# 第4話 百二人目は、手土産が上手い
百二人目の釣書は、倉庫の一件から六日後に届いた。
「オズワルド・チェイニー子爵、三十一歳。王都で金融業を営み、古魔導具の蒐集家として知られる。王立古物協会の正会員。……ほう」
釣書の検分は縁談係見習いの職分である。私は職業的に頁を繰り、職業的に眉を寄せた。
条件は、中の中。家格は釣り合いの下限、年齢差は十三、家業の金融は貴族の間では一段低く見られる稼業だ。成婚率、前世基準で査定して十五パーセント。普段なら、お受けするか否かから協議する水準である。
問題は、釣書に添えられた一文だった。
『当日は、拙蔵の品より古代式の魔導オルゴールを一点、ご挨拶代わりに持参いたします』
「――受けるわ」
釣書を見せて三秒だった。
「レティシア様。せめて五秒は悩んでください」
「古代式のオルゴールよ、フィオナ。現存数、王国で確認されてるだけで七点。動く個体は三点。それを持ってくるって言ってるのよ? 悩む要素がどこにあるの」
「お相手の人柄とか、家格とか、悩む要素は釣書に三頁ぶんございます」
「そっちはあなたの管轄でしょ。適当に視といて」
適当に視る鑑定があってたまるか。
――とはいえ、私にも思うところはあった。
倉庫の一件から六日。蔦の紋の調べは行き詰まり、仲介状の偽造犯も絞り込めないまま、次の縁談が来た。敵の駒か、ただの求婚者か。いずれにせよ、席に着かなければ何もわからない。
そして正直に言えば――胸の奥の帳面に、もう一行あった。
古物蒐集家の金融業者。三十一歳。趣味は合致、条件は平凡。この組み合わせなら、まず、纏まらない。お嬢様が品物に食いついて終わる図しか見えない。
安全な相手だ、と。
私の中の誰かが、そう査定した。その査定に安堵した自分を、私は帳面ごと閉じて見なかったことにした。
――当日。
「お初にお目にかかります、レティシア様。オズワルド・チェイニーと申します」
百二人目は、噂に違わぬ学者風の男だった。細身に丸眼鏡、指先だけ妙に手入れが行き届いている。物腰は柔らかいが、商人の柔らかさではなく、書庫の司書のそれに近い。
そして挨拶もそこそこに、供の者が恭しく運び込んだ木箱が、長机の中央に据えられた。
「お約束の品でございます。古代式魔導オルゴール――通称『歌う小箱』。動作個体でございます」
箱の蓋が、開いた。
覗いた瞬間、私は本日の敗戦を確信した。
お嬢様の完璧な微笑が、完璧なまま、微動だにしなくなったからである。あれは仮面が仕事をしているのではない。仮面の下の中身が、呼吸を忘れているのだ。
「……拝見、しても?」
「どうぞどうぞ。レティシア様は古物にご理解が深いと伺っておりましたので」
白手袋――いつの間に着けたのか――のお嬢様が、小箱を光にかざす。銀の細工箱に、髪の毛ほどの魔力回路が幾何学模様を描いている。蓋の裏の共鳴板、側面の巻き上げ式の魔力芯。私には骨董品にしか見えないが、お嬢様の目の色を見れば、それが宝の山であることだけはわかった。
――オルゴール。
不意に、十三年前の東屋がよみがえった。歯車まみれの両手で壊れたオルゴールを抱えた、五歳の公爵令嬢。『この隙間、指が入る?』。私たちの縁の、一番最初にあった道具。あれも確か、音の出なくなった古い小箱だった。二人がかりで三月かけて直して、鳴った日には、お嬢様は歌に合わせて庭を三周した。
だからこの方は、オルゴールにだけは、少し弱い。
釣書を見て三秒で受けた理由の底を、私はいまさら覗いた気がして、少しだけ、胸のどこかが軋んだ。
「単層式……いえ、単層に見せた無層式? 回路を彫らずに、素材の結晶構造そのものを回路に使ってる。だから古代式は複製できないって――ああ、共鳴板の裏、視たい。ねえこれ、開けても」
「はっはっは。お噂以上だ。どうぞ、蝶番は右から」
会話が、弾んでいた。
弾んで、しまっていた。
チェイニー子爵は蒐集家として本物らしく、お嬢様の早口の専門談義に、専門で返してくる。単層式と無層式の判別、古代の匠の流儀、発掘品の保存法。氷の薔薇の仮面は五分で剥がれ、素の魔導具オタクが全開になり、しかし相手は引くどころか身を乗り出している。
もっとも、注意深く聞けば、二人の会話には奇妙な非対称があった。子爵の知識は、どこまでも「目録」なのだ。年代、産地、相場、現存数。対してお嬢様の知識は「中身」だった。回路の癖、匠の手つき、直し方。子爵が『何年のどこ産か』を語るとき、お嬢様は『どう動いて、どこが痛みやすいか』を語る。蔵に飾る人と、手で直す人。同じ蒐集談義でも、住んでいる世界が一枚、違っていた。
――まさか。
ティーワゴンの脇で、私は静かに動揺していた。
まさか、この方角から当たり札が来るのか。家格は下限、年齢差は十三。だが趣味の一致は、時に条件の山を飛び越える。前世で何度も見た。成婚率、十五から――四十に、修正。
ぞわり、と胸の奥が冷えた。
冷えた自分に気づいて、もっと冷えた。
馬鹿な。私は何を怯えている。プロなら喜ぶ場面だろう。視ろ。仕事をしろ。相手の本性を検分するのが、お前の職分だろう。
『鑑定』。
――ああ。
安堵と失望が、同時に来た。この二つが同時に来る自分の胸の造りを、私はいよいよ疑うべきなのだろう。
チェイニー子爵の内側。学者めいた柔らかい物腰の下は、算盤の色だった。品物への愛はある。本物だ。だがその愛のすぐ隣に、得意と、値踏みと――そして小箱を見るお嬢様の視線を追うたびに膨らむ、後ろ暗い色。
やましさだ。それも、この小箱そのものに纏わる。
「時に子爵。この品、ご入手の経路を伺っても? 古代式の動作個体なんて、協会の競売でも十年は出ていないはずだけれど」
お嬢様の問いは、純粋な蒐集家の好奇だった。
子爵の答えは、そうではなかった。
「ええ、まあ、蒐集家同士の縁と申しますか。さる旧家が手放されたのを、ご縁あって」
嘘、と私の眼が言った。後ろ暗い色が、一気に濃くなった。
そして、お嬢様の指が、止まった。
小箱の底。白手袋の指先が、底板の一点を撫でている。
「……ここ、銘があったのね。作った匠の銘か、持ち主の家の銘か。――削られてる。最近よ。削り口がまだ光ってる」
顔を上げたお嬢様の目から、蒐集家の熱が消えていた。
残ったのは、私のよく知る、あの温度の低い光だった。
「子爵。道具の銘を削るのはね、道具の来し方を殺すのと同じことよ。蒐集家なら、ご存知のはずだけど」
「そ、それは……手前どもに来た時には、すでに」
嘘。二つ目。
空気が、三度ほど下がった。だが子爵が青ざめるより早く、お嬢様はにこりと、完璧な淑女の微笑を貼り直した。
「――ところでこの子、共鳴板の三番線が緩んでるわ。音が濁る前に手入れした方がいい。数日、お預かりしても? 修理は得意なの」
「え? え、ええ、レティシア様にお任せできるなら、それは、光栄で……」
「決まりね。フィオナ、桐箱の用意を」
かしこまりました、と一礼しながら、私は理解した。
修理は口実だ。この方は、銘を削られた小箱の「来し方」を調べる気なのだ。誰の銘が削られたのか。この品は、どこから、どうやって、子爵の蔵に来たのか。
お見合いは、その後三十分ほどで散会した。子爵は上機嫌と不安が半々の顔で帰っていき、応接間には、私と、お嬢様と、歌う小箱が残された。
扉が閉まって、三秒。
「――フィオナ。あの男、金融業って言ったわね」
「はい。王都で貸金を。質草も扱うと釣書に」
「質草、ね」
お嬢様は桐箱の中の小箱を、そっと撫でた。壊れ物を扱う手つきで、けれど声は、倉庫の夜と同じ温度で。
「銘を消された道具が、貸金屋の蔵から出てきた。……嫌な符合だと思わない? 下町でばら撒かれてた隷属具も、確か『質流れ』の触れ込みだったわよね」
百二敗目の鐘が、遠くで鳴った気がした。
今回もまた、破談の残骸から、碌でもない何かが顔を出そうとしている。
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(第4話 了)




