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# 第25話 鐘の鳴る領



 北への旅は、五日かかった。


 一行は四人。私とお嬢様、依頼人のエマ、そして護衛に私兵のロルフ。名目は「小箱堂、地方巡回鑑定の旅」。道中の宿場で実際に鑑定の看板を出し、二件ほど本物の修理までこなしたから、偽装としては上出来である。店主が本気で修理を楽しんでいたのは、偽装なのか地なのか、判別がつかなかったが。


 旅の間に、もう一つ収穫があった。


「エマ、ほら、ここ持って。ぜんまいは巻きすぎると泣くの。七分目で止める」


「七分目……あ、音が変わりました」


「そう、それが道具の『満腹』の合図。覚えときなさい」


 馬車の中は、いつしか移動教室になっていた。エマは筋がいい、というのが店主の見立てである。五日目には、旅の埃で汚れていた少女の目の下から、隈が半分消えていた。十二歳が三月ぶんの孤独を下ろすには、ぜんまいの巻き方くらいの、どうでもよくて確かな話が、たぶん一番効くのだ。


 ――そして六日目の朝、ノルデン子爵領に入った。


 最初の違和感は、街道沿いの村だった。


「……綺麗な村ですね」


 護衛のロルフが、褒め言葉のつもりで言った。実際、綺麗だった。道に落ち葉ひとつなく、家々の壁は塗り直され、畑は定規で引いたように整然と並ぶ。


 綺麗で、何かが、決定的に欠けていた。


「花が、ない」


 お嬢様が、先に言い当てた。


 言われて、わかった。窓辺に鉢がない。軒先に花壇がない。畑はあるのに、庭がない。実りだけがあって、飾りが、一つもない。


「三年前まではあったんです」


 エマが、膝の上で拳を握った。


「収穫祭の櫓も、広場の楽団の台も。……全部『効率が悪い』って、片づけられました」


 村を抜ける間、私は視続けた。


 畑の大人たち。色が――薄い。墨ではない。ロウ子爵のような、流し込まれた鋳型でもない。もっと薄く、広い。喜怒哀楽の色の上に、灰色の紗が一枚かかっているような。命令を刻まれているのではない。感情の音量を、一律に、絞られている。


「レティシア様。領の方々、刻印とは違います。もっと……薄い何かです。個人を操るのではなく、全体を、静かにさせている」


「――集団制御」


 お嬢様の声が、低くなった。


「夜会の百燈と同じ発想よ。一人一人に首輪をつけるんじゃなく、場そのものを装置にする。百二十人が、一つの領に化けただけ。……でも、どうやって? 領全体を覆う『シャンデリア』なんて」


 答えは、領都に入って、鳴った。


 ――ゴォン。


 正午の鐘だった。領都の中心、教会の鐘楼から、鈍い音が波のように広がる。


 その瞬間を、私は視ていた。


 通りの人々の色が――揃った。ばらばらだった灰色の濃淡が、鐘の一打ごとに、同じ濃さに、均されていく。まるで指揮棒の一振りで、楽団の音が揃うように。


 鳥肌が、立った。


「……フィオナ、上」


 お嬢様が鐘楼を見上げていた。目を細め、職人の目で。


「あの鐘、新しいわ。鐘楼は古いのに、鐘だけ鋳直されてる。それに音がおかしい。余韻の中に、唸りが混じってる。……鐘の芯に、核石が入ってるのよ。あれが領全体の『基点灯』。鐘の音に術式を乗せて、一日に何度も、領中に『上書き』をかけてる」


「三年前に、鐘が新しくなりました」


 エマの声は、震えていた。


「父が、寄進したんです。『領民の心をひとつにする鐘だ』と言って。……あの頃はまだ、父は、父でした。あれが最初だったんだ……」


 子爵自身も刻まれ、その手で領に鐘を吊らされた。順番まで、悪辣だった。


 通りを進むうち、もう一つ、気づいたことがある。


 子どもたちだ。


 広場の隅で、子どもたちだけが、普通に遊んでいた。笑い、喧嘩し、泣いている。色も、健全に騒がしい。灰色の紗は、子どもには、かかっていない。


 ただ――遊ぶ子どもたちを、見ている大人が、一人もいなかった。


 転んで泣く子の前を、灰色の大人たちが、正確な足取りで通り過ぎていく。誰も叱らず、誰も抱き上げない。エマが言った「私の知らない人になりました」の意味が、通りの風景そのものになって、そこにあった。


「……なんで、子どもは」


 ロルフが呻いた。答えたのは、お嬢様だった。


「刻む価値がないから、じゃないわね、たぶん。……子どもの心は育つの。育つものに紗をかけても、破れる。だから『大人になってから』かける。この領はきっと、そういう仕組みまで――」


 言葉を切って、お嬢様は一度、目を閉じた。


 開いたとき、そこにあるのは怒りの火――ではなかった。もっと静かで、もっと深い、氷点下の何かだった。


「フィオナ。予定変更。挨拶回りは丁寧にやるわよ。巡回鑑定の看板も、真面目に出す。時間をかけて、この領の『仕組み』を全部拾う。……鐘一つ割って終わりの話じゃない。割った後、この人たちの三年を、誰がどう受け止めるかまで考えないと」


「はい」


「それと、エマ」


 お嬢様は少女の肩に手を置き、まっすぐに言った。


「よく、三年もこの中で、あなたのままでいたわね。上等よ」


 少女の目に、みるみる水の膜が張った。三年、誰にも言えず、誰にも信じてもらえなかった子が、初めて「見えている大人」に会えたのだ。泣くのを堪える横顔は、悔しいくらい、気丈だった。


 ――その日の夕刻、私たちはノルデン子爵邸に入った。


「これはこれは、遠路はるばる。公爵家の鑑定巡回とは、当領も名誉なことです」


 出迎えた子爵夫妻は、絵に描いたように、丁重だった。


 エマを見ても、取り乱さなかった。「王都見物とは、お転婆な」と、正確な音量で、正確に微笑んだ。


 視るまでもなく――視た。夫妻の色は、領民の灰色より、二段濃かった。


 そして夕食の席、正確に八時、領都の鐘が鳴った。


 夫妻の会話が、鐘の間だけ、ぴたりと止まった。


 再開したとき、二人の声は、さっきより半音、平らになっていた。


---


(第25話 了/実測2,296字)

る領


 北への旅は、五日かかった。


 一行は四人。私とお嬢様、依頼人のエマ、そして護衛に私兵のロルフ。名目は「小箱堂、地方巡回鑑定の旅」。道中の宿場で実際に鑑定の看板を出し、二件ほど本物の修理までこなしたから、偽装としては上出来である。店主が本気で修理を楽しんでいたのは、偽装なのか地なのか、判別がつかなかったが。


 旅の間に、もう一つ収穫があった。


「エマ、ほら、ここ持って。ぜんまいは巻きすぎると泣くの。七分目で止める」


「七分目……あ、音が変わりました」


「そう、それが道具の『満腹』の合図。覚えときなさい」


 馬車の中は、いつしか移動教室になっていた。エマは筋がいい、というのが店主の見立てである。五日目には、旅の埃で汚れていた少女の目の下から、隈が半分消えていた。十二歳が三月ぶんの孤独を下ろすには、ぜんまいの巻き方くらいの、どうでもよくて確かな話が、たぶん一番効くのだ。


 ――そして六日目の朝、ノルデン子爵領に入った。


 最初の違和感は、街道沿いの村だった。


「……綺麗な村ですね」


 護衛のロルフが、褒め言葉のつもりで言った。実際、綺麗だった。道に落ち葉ひとつなく、家々の壁は塗り直され、畑は定規で引いたように整然と並ぶ。


 綺麗で、何かが、決定的に欠けていた。


「花が、ない」


 お嬢様が、先に言い当てた。


 言われて、わかった。窓辺に鉢がない。軒先に花壇がない。畑はあるのに、庭がない。実りだけがあって、飾りが、一つもない。


「三年前まではあったんです」


 エマが、膝の上で拳を握った。


「収穫祭の櫓も、広場の楽団の台も。……全部『効率が悪い』って、片づけられました」


 村を抜ける間、私は視続けた。


 畑の大人たち。色が――薄い。墨ではない。ロウ子爵のような、流し込まれた鋳型でもない。もっと薄く、広い。喜怒哀楽の色の上に、灰色の紗が一枚かかっているような。命令を刻まれているのではない。感情の音量を、一律に、絞られている。


「レティシア様。領の方々、刻印とは違います。もっと……薄い何かです。個人を操るのではなく、全体を、静かにさせている」


「――集団制御」


 お嬢様の声が、低くなった。


「夜会の百燈と同じ発想よ。一人一人に首輪をつけるんじゃなく、場そのものを装置にする。百二十人が、一つの領に化けただけ。……でも、どうやって? 領全体を覆う『シャンデリア』なんて」


 答えは、領都に入って、鳴った。


 ――ゴォン。


 正午の鐘だった。領都の中心、教会の鐘楼から、鈍い音が波のように広がる。


 その瞬間を、私は視ていた。


 通りの人々の色が――揃った。ばらばらだった灰色の濃淡が、鐘の一打ごとに、同じ濃さに、均されていく。まるで指揮棒の一振りで、楽団の音が揃うように。


 鳥肌が、立った。


「……フィオナ、上」


 お嬢様が鐘楼を見上げていた。目を細め、職人の目で。


「あの鐘、新しいわ。鐘楼は古いのに、鐘だけ鋳直されてる。それに音がおかしい。余韻の中に、唸りが混じってる。……鐘の芯に、核石が入ってるのよ。あれが領全体の『基点灯』。鐘の音に術式を乗せて、一日に何度も、領中に『上書き』をかけてる」


「三年前に、鐘が新しくなりました」


 エマの声は、震えていた。


「父が、寄進したんです。『領民の心をひとつにする鐘だ』と言って。……あの頃はまだ、父は、父でした。あれが最初だったんだ……」


 子爵自身も刻まれ、その手で領に鐘を吊らされた。順番まで、悪辣だった。


 通りを進むうち、もう一つ、気づいたことがある。


 子どもたちだ。


 広場の隅で、子どもたちだけが、普通に遊んでいた。笑い、喧嘩し、泣いている。色も、健全に騒がしい。灰色の紗は、子どもには、かかっていない。


 ただ――遊ぶ子どもたちを、見ている大人が、一人もいなかった。


 転んで泣く子の前を、灰色の大人たちが、正確な足取りで通り過ぎていく。誰も叱らず、誰も抱き上げない。エマが言った「私の知らない人になりました」の意味が、通りの風景そのものになって、そこにあった。


「……なんで、子どもは」


 ロルフが呻いた。答えたのは、お嬢様だった。


「刻む価値がないから、じゃないわね、たぶん。……子どもの心は育つの。育つものに紗をかけても、破れる。だから『大人になってから』かける。この領はきっと、そういう仕組みまで――」


 言葉を切って、お嬢様は一度、目を閉じた。


 開いたとき、そこにあるのは怒りの火――ではなかった。もっと静かで、もっと深い、氷点下の何かだった。


「フィオナ。予定変更。挨拶回りは丁寧にやるわよ。巡回鑑定の看板も、真面目に出す。時間をかけて、この領の『仕組み』を全部拾う。……鐘一つ割って終わりの話じゃない。割った後、この人たちの三年を、誰がどう受け止めるかまで考えないと」


「はい」


「それと、エマ」


 お嬢様は少女の肩に手を置き、まっすぐに言った。


「よく、三年もこの中で、あなたのままでいたわね。上等よ」


 少女の目に、みるみる水の膜が張った。三年、誰にも言えず、誰にも信じてもらえなかった子が、初めて「見えている大人」に会えたのだ。泣くのを堪える横顔は、悔しいくらい、気丈だった。


 ――その日の夕刻、私たちはノルデン子爵邸に入った。


「これはこれは、遠路はるばる。公爵家の鑑定巡回とは、当領も名誉なことです」


 出迎えた子爵夫妻は、絵に描いたように、丁重だった。


 エマを見ても、取り乱さなかった。「王都見物とは、お転婆な」と、正確な音量で、正確に微笑んだ。


 視るまでもなく――視た。夫妻の色は、領民の灰色より、二段濃かった。


 そして夕食の席、正確に八時、領都の鐘が鳴った。


 夫妻の会話が、鐘の間だけ、ぴたりと止まった。


 再開したとき、二人の声は、さっきより半音、平らになっていた。


---


(第25話 了)


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