 敵の駒でないなら、良縁だ。良縁なら、結ぶのが私の家の職分で、前世からの誇りで。百二敗の記録を止める、はじめての当たり札かもしれなくて。


 なのに――どうして私は今、あの晴れた空色の『鑑定』結果に、ケチのつけどころを探しているのだろう。


「フィオナ、お茶のおかわり! あと私の工具箱、持ってきてくれる?」


「……ただいま、お持ちします」


 私は一礼して、応接間を出た。


 廊下を三歩進んだところで、立ち止まる。


 嘘を視るのが、私の眼だ。


 その眼が今、いちばん視たくないものは、たぶん、自分の胸の内だった。


---


(第7話 了)


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