# 第1話 伝説の結婚相談員、101回目の敗戦を見届ける
お見合いというものは、席に着いて三分で八割が決まる。
これは私の持論ではない。統計だ。前世、三十年かけて千組の夫婦を世に送り出した、この私の。
最初の挨拶の声量で、育ちがわかる。茶菓子への手の伸ばし方で、余裕がわかる。相手の親の話題への返しで、誠意がわかる。残る二割は運と、天気と、店の空調である。私はこの統計を武器に、業界最難関と謳われた会員たちを千組、纏めてきた。引退の日、後輩たちは私を「伝説」と呼んだ。悪い気はしなかった。墓石に刻んでもいいとすら思った。
まさか墓石の代わりに、異世界の公爵家の応接間で、その統計を使う羽目になるとは思わなかったが。
「――本日はお日柄もよく」
公爵家の応接間。磨き抜かれた長机を挟んで、本日のお相手が優雅に一礼した。
ハロルド・メイエル伯爵子息、二十四歳。伯爵家の次男ながら王都で貿易商会を営み、若くして財を成した俊英。物腰は柔らかく、亜麻色の髪は品よく撫でつけられ、微笑みには一点の曇りもない。
条件だけ見れば、極上物件である。
前世の私なら、迷わず太鼓判を押しただろう。成婚率、八十五パーセント。三か月以内に婚約、半年で挙式。式場は王都大聖堂、引き出物は――いや、この世界に引き出物の文化はなかった。
縁談係見習いの私――フィオナ・フローレスは、ティーワゴンの脇に控えたまま、そっと視線を上げた。
視るために。
『――鑑定』
スキルが起動する。ハロルド様の輪郭が淡く光を帯び、その内側が、私にだけ透けて見える。
これが転生の置き土産だった。前世で千組を見立てた眼力は、この世界では「相手の本性と相性を視る」スキルとして生まれ変わった。嘘の笑顔の下の打算も、初々しい態度の裏の遊び癖も、視ようと思えば視えてしまう。色、としか言いようのないものが、人の輪郭の内側に透けるのだ。誠実は澄んで、打算は濁って、恋は温かく、悪意は冷たい。千人分の面談記録と突き合わせて、私はこの色の辞書を、転生後の十八年でほぼ編み終えていた。
結婚相談員として、これほどの反則技があるだろうか。
私は前世で、この眼が喉から手が出るほど欲しかった。釣書の年収欄より、本人の申告より、確かなものが視たかった。会員の涙を千回見た。「あの人、面談のときは誠実そうだったのに」――その一言を聞くたび、自分の目玉を疑った。だからこの力を授かったとき、天職を続けろという神様の思し召しだと思った。
思った、のだが。
神様は肝心なことを言い忘れていた。視える眼を持ったところで、担当がこの方では、千の技術のすべてが無力なのである。
「お会いできて光栄です、レティシア様。お噂はかねがね……その、社交界の薔薇、と」
ハロルド様の視線の先。
長机の向こうに、本日の主役が座っている。
レティシア・オールウィン公爵令嬢。十八歳。
結い上げた銀の髪に、湖水を写し取ったような青の瞳。背筋は定規で引いたように真っ直ぐで、膝の上に重ねた指先の角度まで完璧だった。微笑は絵画のごとく動かず、何を考えているのかまるで読ませない。
社交界での二つ名は「氷の薔薇」。
見た目の採点をするなら、百点。文句なしの百点である。私は千人単位で人間を見てきたが、この容姿は前世を含めても最上位に入る。
そして――お見合い成績、百戦百敗。
本日は記念すべき、百一戦目であった。
「……お噂、ですか」
レティシア様が、鈴を転がすような声で応じる。
「ええ。氷の薔薇と名高い貴女とこうしてお会いできるとは、夢のようで」
「まあ」
完璧な微笑。完璧な相槌。
だが私は知っている。幼なじみだけが知っている。
あの完璧な微笑の内側で、この方は今、確実に別のことを考えている。具体的には、ハロルド様の胸元で鈍く光る飾りボタン――あれ、多分そこらの装飾品ではない――を、穴が空くほど観察している。
視線の角度でわかる。瞳孔の開き方でわかる。なにせ百回見てきた。
(レティシア様。お顔。お顔が仕事をしていません)
私は心の中で念を送った。届かないことも百回の経験で知っていた。
「時にレティシア様は、ご趣味は何を?」
「刺繍を少々」
嘘である。
この方の刺繍箱の中身は、針と糸ではなく精密ドライバーもどきの魔導工具一式だ。私は知っている。先週、その工具で公爵家の暖房魔導具を勝手に分解して出力を三割上げ、屋敷の温室の花を全部蒸らしかけたのも知っている。庭師頭が半泣きだった。
レティシア・オールウィンの中身は、氷の薔薇などではない。
趣味に生きる魔導具オタクで、曲がったことが大嫌いで、困った人間を見ると身分も体裁も放り出して突っ込んでいく――例えるなら、そう、下町の祭りを仕切っている気のいい親分。それが本性である。
なぜ私がそこまで知っているかといえば、話は十三年前に遡る。
我がフローレス家は、代々オールウィン公爵家に仕える家系だ。執事を出し、家庭教師を出し、そして「縁談係」を出す。公爵家の縁組を差配するのが、フローレスの家職だった。
私はその末娘として生まれ、五歳のレティシア様の遊び相手として召し上げられた。
初対面の日のことは忘れない。庭の東屋で、五歳の公爵令嬢は歯車まみれの両手で壊れたオルゴールを抱え、こう言ったのだ。
『あなた、手が小さいわね。ちょうどいいわ。この隙間、指が入る?』
淑女の挨拶も何もなかった。付き添いの侍女が卒倒しかけ、六歳の私は前世の記憶を総動員して考えた。これは新手の圧迫面接か、それとも。
答えはどちらでもなかった。ただの、本気だった。この子は本気で、三日三晩このオルゴールと格闘し、本気で行き詰まり、本気で「指の細い誰か」を待っていたのだ。公爵令嬢の遊び相手という大役も、彼女にとっては修理助手の採用面接でしかなかった。
指は、入った。
歯車の奥に詰まっていた折れたぜんまいの欠片を、私の指先が摘まみ出した瞬間――五歳の暴君は、宝物を見る目で私を見た。
『採用。あなた、今日から私の相棒ね』
私はその日から彼女の「相棒」で、修理助手で、共犯者になった。
だから、わかってしまう。
あの完璧な淑女の仮面が、いつ、どこで、剥がれ落ちるのか。
「――ところでハロルド様」
来た。
レティシア様の声のトーンが、半音だけ下がった。百回聞いた、仮面に亀裂が入る音である。
「その胸元のボタン。少し、拝見しても?」
「え? ああ、これですか。商売仲間から譲り受けた品で、東方の細工物だとか」
「東方」
氷の薔薇が、すっと目を細めた。
「妙ですわね。台座の魔力回路は明らかに王国東部の三層式。ですが嵌め込まれた核石の削り方は南方大陸の流儀。東方の細工師は核石を削りません、磨くのです。つまりそのボタンは、産地を偽って流通した品――もしくは、産地を隠したい品ですわ」
「……は?」
ハロルド様の笑顔が、初めて固まった。
私は天井を仰ぎたくなるのを堪えた。
(出た)
これだ。これが百連敗の正体だ。
お見合い相手が魔導具の類を身につけてきた場合、この方は三分と我慢できない。鑑定士も裸足で逃げ出す観察眼で品物を丸裸にし、相手の経歴ごと解体してしまう。過去には持参した求婚の指輪を「三番街の露店で銀貨五枚の量産品ですわね、良い買い物です」と看破して相手を憤死させかけたこともある。
だから今日も、いつも通りの敗戦だ。
いつも通りの――はずだった。
『鑑定』の視界の中で、ハロルド様の色が、変わった。
柔和な亜麻色の輪郭の内側。にわかに滲み出したのは、焦りと、それを上回る昏い色。前世の言葉で言うなら「アポ即日の投資詐欺師が、カモに契約書の粗を突かれた瞬間」の色である。千人視てきた私が断言する。あれは堅気の色ではない。
(……ハロルド・メイエル。若くして財を成した、貿易商)
その財の出所を、私は視てしまった気がした。
「これは……お恥ずかしい。目利きには自信があったのですが、掴まされたようですね」
ハロルド様は苦笑してボタンを袖口で隠し、話題を変えた。声は柔らかいままだった。色だけが、どんどん濁っていった。
お見合いは、その後つつがなく進行した。つつがなく、山もなく、盛り上がりもなく。
一時間後、ハロルド様は「また改めて」という社交辞令を残して馬車で去り、応接間には私とレティシア様だけが残された。
扉が閉まって、きっかり三秒。
「――んん~~~っ!!」
氷の薔薇が、音を立てて崩壊した。
レティシア様は完璧だった背筋をぐにゃりと椅子に沈め、結い上げた銀髪をがしがしと崩し、行儀など犬に食わせたような大あくびをひとつした。
「あー、堅苦しかった! ねえ見たフィオナ、あのボタン! 産地偽装よ産地偽装! 三層式に南方削りの核石なんて、まともな商会は絶対に扱わないわ。あんなの堂々と胸に着けてくるなんて、あの男、目が節穴か――」
そこで言葉を切り、にやりと笑う。
「――それとも、偽物と知ってて売り捌いてる側か、どっちかね」
これである。
これが、レティシア・オールウィン公爵令嬢の中身である。
「レティシア様」
私は崩れた銀髪に手を伸ばし、直しながら言った。十三年来の習い性だった。
「お顔が三分で仕事を放棄なさいました。本日の敗因です」
「あら、今日のは相手の自滅よ。私は品物の話をしただけだもの」
「その品物の話で、過去に何人が席を立たれたか数えて差し上げましょうか。本日で記録は百一敗。前人未踏です」
「ふふん」
なぜか胸を張った。誇るところではない。
言っておくが、この方の敗戦簿は多彩である。求婚の指輪を「三番街の露店で銀貨五枚の量産品」と看破して相手を憤死させかけた回。相手の自慢の魔導馬車を「触媒の配合が三十年前の型」と診断し、勝手に改良案を語り続けて日没を迎えた回。先方の連れてきた鑑定士と品物の真贋で口論になり、鑑定士だけと意気投合して帰した回。極めつけは、退屈のあまりお見合いの最中に袖口で小型魔導具を組み立てていて、完成の音で気づかれた回である。あれは私も庇いきれなかった。
千の席を捌いた私の前世をもってしても、対策マニュアルの作りようがない。何しろ敗因が毎回、新作なのだ。
「でもフィオナ、あなたも視たんでしょう?」
不意に、青の瞳がこちらを覗き込んだ。
仮面の下から現れた素顔は、氷どころか、悪戯を企てる下町の悪童そのものだった。
「あの男の色。ろくなもんじゃなかった顔してたわよ、あなた」
「……ボタンの出所、お調べになりたいのですね」
「話が早くて助かるわ。それでこそ私の相棒」
レティシア様は椅子から跳ね起きると、刺繍箱――中身は魔導工具――を抱え上げ、実に良い笑顔で言った。
「産地を偽った魔導具が、堂々と貴族の胸元まで流れてる。その流通経路の先で、誰かが泣いてるかもしれないでしょ。だったら趣味と実益を兼ねて、ちょーっと掘ってみましょうよ」
ああ、まただ。
また始まってしまう。お見合いが終わるたび、破談の残骸から碌でもない何かを掘り当てて、首を突っ込んで、大暴れする。それがこの方の「いつも」で、それに付き合わされるのが私の「いつも」だった。
――正直に、告白しよう。
前世で千組を結ばせた私は、この方の縁談を、本気で成立させようと思えばできる。仮面の維持を三十分延ばす話術も、趣味を美点に見せる演出も、引き出しには全部ある。プロだから。
なのに私は今日も、崩れた銀髪を直しながら、胸の奥で小さく安堵している。
百一敗。
この記録が伸びるたび、ほっとしている自分がいることに、私はまだ、気づかないふりをしている。
「ほら行くわよフィオナ! 善は急げ、分解も急げ!」
「せめて夕食後になさってください。あと分解は急がないでください」
伝説の結婚相談員、転生後の戦績――担当令嬢、百一連敗。
私の連勝記録は、今日も密かに更新中である。
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(第1話 了)




