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# 第53話 従叔父の一票



 採決は、無記名だった。


 貴族院の慣例で、家の形に関わる重大事は、名を伏せて札を投じる。誰が賛成し、誰が反対したか、記録には残らない。残らないからこそ、議員は、家の顔ではなく、自分の良心で投じられる。


 札が集められ、議長席の脇で、数えられていく。議場は、静まり返っていた。


 私は、扉の脇で、お嬢様の背中を見ていた。議場の中央に、丸腰で立つ、まっすぐな背中を。切り札を捨て、道理だけで、ここまで来た背中を。


 結果が、告げられた。


「――賛成、多数。伴侶承認の条項、可決」


 議場が、どよめいた。


 可決。前例のない一行が、この国の慣わしに、書き足された。


 私は、扉の枠を、思わず掴んだ。膝が、抜けそうだった。千の縁を見送った前世でも、自分の縁が公に認められる瞬間を、私は、知らなかった。こんなに、脚に来るものだとは。


 お嬢様は、議場の中央で、一礼した。深く、長く。それから振り返り、扉の脇の私を、見つけた。


 悪童の顔で、泣きそうな顔で、笑っていた。


 ――だが、私が視ていたのは、もう一人の色だった。


 バーナビー従叔父。


 無記名の採決で、彼が何を投じたかは、誰にもわからない。わからない、はずだった。


 だが私の眼には、視えていた。彼が札を投じた瞬間の、色が。


 ――賛成の、色だった。


 議場が散会し、議員たちが引き上げていく中、私は、廊下の隅で、バーナビー従叔父を、待った。


「……従叔父様」


「フローレスの娘か」


 老貴族は、足を止めた。疲れた顔だった。長い戦のあとの、敗軍の将の顔――ではなかった。もっと複雑な、何かをやり遂げた顔だった。


「無記名の採決です。誰が何を投じたかは、記録に残りません。ですから、これは、私の勝手な独り言として、聞いてください。……ありがとうございました」


 バーナビーの眉が、動いた。


「何のことだ」


「あなたの、賛成の一票に」


 老貴族は、しばらく、私を見ていた。それから、ふ、と、息を吐いた。


「……その眼か。忌々しい眼だな。フローレスの」


「申し訳ありません。視えてしまうもので」


「謝るな。……いや、謝られると、余計に立つ瀬がない」


 バーナビーは、廊下の窓の外を見た。就任式の準備で慌ただしい、王宮の庭を。


「……わしはな、フローレスの娘。最後まで、反対の弁を、述べた。あれは、嘘ではない。慣わしを守るべきだという信念も、嘘ではない。……だが、レティシア嬢の、最後の問いが」


「百四十年前と、同じことを、なさいますか」


「あれだ」


 老貴族の声が、掠れた。


「わしの家はな。……傍系とはいえ、オールウィンだ。百四十年前、アデルという娘が『病没』したことになった、あの家の、血筋だ。子どもの頃、家の年寄りが、時々、口を滑らせた。『あの娘は、本当は、病では死んでいない』と。……わしは、ずっと、知らぬふりをしてきた。知れば、家の恥に、向き合わねばならんからな」


 バーナビーは、窓に手をついた。


「あの娘の縁を、この国は摘んだ。追いやった。……その同じ家のわしが、もう一度、同じ縁を摘む側に回る。それは――さすがに、できなかった。信念よりも、恥の記憶の方が、重かったのだ。情けない話だがな」


「情けなくは、ありません」


 私は、言った。


「恥に、向き合われたのですから。……隠された恥は腐りますが、向き合った恥は、詫びになります。あなたは今日、百四十年前の恥に、一票で、詫びを入れられた。アデル様は、きっと」


「言うな」


 バーナビーは、遮った。声が、湿っていた。


「……言うな。年寄りを、泣かせるな」


 老貴族は、乱暴に目元を拭って、それから、背筋を伸ばした。敗軍の将ではない。恥と向き合った、一人の貴族の、背筋だった。


「レティシア嬢に、伝えておけ。……就任式では、わしが、筆頭で祝辞を述べる。反対派の急先鋒が祝辞を述べれば、承認は、より盤石になる。それくらいの働きは、させてもらう。……敵だった意地だ」


「――必ず、お伝えします」


 バーナビーは、頷き、歩き去っていった。まっすぐな背中で。次に何か仕掛けてくるとしても、正面からだろう。そして、正面から祝辞を述べる敵ほど、頼もしい味方も、いない。


 ――廊下の先で、お嬢様が待っていた。


「どうだった。従叔父様」


「……就任式で、筆頭で祝辞を、と」


 お嬢様は、目を丸くして、それから、破顔した。


「あの人が!? ……ふ、ふふ。負けかたも、勝たせかたも、綺麗な人ね」


「はい。……いい敵でした」


「これからは、いい親戚よ」


 可決の余韻の中、私たちは、並んで歩いた。


 就任式まで、あと十日。


 系図に書き足す一行の、承認は、得た。あとは――その一行を、公の場で、堂々と、書き込むだけだった。


---


(第53話 了)


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