# 第3話 お見合い百一敗目、正式に確定する
夜の港区、三番倉庫街。
潮と錆の匂いの中、荷役の絶えた深夜の倉庫街は、昼間とは別の顔をしていた。等間隔の街灯の光が届かない路地の暗がりを縫って、私たちはメイエル商会の持ち倉庫へ近づいた。
メイエル商会の持ち倉庫の前で、私たちは荷箱の陰にしゃがみ込んでいた。
「レティシア様。改めて確認しますが、本日の名目は『夜間の祈祷』です」
「ええ。悪党が改心しますようにって祈るところよ」
「殴り込みを祈祷とは言いません」
言いながら、私は倉庫の壁越しに『鑑定』を巡らせた。中の人影は五つ。うち一つは、昨日視たばかりの亜麻色――ハロルド・メイエルその人である。残る四つのうち三つは雇われの色。そして最後の一つが、妙だった。
色が、視えない。
人の形はあるのに、内側が墨を流したように塗り潰されている。千人以上を視てきて、初めてのことだった。
「……一人、視えない方がいます。お気をつけて」
「了解。じゃ、行きますか」
レティシア様は外套の下から自作の魔導具を三つ、手品のように取り出した。曰く「祈祷用の道具一式」。絶対に違う。
突入は、実にあっけなかった。
お嬢様が扉の魔導錠に細工棒を差し込んで四秒。開錠。続けて投げ込まれた小さな球が眩い閃光を放ち、雇われたちが怯んだ隙に、二つ目の球から伸びた光の縄が三人まとめて縛り上げた。捕縛式の応用改造――暖房魔導具を三割強化した、あの手癖の悪い天才の手による。
「な……誰だ!?」
閃光の残滓の中、ハロルド・メイエルが誰何の声を上げる。
外套のフードを、お嬢様がばさりと払った。銀の髪がこぼれ、倉庫のランプの光を撥ねる。
「ごきげんよう、ハロルド様。昨日ぶりですわね」
完璧な淑女の微笑。完璧な淑女の礼。
ただし足元には縛り上げた雇われが三人転がり、右手には次の魔導球が握られている。氷の薔薇の運用方法として、何もかもが間違っていた。
「レ、レティシア嬢……!? なぜここに」
「お見合いの続きをと思いまして。ほら、昨日は殿方のお仕事のお話、ゆっくり伺えませんでしたから」
お嬢様は倉庫の奥へ視線を流した。積み上がった木箱。溢れかけた中身は、腕輪、指輪、髪飾り――どれも台座は三層式、核石は南方削り。
「まあ、素敵な品揃え。禁術の隷属具を『質流れ』と偽って下町に流す、立派な立派なご商売」
「な……何のことだか」
「フィオナ」
「はい」
私は一歩前へ出て、視た。
「嘘です。動揺、及び隠蔽の色。ついでに申し上げると、昨日『目利きに自信があったが掴まされた』と仰った件も嘘。ご自分が偽装させた品だと、最初からご存知でした」
「なっ――」
「さらに申し上げれば、商会の帳簿を三重に付けていることに強い後ろめたさの色。人を一人、南へ『送った』ことに怯えの色。……この方、視えている悪事だけで縛り首が二周ほどいたしますが」
「化け物か貴様ァ!!」
失礼な。プロと呼んでいただきたい。
もっとも、気持ちはわからないでもない。前世の私がこの眼を持っていたら、面談室は懺悔室に化けていただろう。嘘の通じない相手と向き合う恐怖は、嘘で生きてきた人間ほど深い。ハロルド・メイエルの色は今、その恐怖一色に塗り替わりつつあった。よく喋る色だ。追い詰められた詐欺師は、黙るより先に、暴れる。
ハロルドは懐から短杖を抜いた。攻撃用の魔導具――だがその輪郭が光を帯びるより早く、レティシア様の指が三つ目の球を弾いていた。
乾いた音。短杖の核石だけが、綺麗に砕けて床に散った。
「共鳴破砕。同じ南方削りの核石なら、周波数を合わせて割れるの。――ね、勉強になるでしょう?」
あなたの商品のおかげで調整できたのよ、とお嬢様は笑った。悪童の顔で。
腰を抜かしたハロルドの襟首を、お嬢様は淑女にあるまじき力で吊り上げる。
「さて、ハロルド様。品物の卸元を伺いましょうか。剣に双頭の蔦――この紋の主は、誰?」
「し……知らない、本当だ! 品は指定の場所に届く、金は先払い、顔も見たことがない……!」
「フィオナ?」
「……真実、です」
視ながら、私は眉を寄せた。真実の色。だがその奥に、もう一枚、膜のような色が張り付いている。
「ただ、一つだけ妙です。ハロルド様。あなた、そもそもなぜ昨日、レティシア様とのお見合いの席に?」
「は……? それは、縁談の打診が来たから……」
「どちらから」
「どちらって……仲介状が届いたんだ。オールウィン公爵家の、縁談係の名で――」
心臓が、嫌な音を立てた。
縁談係。
それは、我がフローレス家の家職の名である。
「……その仲介状に、こう書いてあったのではありませんか。『当日は例の品を身につけてお越しください』と」
鎌をかけた。ハロルドの色が、正解だと悲鳴を上げた。
「な、なぜそれを……着けていれば話が通る、先方への合図だと……」
昨日のお見合いは、隷属具の「納品」を兼ねていた。
そしてその席を整えたのは――書類の上では、私の家だ。
「フィオナ」
レティシア様の声で、我に返った。ハロルドを衛兵に引き渡す段取り、倉庫の品の押収、そういう実務の指示を、お嬢様はてきぱきと並べていく。私は頷きながら、頭の片隅で家の顔ぶれを一人ずつ数えていた。父。兄。叔父。分家の面々。仲介状に署名できる人間は、そう多くない。
――考えすぎだ。名を騙られただけかもしれない。
そう思おうとしたとき。
視界の端で、何かが動いた。
倉庫の二階、闇の溜まった梁の上。視えないはずの「墨色」が、音もなく夜へ滑り出ていく。追う間もなかった。ただ去り際の一瞬、墨の裂け目から、こちらを見た気がした。
私を、ではない。
私の『鑑定』を、値踏みするように。
「……レティシア様。今夜は、当たりくじを引いたのかもしれません」
「あら、いいことじゃない」
「くじの胴元に、顔を覚えられた気もします」
夜明け前、私たちは倉庫街を後にした。
ハロルド・メイエルは衛兵に引き渡され、後日、商会は解散。かくしてお見合い百一敗目は、破談どころか相手の逮捕という前人未踏の形式で、正式に記録された。
帰りの辻馬車で、お嬢様は上機嫌に戦利品――押収品の写しの回路図――を眺めていたが、ふと顔を上げて言った。
「ねえフィオナ。縁談係の名前が出たこと、気にしてるでしょ」
「……いいえ」
「嘘。あなた、嘘は視えるのに吐くのは下手なのよね」
図星を突かれて黙る私に、お嬢様は回路図をひらりと畳み、事もなげに続けた。
「誰が仕組んだにせよ、私の相棒はあなたよ。それは私が決めることで、紋章ごときに口出しはさせないわ」
……ずるい人だと、思う。
こういうときだけ、公爵令嬢の顔で断言するのだ。
「――次のお見合い、そろそろ打診が来る頃合いですね」
私は窓の外へ目を逸らして、話を変えた。
百二人目。それが敵の駒なら、尻尾を掴む好機で。
ただの善良な求婚者なら――そのときは。
そのときのことは、まだ、考えないことにした。
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(第3話 了)




