# 第51話 手ぶらの謁見
謁見は、王の私室で行われた。
玉座の間ではなく、書斎に近い小さな部屋を望んだのは、お嬢様である。「取引ではなく、お返しに伺うので、格式は無用です」と。
卓の上に、油紙の包みが二つ、置かれた。
金の印章と、剪定録のうち、王家個人に直接関わる綴り一式の、原本。私たちが握っていた、王家を揺るがしうる証拠の、すべてである。
「――これを、お返しに参りました」
お嬢様は、まっすぐに言った。
「百四十年前、第二王女殿下は、身分を捨てて南方へ渡られました。その動かぬ証拠が、この印章です。これが世に出れば、当時の王家の秘事は、白日の下に晒される。……私は、これを、手元に置いておりました。就任式で、私の望みを通すための、切り札として」
国王陛下は、黙って聞いていた。
「ですが、やめます。切り札には、しません。無条件で、お返しします。見返りは、求めません」
「……なぜだ」
陛下の声は、静かだった。
「その印章一つで、そなたは王家に、大抵のことを飲ませられる。就任式でのいかなる望みも、通せたはずだ。それを、なぜ手放す」
「望みを、取引で通したくないからです」
お嬢様は、一度、息を継いだ。
「私にはこの後、陛下にお願いしたいことが、一つ、あります。前例のない、大それたお願いです。……でも、それは、この印章を突きつけて飲ませるものであっては、ならない。脅して通した願いは、通ったその瞬間から、腐り始めます。ちょうど――隠された恥が、腐るように」
恥は、隠すと腐り、返すと詫びになる。ノルデン領で、剪定録の処遇で、お嬢様が言い続けてきた言葉が、今、自分自身の縁に、返ってきていた。
「だから、先に、丸腰になります。取引の札を、全部お返しした上で。……その上で、いち貴族として、陛下に、お願いを申し上げたい。力ずくでなく、道理で。聞き届けられなくても、恨みません。それが、筋だと思うので」
国王陛下は、長いこと、二つの包みを見つめていた。
それから、ゆっくりと、片方――金の印章の包みを、手に取った。
開き、印章を、光にかざす。百四十年前の、消えた王女の、名入りの印。陛下の指が、その紋を、静かになぞった。
「……この王女は、私の、五代前の大伯母にあたる」
ぽつりと、陛下は言った。
「家系図では、若くして病没したことになっている。私は、幼い頃から、そう教わってきた。……そうか。生きて、南で、細工師の女房として、添い遂げたか」
「……はい。墓は、自由港に。相手の方と、並んで」
「そうか」
陛下は、印章を包みに戻した。それから、思いがけないことを言った。
「――この印章は、そなたが預かっておけ」
「陛下?」
「返上の志は、受け取った。それで十分だ。志を受け取った以上、物そのものは、些事だ。……いや。些事ではないな。これは、王家が百四十年、なかったことにしてきた、一人の女人の、生きた証だ。それを一番、大切に扱えるのは――王家の金庫の闇の中ではなく、南の墓を訪ねる気のある、そなたたちの手だろう」
卓の向こうで、陛下は、疲弊の澱の薄れた顔で、微かに笑った。
「王家の恥を、詫びに変えると言ったのは、そなたたちだ。ならば、この印章も、詫びの一部として、そなたたちに託す。……大伯母の墓に、いつか、王家からの詫びを、届けてくれ。私は、行けぬ立場だ。だが、そなたたちは、行けるのだろう」
お嬢様の目が、潤んだ。手ぶらで来て、切り札を返しに来て、その切り札を、詫びの使者の役目ごと、託されて帰ることになるとは。
「――して。そなたの、前例のない願いとやらを、聞こう」
陛下が、居住まいを正した。
お嬢様も、正した。そして、まっすぐに、言った。
「就任式の壇上に、私の伴侶を、共に立たせることを、お許しください。……女の、伴侶を。縁談係、フィオナ・フローレスを」
私室が、静かになった。
私は、扉の脇に控えたまま、心臓が喉から出そうになるのを、必死で抑えていた。丸腰の願い。切り札を返した後の、道理だけの願い。通る保証は、どこにもない。
陛下は、しばらく、私を見た。それから、お嬢様を見た。
「――前例は、ないな」
「はい」
「先例なきことを恐れる議場は、墓場である。……最近、どこかで聞いた言葉だ」
陛下の口元が、緩んだ。ハワード侯爵の、四十年前の演説。評定の間で蘇った、あの言葉。
「……即答は、せぬ。これは私一人の裁量では決められん。貴族院の総意も要る。就任式は、公の場だ。公の場で認めるには、公の道理が要る。……そなた、貴族院を、説き伏せられるか。印章という鎧を、脱いだ、その丸腰で」
「――説き伏せます」
お嬢様は、迷いなく、答えた。
「道理で。正面から。……それが、うちの商売ですので」
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(第51話 了)




