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# 第52話 貴族院の、正面



 貴族院の本会議は、就任式の十日前に開かれた。


 議題は表向き「オールウィン女公爵就任に伴う諸儀の承認」。だがその中に、一項、前例のない条文が紛れていた。「当主の伴侶に関する件」。傍聴席は、満員だった。皆、次期女公爵が何を言い出すか、聞きに来ていた。


 バーナビー従叔父は、今日も、正面から来た。


「――継承については、私はもう、異を唱えぬ。評定は決した。レティシア嬢の器も、この数月の働きで、認めよう」


 議場が、少しざわめいた。あの反対派の急先鋒が、継承を認めた。


「だが、伴侶の件は、別だ」


 バーナビーは、ゆっくりと、議場を見回した。


「女子の当主継承には、先例があった。薄くとも、あった。エルスワース女辺境伯。だが――女の当主が、女を伴侶として公に立て、それを貴族院が承認した先例は、この国の歴史に、ただの一度も、ない。ただの一度もだ、諸君」


 正論だった。少なくとも、正論の形をしていた。


「私は、レティシア嬢個人を、貶める気はない。誰を思おうと、個人の勝手だ。だが、公の承認は、別の話だ。承認すれば、それは国の先例になる。以後、この国のあらゆる家が、それに倣いうる。……我々は今日、この国の家というものの形を、根本から書き換えようとしている。その重みを、若い当主は、わかっておられるのか」


 傍聴席が、静まった。バーナビーの弁は、悪意ではなかった。だからこそ、重かった。守るべきものを守ろうとする、古い世代の、誠実な保守だった。


「レティシア嬢。反論が、おありか」


「――ございます」


 お嬢様が、立った。


 印章はない。剪定録もない。王家の秘事という鎧を、すべて脱いで、丸腰で、彼女は議場の中央に立っていた。


「従叔父様の仰ること、一つ残らず、正論です。先例はない。承認すれば、国の形が変わる。その重みも、承知しております。……ですから私は、脅しも取引も、持ってまいりませんでした。ご存知の方もおいででしょう。私は、王家の古い秘事に関わる証拠を、握っておりました。それを使えば、この承認、力ずくで通せたかもしれません。……全部、王家にお返ししました。無条件で。今日、私がこの場に持っているのは、道理だけです」


 議場が、ざわめいた。切り札を、自ら手放したという告白に。


「その上で、道理を申し上げます。――従叔父様。あなたは『国の家の形を書き換える』と仰った。仰る通りです。ですが、問わせてください。その『形』とは、いつ、誰が、決めたものですか」


「……古来よりの、慣わしだ」


「では、その古来の慣わしは、どなたかが、最初に作ったはずです。最初に作られたとき、それは『先例のないこと』だった。この国のすべての慣わしは、かつて一度は、先例のない試みでした。……ハワード侯爵が、四十年前に仰った言葉を、お借りします。『最初の先例を作った者は、皆、先例なき者だった』」


 傍聴席の、ハワード侯爵の椅子で、老侯爵が、深く頷いた。三十年の紗を、まだ引きずりながら。それでも、はっきりと。


「私が今日、お願いしているのは、慣わしを壊すことではありません。慣わしに、一行、書き足すことです。――この国では、当主が誰を伴侶に選ぶかは、家格でも、性別でもなく、その二人の縁の、太さで決まる。そういう一行を」


 お嬢様は、議場を、ゆっくりと見渡した。


「なぜ、この一行が要るのか。……私は、女公爵として、王家の古傷を掃除する事業を、預かりました。摘まれた縁を、遺族に返す仕事です。その仕事で、私は、数百の縁を見てきました。家格で結ばれ、家格で引き裂かれた縁。都合で付け替えられた縁。……そのどれもが、系図の側の都合で、当人の意志を、無視して決められたものでした」


 声が、議場の隅々まで、通った。


「百四十年前。この国で、ある縁が摘まれました。第二王女殿下と、オールウィン公爵家の娘、アデルの縁です。女同士の、縁でした。系図に残らぬと、実りなきと、王家はそれを摘みました。……二人は、名前を捨て、国を捨て、海を渡って、隠れて添い遂げました。墓は、遠い南の港に、並んで、あります」


 議場は、水を打ったようだった。


「私は、その縁の、続きにいる者です。オールウィンの娘が、また一人、女を伴侶に選びました。……従叔父様。百四十年前、この国は、この縁を摘みました。摘んで、二人を海の向こうへ、追いやりました。もう一度、同じことを、なさいますか。それとも――今度は、この国で、堂々と、結ばせますか」


 バーナビーは、答えなかった。


 答えられなかった、というのが、正確だろう。老いた保守の顔に、初めて、揺らぎが走った。守るべき慣わしと、目の前の道理が、彼の中で、ぶつかっていた。


「――決を、採りましょう」


 議長が、宣した。


 だが、その前に。傍聴席から、一人の老女が、立ち上がった。


 夜会の証人、老伯爵夫人だった。


「議長。採決の前に、一言、傍聴人の分際で、失礼を」


 夫人は、しわがれた、けれど凛とした声で、言った。


「わたくしは、この目で見ました。あの夜会で、この娘さんが、百二十人を救うのを。……あのとき、この娘さんの隣には、いつも、フローレスの娘がおりました。半歩後ろで、庇うように。あれは、主従の陣形では、ございませんでした」


 夫人は、まっすぐに、私を見た。


「あの二人を、引き裂くことが、この国の『形』を守ることだと仰るなら。……わたくしは、そんな形の国に、生きていたくは、ございませんわ」


 議場に、小さな、けれど確かな、賛同のさざめきが、広がっていった。


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(第52話 了)


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