# 第55話 系図に、一行
就任式は、王宮の大典礼の間で執り行われた。
夜会の大広間より、さらに広い。天井は高く、色硝子の窓から七色の光が落ち、正面には歴代当主の紋を織り込んだ壁掛け。貴族たちが左右に居並び、上座には国王陛下。オールウィン公爵家、新当主就任の儀である。
式は、厳かに進んだ。
現公爵――お嬢様の父君が、家督の譲渡を宣する。継承の証たる公爵印が、娘の手に、渡される。バーナビー従叔父が、筆頭で祝辞を述べた。反対派の急先鋒だった老貴族の祝辞は、皮肉ではなく、真情だった。「オールウィンの新たな当主に、古き家の者として、心よりの祝福を」。議場の空気が、それで、一つに揃った。
そして――儀の、最後の段。
新当主が、当主として初めて、公に、意志を宣する場。慣例では、領政の方針を述べる。だが今日、レティシア・オールウィンが宣するのは、それだけでは、なかった。
「――オールウィン公爵家、新当主として、初めての意志を、申し上げます」
銀の髪に、当主の礼装。壇上のお嬢様は、丸腰だった。印章も、剪定録も、切り札は何一つ持たず。ただ、道理と、貴族院の承認と、そして――百四十年ぶんの、遠回りの果ての決意だけを、携えて。
「一つ。領政については、書面の通り。返還事業と、散逸した術式の回収を、王家の事業として、引き続き担います」
貴族たちが、頷く。ここまでは、予定通り。
「そして、二つ目」
お嬢様の声が、一段、静かになった。静かなのに、大典礼の間の隅々まで、通った。
「当主として、伴侶を、公に迎えます」
間が、あった。
貴族院で承認された条項とはいえ、それが公の儀で、実際に宣言される瞬間を、皆、固唾を呑んで待っていた。
「――フィオナ・フローレス。私の、幼なじみ。縁談係。相棒。そして」
お嬢様が、壇の下、控えの列にいた私を、まっすぐに見た。
視線が、合った。十三年、何百回と合わせてきた視線。検分のたびに、答え合わせのように合わせてきた、あの視線で。けれど今日のそれには、答え合わせの、その先があった。
「――私の、伴侶です」
大典礼の間が、静まり返った。
私は、控えの列から、進み出た。膝が、震えていた。前世の千の式場で、私は数え切れないほど、この歩みを、他人のために演出してきた。新郎新婦が歩み寄る、あの数歩を。自分がその数歩を歩く日が来るとは、二つの生涯を通じて、一度も、思わなかった。
壇上へ。お嬢様の、隣へ。
半歩後ろの、いつもの位置――ではなく。
今日は、隣に、並んだ。
「フィオナ・フローレス」
国王陛下の声が、響いた。
「そなたは、レティシア・オールウィンの伴侶として、この者と、生涯を共にする意志が、あるか」
千の式場で、私は、この問いを、他人に投げかけてきた側だった。答えを引き出し、涙を演出し、拍手を差配してきた、プロの側だった。
問われる側の言葉が、こんなに、シンプルだとは、知らなかった。
「――あります」
声は、震えていた。査定の声も、演出の声も、どこにもなかった。ただの、素の声だった。
「この方の隣に、生涯。……相棒として、伴侶として。この方が誰かを助けに突っ込むとき、止めずに、算段を立てて、隣を走ります。……それが、私の、望みです」
その瞬間。
大典礼の間に、音が、降りた。
どこから、とは、誰にもわからなかった。天井の高みからか、色硝子の窓からか、あるいは石の壁そのものからか。柔らかく、揃わない、けれど不思議と調和した、旋律。呪いでも、命令でも、調律でもない。ただ、祝うためだけの、音。
典礼の間の外、回廊の片隅で、近衛に伴われた楽師が、目を閉じて、奏でていた。五百年、人を静めるためだけに使われてきた音の技を、生涯で初めて、二人の縁を祝うために。
貴族たちが、顔を上げ、音の出所を探し、それから――誰からともなく、拍手が、起きた。
最初は、老伯爵夫人。次に、ハワード侯爵。エマの、力いっぱいの拍手。ユリウスの、生真面目な拍手。バーナビー従叔父の、遅れて、けれど確かな拍手。父君の、目元を拭いながらの拍手。そして――国王陛下の、静かな、赦しのような拍手。
拍手は、波になって、大典礼の間を、満たしていった。
百四十年前、この国が摘んだ縁。海の向こうへ、隠れて渡るしかなかった縁。その続きが、今日、この国の、一番格式高い場所で、拍手で、祝福されていた。
隣で、お嬢様が、私の手を、握った。
人前で。堂々と。誰にも隠さず。
「……フィオナ」
拍手の中、お嬢様が、私にだけ聞こえる声で、言った。悪童の顔で、けれど、目尻に光るものを、隠しもせずに。
「系図に、書けたわね。一行」
「……はい。書けました」
視線を、壇の下へ流す。控えの列の、書記官の手元。オールウィン公爵家の、正式な系図。その、新当主の欄の、隣に。
新しい一行が、今、書き加えられようとしていた。
――伴侶、フィオナ・フローレス。
百四十年前、書かれるはずで、書かれなかった一行。海を渡った二人が、書けなかった一行。その空白を、今日、私たちが、埋めた。
拍手は、鳴り止まなかった。
祝福の音は、鳴り続けた。
大典礼の間の七色の光の中で、私は、握られた手を、握り返した。
千の縁を結んだ、伝説の結婚相談員の、最後にして最初の、自分の縁が――今、系図に、刻まれた。
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(第55話 了)




