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# 第36話 二日目の答弁と、書庫の客



 評定二日目の議題は、実績と領政の見識だった。


 バーナビー従叔父の攻め口は、今日も明快だった。


「候補者は公爵領に『工房』なる商いを開いたと聞く。公爵家の息女が店主とは。家の権威を市場に下げる者に、領政を語る資格がありましょうか」


「お答えします。――評定官各位は、ノルデン子爵領の一件をご存知かと」


 お嬢様の答弁は、真っ向から行った。


「一つの領が三年、静かに損なわれ続けました。納税は完璧、書類は無傷。王都の誰一人、異変に気づかなかった。……気づいたのは、市場に下りた工房です。領政とは、書類の上の静けさを守ることではございません。書類に載らない民の声を聞く耳のことです。私は商いを通じて、その耳を作りました。エルスワース女辺境伯の裁定に曰く――『当主の器は性別に非ず、領民の信に在り』。ノルデン領千人の上申書が、私の器の答えです」


 法服の二人が、揃って書面に何かを記した。中立の二人のうち一人が、深く頷いた。傍聴席の空気は、初日よりも明らかに、こちらに温かい。


 だが、勘定は楽観を許さなかった。


 答申は七票の多数決。法服二票と中立一票は、ほぼ固い。バーナビー派の二票は動かない。残るは、王家の顔色を見る型の中立一票と――七人目、灰色の紗のハワード侯爵。


 三十年「波風を立てない」よう整えられた人が、先例のない女子継承という波風に、賛の札を上げるだろうか。紗は、それ自体が一票、敵に数えられている。三度目の評定は国王臨席。王家の意向次第で、日和見の一票ごと、盤が傾く。


「……二日目、六分四分。悪くない。悪くないけど、決めきれてはいない」


 退出の回廊で、お嬢様は小さく総括した。


「三度目が、本番ね」


 ――その三度目の輪郭を、私はその日の夕刻、思わぬ相手から聞かされることになる。


 評定資料の写しを書庫へ返しに行った、その足で。


 閉架書架の谷間、天窓の斜光がひとすじ落ちる閲覧席に――男が、座っていた。


 灰色の外套。頁をめくる、職人の指。顔は、見ているそばから印象の滑り落ちる。


 書庫の静寂が、急に、質を変えた。


「――やあ。フローレスの眼」


 調律師は、本から顔も上げずに言った。


「二日目の答弁、聴いていたよ。いい声だ、君の相棒は。腹から出ていて、震えがない。……ところで、北西の鍵を探しているそうだね」


 心臓が、跳ねた。悟られぬよう、呼吸を三つ数える。逃げ場を測る。書架の谷、司書室まで二十歩。だがこの男から逃げ切れる二十歩ではない。なら――前世の流儀だ。席に着いたら、席の話をする。


「……ご名答です。鍵の在り処を、ご存知で?」


「持っているとも」


 男は、こともなげに言った。


「王家の影の持ち物は、だいたい私の持ち物だ。連中が私の道具を借りている、その又貸しの利子でね」


 初代の見立てが、本人の口から裏書きされた。王家より古く、影より深い。


「では、単刀直入に。剪定録に、何のご用です」


「取りに行くのだよ。私の楽譜の、最初の頁を」


 男は本を閉じ、初めて、こちらへ顔を向けた。像を結ばない顔の、目のあたりだけが、微かに、笑った気配がした。


「あの書庫の一番古い棚にはね、剪定録より前の記録がある。この国がまだ国の形をしていなかった頃、最初の『調律』が何のために為されたか。……私はあれを、長いこと王家に預けておいた。そろそろ、返してもらう頃合いだ。大きな調律の総譜には、最初の一頁が要る」


「大きな調律とは、何です」


「三度目の評定の日に、わかるよ」


 男は立ち上がった。外套が、音もなく揺れた。


「いい日取りだろう? 王が座り、貴族が集まり、大勢がひとつの間に納まる。……人がひとつ処に集まるたび、私は思うのだ。ああ、調律のしがいがある、と。夜会の百二十で、君たちは百燈を割った。見事だった。だが評定の間に吊るすのは、灯りとは限らない」


 骨の芯が、冷えた。


 三度目の評定。国王臨席。表の裁可の、その同じ屋根の下で、この男は最初の一頁を取りに地下へ下り、そして――何かを、鳴らす気でいる。


「……なぜ、それを私に話すのですか」


 訊かずには、いられなかった。男は少しだけ、首を傾げた。


「百四十年ぶりに私を『視た』眼に、敬意を払っているのだよ。それに」


 男は書架の谷を、歩き出しながら言った。


「彼も――君の初代も、最後まで良い聴き手だった。獄の壁越しに、私は生涯でいちばん長く、人と話した。……眼の家と私は、古い馴染みだ。せいぜい、良い席を用意して待っていなさい。三度目の評定の日に」


 四音の口笛が、書架の谷にひとつ反響して、消えた。


 斜光の閲覧席には、閉じられた本が一冊、残されていた。表題を見て、私は長いこと、動けなかった。


 『エルスワース女辺境伯裁定・原本』――今日の答弁の柱にした、あの先例の。


 栞が、一枚、挟んであった。栞には几帳面な手で、五線と四つの音。あの署名と、短い添え書き。


『良い先例は、良い音がする。彼女の答弁に、餞別まで』


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(第36話 了)


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