# 第43話 いい雑音
継承の正式な就任式は、半年後と定まった。
それまでの小箱堂は、開店以来の忙しさである。呪具の回収と返還、剪定録の照合、次期公爵の執務の下稽古、そして――王都で一番風変わりな「診療」が、月に二度。
「今日はここまで。……ん、三本目の紗、先月より薄くなってる。悪くない経過よ」
「そうか」
温室の作業台の向かいに、灰色の外套の男が座っている。近衛二名の監視付き、王家預かりの身柄、罪状の審理は前例がなさすぎて未だ係属中――という肩書きの行列を提げた、五百年の楽師である。
修理は、始まっていた。命令の回路は五百年、骨まで馴染んでいる。抜くのは年単位の仕事だと、お嬢様は診療簿の一頁目に書いた。男は月に二度、この温室に運ばれてきて、施術を受け、経過を測られ、帰っていく。
驚くべきことに――と言うべきか、当然と言うべきか――男は、模範的な患者だった。
「一つ、頼みがある」
その日の診療の帰り際、男は初めて、自分から口を開いた。
「……街の音を、聴きたい。監視付きで構わない。整えるためではなく、ただ、聴くだけだ」
お嬢様は近衛と三十分交渉し、翌週、実現させた。
場所は、三番街。折しも秋祭りの日で、通りは屋台と楽団と子どもの歓声で、耳が痛いほどの賑わいだった。灰色の外套の男は、雑踏の真ん中に立ち、長いこと、目を閉じていた。
売り声。値切る声。外れた音程の祭り囃子。喧嘩と、仲直りと、泣く子と、笑う親。揃わない音の、洪水。
「……どうです、楽師どの。五百年ぶりの、整っていない音は」
私が訊くと、男は目を閉じたまま、ぽつりと言った。
「――悪くない。……実に、悪くない雑音だ」
像を結ばない顔の、口元のあたりが、微かに動いた気配がした。笑ったのだと思う。確かめる術はないが、視えていた色が、そう言っていた。雪原の底の一色が、ほんの少しだけ、面積を広げていた。
――返還事業の、記念すべき一冊目は、身内から始まった。
剪定録・百四十年前の綴り。第二王女とアデル・オールウィンの一件。国王陛下の詫び状を添えた第一号は、オールウィン家当主代理――つまり、うちの店主が受け取った。
そして綴りの調査の過程で、南方から、一通の返書が届いた。自由港の商工組合からである。
『お尋ねの件。当港に百四十年前より続く工房「つばめ屋」あり。創業者は北方より渡りし女性二名。楽器と細工物の修理を家業とし、当代で五代目。創業者二名は生涯を共に添い遂げ、当港の墓地に並んで眠る。墓碑銘は次の通り――』
便箋を持つお嬢様の手が、そこで、止まった。私は隣から、続きを読んだ。
『「加護は、確かに効きました」』
教会の寄進に添えた、あの一文。二人はあの言葉を、墓碑にまで刻んで逝ったのだ。百四十年前の逃避行の結末は、修理屋だった。名前を捨てて海を渡った二人が選んだ家業が、壊れたものを直す仕事だったのだ。
「……ねえ、フィオナ。これ、笑うところ? 泣くところ?」
「両方かと。ちなみに組合の追伸に、五代目が『創業者の縁者なら、ぜひ一度お越しを』と」
「行くわよ。行くに決まってるでしょ。……就任式が終わったら、最初の遠出はつばめ屋。決定」
二人での、南方行き。世間ではそういう旅を何と呼ぶのか、私は千組の門出を見送ったプロなので、よく知っている。知っているが、帳面には「創業者慰霊と技術交流の視察」と書いておく。うちの帳面は、昔から、そういうところだけ律儀にできている。
――エマからは、収穫祭復活の招待状が届いた。ノルデン領、三年ぶりの祭り。鐘は正午に、ただの良い音で鳴るという。
叔父の裁きは、証言と情状の整理が続いている。面会には、月に一度、通っている。先月は焼き菓子を差し入れた。「西の三番通りの」と言ったら、鉄格子の向こうで、少しだけ笑った。
公爵閣下は、約束の「正式な書面」に、辞令の文言と一緒に、一行だけ手ずから書き添えてきた。曰く――『娘を頼む。あれは道具より人の扱いが不器用だ』。異論の余地が一切なく、私は謹んで拝命した。
――夜、温室。
いつもの席で、いつもの茶。作業台には診療簿と、返還台帳と、南方への旅程の下書き。仕事の山は、減るどころか、増える一方である。
「戦績、更新しておきなさいよ、縁談係」
お嬢様が、湯呑み越しに、にっと笑った。
「かしこまりました。――伝説の結婚相談員、当期の戦績」
私は、頭の中の帳面を、開いた。
成立、千一組。うち特筆事項、百四十年越しの縁の確認、一件。修理継続中の楽師、一名。返還待ちの縁の記録、書庫に数百冊。
そして予約席は――めでたく、埋まった。
埋まった席の隣で、今夜も魔導灯が、じ、と鳴っている。整っていない、いい雑音である。
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(第43話 了)
(第二章 完)




