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# 第22話 温室の夜、預けるもの


 事件の夜が明けて、三日が経った。


 叔父は王都へ送られ、警備の八名は取り調べの中。ロウ子爵と「消えた五件」の被害者たちは、王立の術師院が刻印の解除に当たっている。レティシア様の解析手記が礎になると聞いた。公爵家は蜂の巣をつついた騒ぎで、そして我がフローレス家は――当主代行の大罪により、縁談係の職の存続そのものが、評定にかけられていた。


 三日間、私はお嬢様の前に、行けなかった。


 四日目の晩。温室の扉が、内側から開いた。


「三日。よく我慢したわね、私」


 寝間着に上着を引っかけたお嬢様が、腕を組んで立っていた。逃げ場を塞ぐ、実に堂に入った仁王立ちだった。


「……夜分に、申し訳ありません。灯りが見えたもので、つい」


「つい、で庭に三十分も突っ立ってる人がいる? いいから入る。冷えるでしょ」


 襟首を掴まれるようにして、私は城に収監された。


 作業台の上には、珍しく工具がなかった。代わりに湯気の立つ茶がふたつ。準備の良さが、待ち伏せを白状していた。


「さて」


 お嬢様は丸椅子に膝を抱えて座り、顎で私にも着席を命じた。


「三日ぶんの嘘、まとめて聞くわよ。今日は数えないであげるから、全部出しなさい」


 どこから話せばいいのか、三日考えて、決めてあった。


 一番重い荷物からだ。


「……フローレス家は、縁談係を退くべきだと考えています。私も、お屋敷を下がるべきだと」


「理由」


「一族の人間が、あなたの縁を三年にわたり汚しました。五人の人生を壊し、あなたの百二敗を盤上の遊戯にした。あの晩、確かに叔父を止めたのは私たちです。ですが、止めた手柄で、汚した罪は消えません。縁談係の娘が、その、あなたの隣にいては――」


「はい、一個目の嘘」


 数えないと言ったくせに。


「今の、理屈は全部本当でしょうけど、結論だけ嘘。あなた、下がりたくないでしょ」


「…………」


「顔に書いてあるわよ。あなたの眼ほど便利なものはなくても、十三年見てれば読めるの」


 湯気の向こうで、青の瞳が待っていた。急かさずに、逃がさずに。


 ……ずるい人だ。本当に。


「――下がりたく、ありません」


 声が、震えた。


「でも、資格の話をしているのです。私は、あなたに、隠してきたことがある。一族の罪より前から、ずっと」


「聞くわ」


「……笑わないで、いただけますか」


「内容による」


 正直で、たいへんよろしい。私は、覚悟を決めた。


「私には、前の生の記憶があります」


 言った。


 十八年、誰にも言わなかったことを。


「別の世界で、結婚相談員という仕事をしていました。人と人の縁を結ぶ仕事です。三十年勤めて、千組の夫婦を世に送りました。この眼は……その頃の眼力が、こちらで力になったもの。私が縁談係の仕事に妙に詳しいのも、席の作法を知っているのも、全部、前の生の借り物です」


 お嬢様は、笑わなかった。


 茶を一口飲んで、それから、実に軽く言った。


「ふうん。道理で」


「……道理で?」


「五歳のあなた、目つきだけ妙に玄人だったのよね。オルゴールの隙間に指を入れるとき、先に全体を三秒眺める癖があった。あれ、子どもの目じゃなかったもの」


 ――この人は。


 千の秘密を打ち明けられてきた私の、たった一つの秘密を、そんな昔から、半分知っていたのか。


「一個だけ、聞いていい?」


 お嬢様は湯呑みを両手で包み、少しだけ、声を落とした。


「その、前の生……帰りたいと、思ったことは?」


 初めて訊かれる問いだった。自分にすら、訊いたことのない問いだった。


 考えて、驚いた。答えが、即座にあった。


「――一度も、ありません」


「……そう」


「向こうでの私は、千組の席を整えて、千組の門出を見送りました。誇りある仕事でした。ですが、思い返せば……私自身の席は、一度もなかった。誰かの隣、という場所を、私は仕事でしか知らなかったのです。それを初めて知ったのは」


 こちらの生で。五歳の暴君に、手の小ささを買われた日から。


 言葉にはしなかった。しなくても、湯気の向こうの青い瞳は、ちゃんと受け取った顔をしていた。


「続き。まだあるでしょ」


「……あります。これが、一番、言いにくいのですが」


 湯呑みを、両手で包んだ。指先の逃げ場を、なくすために。


「千組を結んだ私は、プロです。プロとして申し上げると、あなたのお見合いのいくつかは……私が本気を出せば、纏まっていました。仮面の維持も、素の見せ方も、席の設計も、私にはできた。しなかった。それどころか」


 息を、吸う。


「――記録が伸びるたび、安堵していました。百二敗の、たぶん半分は、私の怠慢です。あなたの縁を結ばないことを、あなたの専属の縁談係が、心のどこかで、ずっと……喜んで、いました」


 言い切った。


 叔父を断罪したときは震えなかった声が、みっともないほど揺れていた。プロ失格の告白。盤を汚した叔父を裁く資格が、私のどこにあったのか。方法が違うだけで、私もまた、この人の縁を、私情で――


「知ってた」


 ……え?


 顔を上げると、お嬢様は頬杖をついて、こちらを見ていた。怒っても、呆れてもいない。悪童の顔ですら、ない。初めて見る、静かな目だった。


「九十何敗目だったかしらね。破談が決まった瞬間、あなた、息を吐いたのよ。ほんの少しだけ、肩から力が抜けて。……ああ、この子は私の縁談が沈むと、ほっとするんだ、って。気づいたら」


 お嬢様は、少しだけ、言葉を探した。この人が言葉を探すのを、私は初めて見た。


「気づいたら私、次のお見合いが、楽しみになってた。変でしょ。負けるのが分かってる試合よ? でも、破談になるたび、あなたがほっとして、それから二人で悪党の尻尾を追いかけて――百二敗はね、フィオナ。私の戦績じゃないの。二人の、戦績なの」


「……っ」


「だから資格の話なら、こう返すわ。あなたが下がるなら、私の縁談は今後ぜんぶ不戦敗よ。相棒のいない席には、着かない」


 湯気が、視界で滲んだ。


 泣くまいと思った。プロは席で泣かない。千回守った矜持は、けれど温室の夜気の中で、あっけなく期限切れになった。


 お嬢様は私が泣き止むまで何も言わず、茶が冷めた頃に、一つだけ付け足した。


「ユリウス卿から今朝、正式に辞退の申し入れがあったわ。『陣形を崩す気はない』ですって。……いい男よね、まったく」


「……はい。成婚率九十五パーセントの、極上物件でした」


「あなたのその査定癖、いつか直しなさいよね」


 笑って、それから、お嬢様は窓の外の夜を見た。


「次の縁談は、当分受けない。お父様には私から言う。家のことも、縁談係のことも、これから面倒な戦いになるけど――隣、空けておくから」


 誰のために、とは言わなかった。


 私も、訊かなかった。


 名前を付けるには、まだ早い何かが、そこにあるだけでよかった。欠けた翼の飴細工みたいに、甘くて、少し不格好なままで。


 温室を出る間際、私は耳元に手をやった。夜会からこちら、外しそびれている銀の小鳥。欠けていない方の翼で、今夜も澄まして留まっている。


 飴の小鳥は、欠けたまま硝子の小瓶に。銀の小鳥は、欠けないまま耳元に。


 どちらも、捨てられる気は、しなかった。


 ――伝説の結婚相談員、転生後の戦績。


 担当令嬢、百三連敗。うち一敗は、騎士の見事な不戦敗。


 千組を結んだこの私が、最後の一組を、まだ結べずにいる。


 急ぐつもりは、なかった。なにせその席は、予約済みなのだ。


---


(第22話 了)


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