表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
42/53

# 第42話 千一組目



 温室の夜は、いつも通りに始まった。


 作業台を挟んで、丸椅子が二つ。湯気の立つ茶が二つ。剥き出しの魔導灯。何百回と座った、いつもの席。


 いつも通りでないのは、作業台の上に工具が一つもないことと、向かいの人が、さっきから三度、茶に口をつけては、何も飲まずに戻していることだった。


「……あの、レティシア様。お話というのは」


「わかってる。今、する。……するから、急かさないで」


 四度目に湯呑みを置いて、お嬢様は、息を吸った。


「――小箱堂の店主としてじゃなく、公爵家の次期当主としてでもなく。レティシア・オールウィン個人から、縁談係フィオナ・フローレスに、依頼があるの」


「……依頼、ですか」


「最後の縁談の、見立てを頼みたい」


 心臓が、嫌な音を立てた。


 次期当主の内定が出た。継承が固まれば、いずれ、伴侶の話は避けて通れない。その見立てを、私に。ああ、そうか。この人は、けじめをつける気なのだ。相棒の縁談係に、正式に、最初で最後の――


「条件を言うわ。書き取りなさい、調査主任」


 お嬢様は、指を一本ずつ折りながら、並べ始めた。


「一つ。魔導具談義に、夜通し付き合えること。二つ。私の嘘を三つまで数えて、四つ目の前に本音を吐かせられること。三つ。手が小さくて、オルゴールの隙間に指が入ること。四つ。三番街の揚げ芋の味を知っていて、屋台の前で素通りできないこと。五つ。私が誰かを助けに突っ込むとき、止めずに、算段を立てて隣を走れること。六つ。十三年、もつこと。七つ――」


 指が、七本目で、止まった。


「……七つ。私の縁談が沈むたび、ほっとして、肩の力が抜けること」


 温室が、静かになった。


 魔導灯の、じ、という微かな音だけがしていた。


「――以上、七つ。千組を結ばせた伝説の結婚相談員に、プロの見立てを依頼するわ。この条件に、合う相手は」


 青の瞳が、まっすぐに、私を射抜いた。


「誰?」


 ……ずるい。


 ずるい人だ、本当に、心の底から。


 自分で言わないで、私に言わせる。名文の代筆を禁じて、及第点の返事を封じて、逃げ道を七つの条件で全部塞いで、それから、プロの職分という一番断れない形で、私の口に、答えを置く。


 いつか、あなた自身の声で何か言いたくなった時のために――あの夜の言葉は、この夜のための、予約だったのだ。


 私は、湯呑みを置いた。手が震えていたから、両手で、置いた。


「……プロとして、お答えします」


 声が、掠れた。査定の声を作ろうとして、失敗した。成婚率も、相性の数字も、頭のどこからも出てこなかった。千の技術が、綺麗に、全部沈黙していた。


 残ったのは、素の声だけだった。


「――私です」


 言った。


「条件の一から七まで、全部……該当者は、私しかいません。というより、あの、その条件は、私です。私のことです。ですから、その」


 駄目だ。名文どころか、文にもならない。千通添削した手紙の技術は、どこへ行った。どこへも行っていない。最初から、こういうときのためには、なかったのだ。


 だから私は、技術の残骸ごと、頭を下げた。


「私が――私で、あってほしいです。あなたの、最後の縁談の相手は。相棒でも、調査主任でもなくて。……好きです。レティシア様。たぶん、九十何敗目よりも、ずっとずっと前から」


 言い切って、顔を上げられなかった。


 沈黙が、三拍。


 それから、椅子の動く音がして、つむじの上に、ぽすりと、額が乗った。


「……はい、成立」


 頭上で、声がした。笑っていて、震えていて、鼻声だった。


「千一組目、成立。……よく言えたわね、自分の声で。上出来よ、私の縁談係」


「……レティシア様は、いつから」


「五歳のとき」


 即答だった。


「オルゴールの隙間から、折れたぜんまいを摘まみ出した指を見た瞬間。『採用』って言ったでしょ。あれ、生涯雇用のつもりだったの。……気づくのに十年、認めるのに三年、言う勇気に、今日までかかったけど」


 顔を上げた。


 鼻の頭を赤くした次期公爵が、目の前で、悪童の顔で泣き笑いしていた。


 どちらからともなく――いや、正直に記録しよう。縁談係の帳面は、正確でなければならない。先に動いたのは、向こうだった。額が離れて、代わりに、唇に、一つ。


 短くて、少し茶の味がして、十三年と百四十年と五百年ぶんの遠回りの果てにしては、あっけないくらい、ただ、あたたかかった。


「――成功報酬の話、まだだったわね」


 離れてから、お嬢様が言った。私の手を、両手で包んで。


「初代様への報酬は『守り切ること』。なら、あなたへの報酬は――隣よ。私の隣、終身雇用。辞令は追って、公爵家の正式な書面で出すわ。……受け取る?」


「……謹んで、お受けします」


 伝説の結婚相談員、最終戦績。


 千一組。うち一組は、三十三年と二つの生涯をかけた、自分の縁。


 成婚率、百パーセント。文句のつけどころの、ない数字である。


---


(第42話 了)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ