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# 第5話 歌う小箱の、来し方



 小箱の修理は、口実のはずだった。


「――本当に三番線が緩んでたのよ。あの男、保管環境も雑なんだわ。乾燥剤の一つも入れてないんだから」


 口実のはずだったが、温室の作業台でお嬢様は本気の手入れを始めてしまい、私は本気の助手を務めさせられていた。共鳴板の張り直し、魔力芯の掃除、蝶番の油。文句を言いながら、その手つきは終始、壊れ物を抱く親鳥のそれだった。


「……それで、肝心の来し方は」


「出たわよ。ほら、ここ」


 お嬢様が小箱を裏返し、削られた銘の痕を魔導鏡片でかざした。斜めから光を当てると、削り残しの溝が、うっすらと浮かぶ。


「銘は二段彫り。上段が匠の銘で、下段が持ち主の家紋。上段は完全に消されてるけど、下段の彫りは深かったのね。……読める。縦に三つ、星」


「縦三ツ星……アシュフォード男爵家、です」


 貴族の紋なら頭に入っている。縁談係の家職は、こういうときばかり便利だった。


「王都の東の、古い男爵家。武門の家系ですが当代は文人肌で、確か古物の――」


 言いかけて、自分の言葉に躓いた。


 古物の蒐集家。そして三月ほど前、社交界の名鑑から名前が消えた家。理由は「領地経営の不振により、王都の屋敷を引き払ったため」。当時は気にも留めなかった一行が、急に別の顔で立ち上がってくる。


「……フィオナ。その顔は、当たりの顔ね」


「アシュフォード家は三月前に没落しています。蔵書と蒐集品を手放した、と聞きました。手放した先までは、名鑑には」


「載ってないでしょうね。でも、質草なら帳面が残る」


 言いながら、私は名鑑の続きの頁を、頭の中でめくっていた。アシュフォード男爵家。武門の名家、当代は文人肌。子は娘が一人、王都の学院に在籍――していた。没落と同時に退学の記録。学費が、続かなかったのだ。古物の蒐集は当代の道楽と世間は笑ったが、記録を信じるなら、あの家の蒐集は初代からの家風で、品々は三百年かけて集められた、家の歴史そのものだった。


 それが三月で、蔵ごと消えた。


 お嬢様は小箱を桐箱へ戻し、地味な外套を引き寄せた。


「三番街よ、フィオナ。質屋と貸金の噂なら、あそこが王都で一番詳しい」


 ――かくして翌日。名目「大聖堂への祈祷」、実態「下町の聞き込み」である。もはや大聖堂に足を向けて寝られない。


「おう、リティ! この前の腕輪の件、衛兵が礼を言いに来たぜ。下町の呪具、あれから三十点は回収できたんだと」


「そう、よかった。……で、今日はまた別件なんだけど」


 ガンツ工房の店先で、お嬢様は小箱の一件を手短に話した。チェイニーの名前が出た途端、親方の眉間の皺が、目に見えて深くなった。


「チェイニー子爵、ねえ。……嬢ちゃん、そいつは下町じゃ有名人だ。ただし、悪い方でな」


「聞かせて」


「表向きは上品な貸金屋よ。利息も相場、取り立ても穏やか。ただし――貸すのは、いい魔導具を持ってる家だけだ」


 親方は火の入っていない炉に腰かけ、指を折り始めた。


「手口はこうだ。まず、金に詰まった家を嗅ぎつける。商売の失敗、当主の病、賭け事。それとなく近づいて、気前よく貸す。担保は代々の魔導具だ。『これほどの品なら、これだけお貸しできます』ってな。相場より高く見積もるんだ。借りる方は助かった気になる」


「……返せなくなるまで、貸すのね」


「そういうことだ。気づいたときにゃ質流れよ。家宝の魔導具は根こそぎ、あの男の蔵の中。この三年で、俺が知ってるだけで四軒がやられた。アシュフォードさんとこも、たぶんそれだ」


「……四軒。下町の家も?」


「二軒はな。一軒は五番街の時計屋だ。三代続いた店でよ、看板代わりの大時計――初代が組んだ魔導仕掛けの、そりゃあ見事な品があった。女房の薬代で借りた金が返せなくなって、時計ごと店を畳んだ。親父さん、今は東の橋の下で日雇いだ。……先月、様子を見に行ったら言ってたよ。『金はいい。けどあの時計だけは、倅に継がせたかった』とな」


 お嬢様は、黙って聞いていた。


 膝の上の拳が、白くなるほど握られているのを、私だけが見ていた。三代の時計屋。初代の銘の入った大時計。その核もいまごろ、南方式に削り直されて、誰かの心を縛る首輪に嵌まっているのかもしれなかった。


 ――嫌な符合が、また一つ増えた。


 三年。倉庫の隷属具が下町に流れ始めた時期と、重なる。


「親方。もう一つだけ。チェイニーの蔵から、品物が『出ていく』先を知らない? 蒐集家なら抱え込むはずでしょう。でも、あの男が手放した品を見た人がいるなら」


「……いる」


 親方は声を落とし、店の奥へ顎をしゃくった。


「二月ほど前だ。うちに核石の研磨の依頼が来た。持ち込んだのは見ねえ顔の運び屋で、品は古い魔導具の核ばかり十二点。どれも銘のある家宝級だ。で、注文がふるってやがる。『三層式の台座に合うよう、南方式に削り直せ』とよ」


 背筋が、冷えた。


 三層式の台座。南方削りの核石。


 隷属具の、あの組み方だ。


「断った。銘のある核を削り直すなんざ、職人のやることじゃねえ。そしたら運び屋の野郎、笑って引き取っていったよ。『他を当たる』とな。……その荷札に、妙な紋が焼き印してあった」


「剣に、蔦」


「――なんで知ってる」


 親方の顔色が、変わった。お嬢様と私は、顔を見合わせた。


 繋がった。


 チェイニーの質草詐欺は、単なる強欲ではない。没落させた家から家宝級の魔導具を吸い上げ、その核を隷属具の材料として、蔦の紋の組織に卸している。由緒ある魔導具の核ほど、質がいいからだ。ハロルドの流通網が「売る」末端なら、チェイニーは「仕入れる」末端。


 同じ蔦に、別の枝で、ぶら下がっている。


「……道具を、餌にして」


 お嬢様の声は、低かった。


「家ごと沈めて、家宝を毟って、銘を削って、呪いの部品にする。――ねえフィオナ。私、あの小箱の音、まだ聴いてないのよね。修理は終わったのに」


「レティシア様?」


「鳴らすのはね、決めてるの。アシュフォードのご当主に、お返しするときって」


 立ち上がったお嬢様の目に、あの温度の低い火が灯っていた。趣味の火ではない。倉庫の夜の、怒りの火だ。


「親方、恩に着るわ。――フィオナ、帰って支度よ。チェイニーの蔵の帳面、拝みに行く算段を立てましょう」


「……せめて今回は、正面から令状を、とは申しません。申しませんが、せめて」


「ん?」


「私も、算段から噛ませてください。前回は突入四秒前に知らされましたので」


 お嬢様は目を丸くして、それから、実に嬉しそうに笑った。


「言うようになったじゃない、相棒。で? 縁談係どのの算段は」


「――蔵の帳面を拝むのに、忍び込む必要はございません」


 私は頭の中の帳面を、静かに開いた。チェイニー子爵の釣書。得意げな色。小箱を預けて帰った、上機嫌と不安が半々の顔。あの男はいま、公爵令嬢との縁談に、商機の匂いを嗅いでいる。


「二度目のお見合いを、こちらから申し入れます。場所のご指定は――子爵のお屋敷。『ぜひ、ご自慢の蒐集をすべて拝見したい』と添えて。蒐集家で商人のあの方が、公爵家のお嬢様のご要望を、断れるはずがありません」


「……正面から、招かれて入るわけね。蔵の中まで」


「お見合いとは、そういう席でございますので」


 千組を結んだ席の作法を、まさか家宅の検分に使う日が来ようとは。前世の私が聞いたら卒倒するだろう。だが、悪くない気分だった。


 お嬢様は声を上げて笑い、私の肩を、遠慮なく叩いた。


 工房を出ると、三番街は夕暮れだった。露店の灯りがぽつぽつと点り、揚げ芋の匂いが流れてくる。十年前、行き倒れの令嬢を拾ったこの街の匂いだ。


 この街の家々からも、四軒。


 道具を人質に、縁の切れ目を金に換える男の蔵へ――百二敗目の戦場は、決まった。


---


(第5話 了)


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