# 第2話 氷の薔薇、三番街に降臨する
王都の三番街は、貴族の馬車が決して停まらない街である。
露店がひしめき、油と香辛料の匂いが立ちこめ、鍛冶屋の槌音と客引きの声が石畳の上でぶつかり合う。公爵令嬢が足を踏み入れていい場所では、断じてない。
「おう、来たなリティ! 待ってたぜ」
断じて、ないのだが。
「ガンツ親方、お久しぶり! ほら例の触媒、持ってきたわよ。先週言ってた三層式の焼き直し、あれ私の見立てだと配線が一本余るはずなの」
「はっはあ、嬢ちゃんもそう思うか! 俺もどうにも腑に落ちなくてよ」
魔導具工房「ガンツ工房」の店先で、うちのお嬢様は完全に常連の顔をしていた。
地味な外套のフードを下ろし、銀髪を無造作にひとつ結び。伝票の裏にすらすらと回路図を描いて、親方と額を突き合わせている。氷の薔薇の面影は、髪の色以外どこにもない。
「……レティシア様。本日の名目は『大聖堂への祈祷』です。祈祷」
「祈ってるじゃない。良い掘り出し物がありますようにって」
「神様も苦笑いなさいます」
私はフードの奥でため息をついた。
三番街は、レティシア様の庭である。
きっかけは十年前。八歳のお嬢様が屋敷を抜け出して迷い込み、行き倒れかけたところをこのガンツ親方に拾われた。曰く「腹を空かせたガキが、店先の分解中のコンロを三十分も睨んでた」。曰く「芋を食わせたら、礼の代わりに『ここの配線、逆じゃない?』と抜かした」。曰く「悔しいことに、逆だった」。
工房の隅で齧った揚げ芋の味と、親方が魔導コンロを直す手つきに、幼い公爵令嬢は雷に打たれたらしい。
『道具ってね、フィオナ。人を助けるためにあるのよ』
あの日から十年、それがこの方の信条になった。壊れた道具は直す。困った人間は放っておかない。屋敷の教師たちが十年かけて教え込めなかった「貴族の責務」とやらを、下町の職人は揚げ芋一本で教えてしまったわけである。公爵家の教育費の敗北だった。
だから――
「それで親方、本題なんだけど」
レティシア様が声を落とし、懐から一枚の紙を出した。昨日のお見合いのあと、記憶だけで描き起こした例のボタンの図面である。相変わらず、腹立たしいほど精密だった。
「三層式の台座に、南方削りの核石。こういう組み方の品、最近この辺で見かけない?」
親方の顔から、笑いが消えた。
「……嬢ちゃん、どこでこれを」
「見かけたのね?」
「見かけたどころじゃねえ」
親方は店の奥を目で示した。作業台の隅、布をかけた木箱。めくると、中には小ぶりな腕輪が三つ。どれも台座は三層式、核石は南方削り――昨日のボタンと、同じ組み方だった。
「先月から、質流れって触れ込みで妙な業者が卸しに来る。値は相場の半分。うちは断ったが、安さに釣られて仕入れた店は多い。で、だ」
親方は腕輪をひとつ、火ばさみで摘まみ上げた。素手で触らない。その意味が、わかってしまった。
「これを買った客が、二人、人が変わったみてえになった。一人は借金取りの言いなりになって店の権利書を差し出した。もう一人は――行方知れずだ」
応接間で視た、あの昏い色を思い出す。
「レティシア様、これ」
「ええ」
お嬢様はすでに工具を握っていた。火ばさみごと腕輪を受け取り、光にかざし、核石の奥を覗き込む。その横顔から、いつもの悪童の気配が抜け落ちていく。
長い、検分だった。角度を変え、魔導鏡片を三枚重ね、時折、手が止まる。手が止まるたび、横顔が硬くなっていく。私は黙って待った。この方の手が止まるのは、わからないときではない。わかってしまったときだ。
「……核石の中に、もう一つ回路が彫ってある。外の三層式は飾りよ。本体はこっち――精神干渉系。それも、命令を刻む型」
「隷属の魔導具、ですか」
「大昔に禁じられた術式のはずよ。教本にも『存在した』としか書いてない代物。……彫りの精度が、また嫌になるくらい高いの。これを作った奴、腕は一流よ。一流の腕を、こんなことに使ってる」
道具を愛する人の声で、道具を憎むように、お嬢様は言った。
禁術の隷属具が、質流れの安物の顔をして、下町にばら撒かれている。
道具は人を助けるためにある――その信条を踏み躙る品を前に、レティシア様は長いこと黙っていた。やがて腕輪を裏返し、留め金の内側に目を留める。
「フィオナ。ここ」
示された先に、爪の先ほどの刻印があった。
剣に絡みつく、双頭の蔦。
見たことのない紋章だった。貴族の家紋は縁談係の家職柄、王国中のものを頭に叩き込んである。その私が、知らない。
「どこの紋でもない……いえ、どこの紋でもない形に、わざと崩してある?」
「作った奴の署名か、組織の徴か。どっちにしても」
レティシア様が顔を上げた。
青の瞳に、昨日ハロルド・メイエルを解体したときと同じ光が灯っている。ただし温度が違った。あれは趣味の火で、これは――怒りの火だ。
「ガンツ親方。この腕輪、しばらく借りるわ。それと、卸しに来た業者の人相と、仕入れた店を教えて」
「構わねえが……嬢ちゃん、深入りする気か。相手は禁術を平気で商う連中だぞ」
「だからよ」
お嬢様は事もなげに言って、腕輪を丁寧に布でくるんだ。
「揚げ芋一本の恩も返せないようじゃ、オールウィンの名が泣くもの」
――ああ、始まった。
私は胸中で白旗を揚げつつ、頭の中の帳面を開いた。ハロルド・メイエル、貿易商。扱う品目、船の便、商会の登記。縁談係が縁談のために集めた釣書の情報が、こういうときばかり役に立つ。
千組を結んだ私の眼は、嘘を視る。
この方の腕は、呪いを解く。
組み合わせれば、大抵の悪事は丸裸にできる――百連敗の道すがら、私たちはそれを嫌というほど学んでしまった。
「フィオナ、例の男の商会って確か港区だったわよね」
「三番倉庫街です。……行くのでしょう? お供します」
「話が早い」
お嬢様がにっと笑う。氷の薔薇が聞いて呆れる、下町の悪童の笑顔で。
この笑顔に付き合って、縁談を百一回沈めてきた。
プロ失格と、罵りたければ罵ればいい。
それでも私は知っている。この方の隣ほど、居心地のいい場所を他に知らない。
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(第2話 了)




