# 第30話 面会室の色
王都の北、未決の塔。
貴族の身分のまま裁きを待つ者が入る石造りの塔の、三階の面会室で、私は叔父と再会した。
鉄格子を挟んだ向こうの人は、記憶より痩せて、記憶より、静かだった。囚人服に近い簡素な服。白いものの増えた髪。ただ、姿勢だけは、あの几帳面な執務室の頃のまま、まっすぐだった。
「……来たね」
「はい。叔父様」
その呼び方に、叔父は少しだけ、眉を動かした。当主代行、とも、ギデオン・フローレス、とも呼ばなかったことに。
私は決めてきたのだ。今日ここに来たのは、縁談係の告発人ではなく、姪だと。訊くことは告発人のそれでも、呼び方だけは、譲らないと。
「時間は四半刻だ。世間話をする仲でもない。……訊きたいことを、訊きなさい」
「では、遠慮なく。――北部で、覚えられない男に会いました」
叔父の目の色が、変わった。
そして私は、気づいた。視える。墨が、ない。鑑定除けの道具は取り上げられ、術も切れて、目の前の人は今、生まれて初めて会う「素の叔父」だった。
叔父も、それを察したらしい。ふ、と息を吐いて、鉄格子に少しだけ、身を寄せた。
「――視ながら、聞きなさい」
「え」
「お前の眼で、私の色を視ながら、聞けと言っている。私の証言のどこが真実で、どこが強がりか、お前には全部わかる。……この期に及んで、疑われながら話すのは、性に合わん」
嘘の視える姪に、視られながら話すことを、自分から差し出す。
それがこの人の、精一杯の誠実の形なのだった。私は頷いて、静かに『鑑定』を灯した。
「あの男は――私は『調律師』と呼んでいた――二十年前、向こうから来た」
叔父は、語り始めた。色は、終始、澄んでいた。
「私が家譜の塗り潰しに気づき、初代のことを調べ始めて、三年目だ。王都の古文書館で、閲覧記録も残さず、あの男は隣に立っていた。『調べているね』と。……初代の縁談記録の在り処を、あの男が教えた。刻印の術を、少しずつ授けたのも。私は自分が、あの男を利用しているつもりだった。逆だと気づいたのは、いつだったか」
真実。強がりの色すら、ない。
「あの男の正体は」
「知らん。名乗らなかった。ただ――」
叔父の声が、一段、低くなった。
「初代の時代の記録に、同じものがあった。当時の王家の術式書の余白に、楽譜の切れ端。五線の上の、四つの音。あの男が自分の術式の末尾に必ず入れる署名と、寸分違わず同じものが、百四十年前の紙にあった」
鐘の内壁の四音が、脳裏で鳴った。
「……代替わりした、一門か何かだと、私は思うことにしていた。人は百四十年、生きない。だが」
「だが?」
「あの男は一度だけ、初代のことを『あれ』ではなく『彼』と呼んだ。会ったことのある者の呼び方だった」
北の鐘楼の声が、耳に蘇る。――懐かしいな、フローレスの眼。百四十年ぶりに、視られたよ。
人は百四十年、生きない。生きないはずの何かが、盤の外を、口笛を吹いて歩いている。
「初代の罪について、調べはどこまで」
「暖炉だ」
叔父は、短く言った。
「本邸の、私の書斎。暖炉の裏の石が二枚、外れる。二十年ぶんの調べが、全部そこにある。写本、購入した古文書、王都の閲覧記録の控え。……私はあれを、復讐の弾薬にした。お前は、別の使い方をしなさい」
「――一つだけ、先に教えてください。初代は、何をして、消されたのですか」
叔父は、しばらく黙った。初めて、色が揺れた。澄んだままで、揺れた。悔いに似た色だった。
「……縁談係の始まりはな、フィオナ。王家の『血の庭師』だ。眼の力で貴族の縁を視て、王家に都合の悪い縁を、咲く前に摘む。系図の、剪定役だよ。初代は百の縁を摘まされた。そして百一本目で――摘むことを、拒んだ」
「拒んだ……?」
「記録の断片から、私はそう読んだ。摘めと命じられた縁を、一つだけ、守ろうとした。理由までは、わからん。わからんまま、私は長いこと、その一点から目を逸らしていた。『使い潰された無念の初代』の方が、私の復讐には、都合がよかったからだ」
鉄格子の向こうで、叔父は静かに、自分の二十年を斬った。
「初代は、道具であることを拒んで消された。私は、道具にする側に回って捕まった。……同じ眼の家に生まれて、正反対の答えを出して、揃って塔と墨の中だ。笑うといい」
「笑いません」
声が、思ったより強く出た。
「私は、三つ目の答えを出します。摘む側にも、摘まされる側にも回らない。……縁は、結ぶものです。道具は、人を助けるものです。私と、私の相棒の店は、そういう商売なので」
叔父は、目を見開いた。
それから――笑った。夜会のあの疲れた笑いではなく、もっとずっと昔の、焼き菓子の包みを差し出すときの、あの笑い方で。
「……ならば、あの男に気をつけなさい。あれの目的は、金でも権勢でもない。あれは一度だけ言った。『大きな調律を、完成させる』と。何を調律する気かは、最後まで語らなかった。だが、鐘一つで領一つを整える男の言う『大きな』だ。……いい意味のはずがない」
鐘が鳴った。面会終了の、塔の鐘だった。
看守が扉を開ける。叔父は立ち上がり、背を向けかけて、一度だけ、止まった。
「フィオナ。西の三番通りの、菓子屋は、まだあるか」
「……はい。先月も、店先に行列が」
「そうか」
背中のまま、叔父は言った。
「あの店の焼き菓子をお前に買って帰るときだけは、私は、何の計算もしていなかった。……二十年で、あれだけだ。あれだけは、嘘ではなかったよ」
視えていた。
背中越しでも、色は、視えていた。
澄んで、小さく、あの情の火のままだった。
――呪いは、まだ解けない。たぶん当分、解けない。
けれど呪いの底に、嘘ではないものが一粒あると知って帰る面会は、来たときより、いくらか軽かった。
塔の外で、お嬢様が待っていた。何も訊かずに、隣に並んで、歩幅だけ合わせてくれた。
「……帰りに、寄り道してもいいですか。西の三番通りに」
「ん。付き合う」
焼き菓子は、二人ぶんと――暖炉の裏を開ける夜のための、夜食のぶんを買った。
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(第30話 了/実測2,421字)
第30話 面会室の色
王都の北、未決の塔。
貴族の身分のまま裁きを待つ者が入る石造りの塔の、三階の面会室で、私は叔父と再会した。
鉄格子を挟んだ向こうの人は、記憶より痩せて、記憶より、静かだった。囚人服に近い簡素な服。白いものの増えた髪。ただ、姿勢だけは、あの几帳面な執務室の頃のまま、まっすぐだった。
「……来たね」
「はい。叔父様」
その呼び方に、叔父は少しだけ、眉を動かした。当主代行、とも、ギデオン・フローレス、とも呼ばなかったことに。
私は決めてきたのだ。今日ここに来たのは、縁談係の告発人ではなく、姪だと。訊くことは告発人のそれでも、呼び方だけは、譲らないと。
「時間は四半刻だ。世間話をする仲でもない。……訊きたいことを、訊きなさい」
「では、遠慮なく。――北部で、覚えられない男に会いました」
叔父の目の色が、変わった。
そして私は、気づいた。視える。墨が、ない。鑑定除けの道具は取り上げられ、術も切れて、目の前の人は今、生まれて初めて会う「素の叔父」だった。
叔父も、それを察したらしい。ふ、と息を吐いて、鉄格子に少しだけ、身を寄せた。
「――視ながら、聞きなさい」
「え」
「お前の眼で、私の色を視ながら、聞けと言っている。私の証言のどこが真実で、どこが強がりか、お前には全部わかる。……この期に及んで、疑われながら話すのは、性に合わん」
嘘の視える姪に、視られながら話すことを、自分から差し出す。
それがこの人の、精一杯の誠実の形なのだった。私は頷いて、静かに『鑑定』を灯した。
「あの男は――私は『調律師』と呼んでいた――二十年前、向こうから来た」
叔父は、語り始めた。色は、終始、澄んでいた。
「私が家譜の塗り潰しに気づき、初代のことを調べ始めて、三年目だ。王都の古文書館で、閲覧記録も残さず、あの男は隣に立っていた。『調べているね』と。……初代の縁談記録の在り処を、あの男が教えた。刻印の術を、少しずつ授けたのも。私は自分が、あの男を利用しているつもりだった。逆だと気づいたのは、いつだったか」
真実。強がりの色すら、ない。
「あの男の正体は」
「知らん。名乗らなかった。ただ――」
叔父の声が、一段、低くなった。
「初代の時代の記録に、同じものがあった。当時の王家の術式書の余白に、楽譜の切れ端。五線の上の、四つの音。あの男が自分の術式の末尾に必ず入れる署名と、寸分違わず同じものが、百四十年前の紙にあった」
鐘の内壁の四音が、脳裏で鳴った。
「……代替わりした、一門か何かだと、私は思うことにしていた。人は百四十年、生きない。だが」
「だが?」
「あの男は一度だけ、初代のことを『あれ』ではなく『彼』と呼んだ。会ったことのある者の呼び方だった」
北の鐘楼の声が、耳に蘇る。――懐かしいな、フローレスの眼。百四十年ぶりに、視られたよ。
人は百四十年、生きない。生きないはずの何かが、盤の外を、口笛を吹いて歩いている。
「初代の罪について、調べはどこまで」
「暖炉だ」
叔父は、短く言った。
「本邸の、私の書斎。暖炉の裏の石が二枚、外れる。二十年ぶんの調べが、全部そこにある。写本、購入した古文書、王都の閲覧記録の控え。……私はあれを、復讐の弾薬にした。お前は、別の使い方をしなさい」
「――一つだけ、先に教えてください。初代は、何をして、消されたのですか」
叔父は、しばらく黙った。初めて、色が揺れた。澄んだままで、揺れた。悔いに似た色だった。
「……縁談係の始まりはな、フィオナ。王家の『血の庭師』だ。眼の力で貴族の縁を視て、王家に都合の悪い縁を、咲く前に摘む。系図の、剪定役だよ。初代は百の縁を摘まされた。そして百一本目で――摘むことを、拒んだ」
「拒んだ……?」
「記録の断片から、私はそう読んだ。摘めと命じられた縁を、一つだけ、守ろうとした。理由までは、わからん。わからんまま、私は長いこと、その一点から目を逸らしていた。『使い潰された無念の初代』の方が、私の復讐には、都合がよかったからだ」
鉄格子の向こうで、叔父は静かに、自分の二十年を斬った。
「初代は、道具であることを拒んで消された。私は、道具にする側に回って捕まった。……同じ眼の家に生まれて、正反対の答えを出して、揃って塔と墨の中だ。笑うといい」
「笑いません」
声が、思ったより強く出た。
「私は、三つ目の答えを出します。摘む側にも、摘まされる側にも回らない。……縁は、結ぶものです。道具は、人を助けるものです。私と、私の相棒の店は、そういう商売なので」
叔父は、目を見開いた。
それから――笑った。夜会のあの疲れた笑いではなく、もっとずっと昔の、焼き菓子の包みを差し出すときの、あの笑い方で。
「……ならば、あの男に気をつけなさい。あれの目的は、金でも権勢でもない。あれは一度だけ言った。『大きな調律を、完成させる』と。何を調律する気かは、最後まで語らなかった。だが、鐘一つで領一つを整える男の言う『大きな』だ。……いい意味のはずがない」
鐘が鳴った。面会終了の、塔の鐘だった。
看守が扉を開ける。叔父は立ち上がり、背を向けかけて、一度だけ、止まった。
「フィオナ。西の三番通りの、菓子屋は、まだあるか」
「……はい。先月も、店先に行列が」
「そうか」
背中のまま、叔父は言った。
「あの店の焼き菓子をお前に買って帰るときだけは、私は、何の計算もしていなかった。……二十年で、あれだけだ。あれだけは、嘘ではなかったよ」
視えていた。
背中越しでも、色は、視えていた。
澄んで、小さく、あの情の火のままだった。
――呪いは、まだ解けない。たぶん当分、解けない。
けれど呪いの底に、嘘ではないものが一粒あると知って帰る面会は、来たときより、いくらか軽かった。
塔の外で、お嬢様が待っていた。何も訊かずに、隣に並んで、歩幅だけ合わせてくれた。
「……帰りに、寄り道してもいいですか。西の三番通りに」
「ん。付き合う」
焼き菓子は、二人ぶんと――暖炉の裏を開ける夜のための、夜食のぶんを買った。
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(第30話 了)




