# 第6話 お見合い百二敗目と、小箱の歌
チェイニー子爵邸は、王都の北の外れにあった。
屋敷そのものは慎ましいのに、敷地の奥の蔵だけが城塞めいて立派という、実に雄弁な間取りである。
「ようこそ、ようこそレティシア様! まさか二度目の席を、それも拙宅でとお申し出いただけるとは」
玄関で出迎えた子爵は、上機嫌の絶頂にいた。丸眼鏡の奥の算盤の色が、今日は祝祭の勢いで弾かれている。公爵令嬢の来訪。縁談の進展。そして蔵の披露――蒐集家の見栄と商人の商機が、同時に満たされる日なのだから無理もない。
「本日はお招きに感謝しますわ、子爵。……ふふ、実はあれから、夜も眠れませんの。あの歌う小箱のような子たちが、まだ蔵に眠っているのかと思うと」
「ええ、ええ! 眠っておりますとも、選りすぐりが! ささ、こちらへ」
嘘は一つも言っていないのが、我がお嬢様の恐ろしいところである。眠れなかったのは事実だ。主に、算段の詰めで。
私はお目付け役の顔で二人に続きながら、頭の中の段取りを最終確認した。
一つ。蔵の中で、お嬢様が品物の検分にかこつけて時間を稼ぐ。
二つ。その間に私が「帳面」を視る。質草の台帳は商売の要、蔵の管理室にあるはずだ。書面そのものが無理でも、子爵に質問を重ねれば、答えの色で裏が取れる。
三つ。裏が取れ次第、合図。あとは――いつも通り。
「――さあ、我が楽園へ」
蔵の扉が、開いた。
なるほど、楽園だった。三階分の吹き抜けに、硝子張りの陳列棚が整然と並び、魔導灯の柔らかい光が数百点の古魔導具を照らしている。時計、灯り、楽器、農具に、玩具。どれも磨き抜かれ、埃ひとつない。
子ども用の魔導木馬があった。誰かの初節句の品だろう。婚礼の対の燭台があった。片方だけ、蝋の垂れ痕が深い。長く使われた寝室の側の一本だ。取っ手のすり減った魔導アイロンがあった。仕立屋の三代くらいは働いた摩耗だった。
品々は、無言だった。銘を削られ、来し方を削られ、それでも使い込まれた癖だけは、削りようがなくて。数百の家の暮らしが、声を持たないまま、硝子の棚に鎮座していた。
そして、そのことごとくに――銘が、なかった。
「素晴らしい……保存状態が、どれも完璧ですわね」
「恐縮です。手前、品の手入れだけは職人を雇わず、すべて自分の手で」
「ええ、わかりますわ。愛情のある手入れだもの。……ただ、一つだけ伺っても? どの子も、銘が見当たりませんの。これだけの品なら、匠の銘があって然るべきだと思うのだけど」
「あ、ああ……古い品ですから、流通の間に消えてしまうのですよ。残念なことです」
嘘。
視るまでもなかったが、視た。後ろ暗い色が、蔵に入ってから膨らみ続けている。数百点の銘なき品々は、この男にとって蒐集品であると同時に、証拠隠滅の済んだ在庫なのだ。
「そうそう、レティシア様。奥に、とっておきがございましてな。三代物の魔導大時計――音楽仕掛けの、それはそれは見事な」
――五番街の、時計屋。
お嬢様の背中が、一瞬だけ、止まった。
止まって、それから何事もなかったように、完璧な微笑のまま歩き出した。私にだけ、後ろ手の指が二本、立てられて見えた。段取り二つ目、前倒し。
「ときに子爵」
大時計の前で足を止め、お嬢様が首を傾げる。
「これほどのご商売、台帳の管理も大変でしょう。質草の受け入れは、月にどのくらい?」
「はは、まあ、月に十件ほどは」
「まあ。では手放される方も多いのね。……時計屋のご主人は、お元気かしら」
「は?」
「この大時計の、持ち主だった方。五番街の三代目。女房の薬代に借りたお金が返せなくて、この子を手放した方」
子爵の顔から、祝祭が消えた。
「な……なぜ、それを」
「答えになっていませんわ、子爵。――フィオナ」
「はい」
私は一歩、前へ出た。
「嘘が二件。銘は『流通の間に消えた』のではなく、あなたが削らせています。蔵の品への後ろ暗さ、および銘の話題への強い動揺の色。加えて」
視る。算盤の色の底、帳面の在り処を思い浮かべた男の視線が、無意識に走った先――蔵の奥の、管理室の扉。
「台帳は、あの扉の奥ですね。月十件、三年で三百超。質流れの品の『出荷先』も、当然、記帳されている。……剣に双頭の蔦の紋の、お相手のことも」
蔦、の一言で、子爵の色が変わった。
後ろ暗さから、恐怖へ。それも、私たちへの恐怖ではない。もっと別の、名前を呼ぶことすら憚る何かへの――
「し、知らない! わたしは、ただ品を卸しているだけだ! 先方が何に使うかなど、わたしは、何も」
「まあ。『何に使うか』をご存知ないのに、核の削り直しの指定は、ずいぶんお詳しい注文でしたのね」
お嬢様がにこりと笑い、袖口から小さな銀具を出した。倉庫で見た、光の縄の魔導球。
「衛兵は表に呼んでございますの。台帳が無事なうちに、洗いざらいお話しになることね。――ああ、それから」
球を弄びながら、お嬢様は大時計を見上げた。声だけが、氷点下だった。
「この子と、蔵の子たちは全部、元の家にお返しするわ。あなたの『楽園』はね、子爵。数百件の、家族の縁の墓場よ」
――子爵の観念は、早かった。
衛兵が踏み込み、台帳が押収され、オズワルド・チェイニーは連行された。台帳には三年分の質草と、蔦の紋の組織への「出荷」記録がぎっしりと詰まっていた。仕入れの末端が、丸ごと落ちた。
……ただ、一つだけ。
連行の直前、私は視てしまった。屋敷の門の外、街路樹の陰。墨色の人影が、立っていた。
影は何もしなかった。連行される子爵を見送り、それから、蔵の扉を一瞥し――去り際、指を一本、唇の前に立てた。
誰に、というまでもない。私に、だ。
三日後、留置されていたチェイニー子爵は、独房の中で「誰とも会わず、何も口にせず」、抜け殻のようになっているのが見つかった。命に別状はない。ただ、蔦の紋に関する記憶だけが、綺麗に、抜け落ちていた。
末端は、切られた。台帳という紙は残ったが、紋の先へ辿る「人の口」は、閉じられた。
――組織は、身内を消す。躊躇なく。
その冷たさを、私たちはこの日、初めて正面から見た。
……それでも。
一週間後の午後、五番街の橋のたもとで、私たちはひとつの音を聴いた。
王都の東の借家。落魄したアシュフォード男爵家の、狭い居間。返還された歌う小箱が、三月ぶりに持ち主の手の中で、蓋を開けた。
古代の匠の仕掛けが紡ぐ旋律は、素朴で、少し掠れていて、けれど確かに歌っていた。老いた男爵は小箱を抱えたまま声もなく泣き、その隣で、お嬢様は初めて、修理の済んだあの音を聴いた。
約束通りに。返すときに、初めて。
帰り道、夕暮れの橋の上で、お嬢様が言った。
「フィオナ。お見合い百二敗目、正式に確定ね」
「はい。相手方逮捕により破談。……この形式、二連続ですが」
「ふふん。でも今回は、あなたの作戦勝ちよ。お見合いを武器にするなんて、千組のプロは伊達じゃないわね」
「……武器にするために積んだ千組では、なかったのですけれど」
言いながら、悪い気はしていなかった。
結ぶための技術で、壊す。壊した先で、小箱が歌う。縁談係の職分からは外れっぱなしの日々だけれど――橋の下から昇ってくる揚げ物の匂いの中、隣を歩くこの方の横顔を見ていると、これはこれで、悪くない縁の結び方なのではないかと、思えてくるのだった。
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(第6話 了)




