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# 第31話 暖炉の裏、百四十年


 本邸の書斎は、あの夜のままだった。


 角を揃えた書類の山。太さ順のペン。主のいない几帳面が、埃の薄い膜の下で眠っている。家の者は誰も、この部屋に手をつけられずにいた。


 暖炉の裏の石は、言われた通り、二枚、外れた。


「……重っ」


 奥から出てきたのは、鉄帯で締めた木箱がふたつ。書斎の床に下ろすと、蓋の裏に几帳面な字で目録が貼ってあった。写本三十七点、古文書の原本九点、閲覧記録の控え一式、そして「手記」。


 夜食の焼き菓子を脇に、私たちは二十年ぶんの調べを、開封した。


 読み進める作業は、深夜に及んだ。私が文書を読み、要点を口にし、お嬢様が年表に起こしていく。叔父の調べは執念そのもので、百四十年前の宮廷の記録が、断片から立体に組み上がっていった。


 そして深夜過ぎ、核心の綴りに、辿り着いた。


 初代フローレスが、最後に「摘め」と命じられた縁――百一本目の記録である。


「……フィオナ。これ」


 お嬢様の指が、写本の一行で、止まっていた。


 読んだ。二度、読んだ。


『第二王女殿下と、オールウィン公爵家息女の縁、これを剪定すべし』


 書斎が、静かになった。


 百四十年前、王家が摘めと命じた百一本目の縁は――女同士の、縁だった。当時の第二王女と、オールウィン公爵家の令嬢。つまり。


「……私の家の、誰かなのね」


 お嬢様の声は、平坦だった。平坦にしないと出ない声だった。


「オールウィンの家譜で言えば……ええと、五代前の、大叔母にあたる方。名前は、アデル。家譜には『若くして病没』とだけ」


 叔父の写本は、家譜より雄弁だった。


 第二王女とアデル・オールウィンは、王女の学友として出会った。十年、宮廷の内で、二人は「無二の友」と呼ばれた。呼ばれ方が変わったのは、王女に政略の縁談が持ち上がってからだ。王女は拒んだ。理由を、言わなかった。言わない理由を、王家は調べた。調べる役目が、眼の家――縁談係に、回ってきた。


 初代フローレスは、二人を視た。


 手記に、その夜のことが書いてあった。叔父の写しではない。木箱の底にあった、初代本人の、褪せた手記だ。


『視てしまった。両名の縁の色を。私は百の縁を摘んできた。摘める縁は、どれも、色の細いものだった。あれは摘めぬ。あれほど太く澄んだ色を、私は千の縁を視てきて、三つと知らぬ』


『王家は言う。実りなき縁だと。系図に残らぬ縁だと。――系図に残るか否かで、縁の生き死にを決める権を、誰が人に与えたのか』


『縁は視える。だが摘む鋏を、私は持たない。持つべきでも、ない』


 初代は、剪定を拒んだ。


 その後の記録は、断片だった。初代の投獄。フローレス家の改易と、紋の抹消。第二王女は半年後、隣国へ政略の輿入れ。そしてアデル・オールウィンは――記録から、消えた。病没の家譜の一行だけを残して。


「消され方が、あの領と同じよ」


 お嬢様が、年表の最後を睨んだ。


「書類の上だけ整えて、人だけ消す。……百四十年前から、同じ手口。同じ手際」


 手記の終盤に、その答えの輪郭があった。


『王家の影に、音を使う男がいる。彼の通ったあとは、静かになる。人が、記憶が、縁が、静かになる。彼は私の獄に一度来て、こう言った。「君の眼は惜しい。摘む痛みごと、整えてやろうか」と。私は断った。痛むままの眼で、視たものを覚えておくのが、私の最後の仕事だ』


 音を使う男。整えてやろうか。


 百四十年前の獄の中の台詞と、北の鐘楼の声が、寸分違わず重なった。


 私たちは、長いこと、黙っていた。


 書斎の魔導灯の下、写本と手記と、食べかけの焼き菓子。百四十年前――摘めと命じられた公爵家の娘と、摘むことを拒んだ眼の家の当主。そして今、同じ灯りの下に、公爵家の娘と、眼の家の娘が、並んで座っている。


 この符合を、口にする勇気は、どちらにもなかった。


 口にしなくても、部屋中に、鳴っていた。


「……フィオナ」


 やがて、お嬢様が言った。写本から目を上げずに。


「初代の答え、聞いたわね。摘む鋏は持たない。……あなたの三つ目の答えも、面会室で言ったんでしょ。縁は、結ぶものだって」


「はい」


「なら、仕事は決まりよ」


 お嬢様は顔を上げた。目の縁が、少し赤かった。赤いまま、いつもの悪童の顔で、笑おうとしていた。


「百四十年前に摘まれた縁の、行方を捜す。アデル・オールウィンは、どこへ消されたのか。王女は、輿入れの先でどう生きたのか。……二人の縁が本当に死んだのか、それとも、どこかでまだ息をしていたのか。――うちは、そういう店でしょ。銘を消されたものの、持ち主を捜す店」


 消されたのは、道具の銘だけではない。


 人の名も、縁の記録も、百四十年前に、消されている。ならばそれを捜して返すのは、確かに、小箱堂の商売だった。


「……はい。お受けします。依頼人は」


「私。オールウィン家の当代として。依頼料は――」


 お嬢様は焼き菓子の最後の一つを二つに割って、片方を、私の手に載せた。


「前払いで、これ」


「安すぎます」


「文句は成功報酬のときに聞くわ」


 ――木箱の底に、最後にもう一つ、残っているものがあった。


 油紙に包まれた、一通の封書。蝋は、剣に絡む双頭の蔦。改易前の、フローレスの紋で封じられている。


 宛名は、こうあった。


『眼の家の、いつかの子へ』


---


(第31話 了)


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