# 第21話 公爵の書斎
夜会の翌々日になっても、屋敷は嵐の中にいた。
王都から調査官が入り、百燈は一基残らず取り外され、警備八名と叔父の取り調べが続く。社交界は例の一夜の話題で沸騰し、公爵家の門前には見舞いと詮索が半々の馬車が列を作った。
私はその渦中を、書類と伝令の使い走りで駆け回っていた。忙しさは、ありがたかった。立ち止まると、考えてしまうからだ。連行される背中と、最後の呪いの言葉を。
そんな騒ぎの中、裏口に妙な届け物があった。
宛名は「リティ様と、お連れの嬢ちゃんへ」。差出人は無記名。中身は、油紙に包まれた揚げ芋がふた山と、走り書きが一枚。
『五番街の時計、衛兵の蔵から出てきたそうだ。親父さん泣いてたぞ。──深入りするなと言ったが、撤回する。よくやった』
筆跡に、心当たりしかなかった。
揚げ芋は、まだ温かかった。三番街からここまで、冷めないように急いで運ばせたのだろう。私はふた山のうち一山を、温室に置きに行った。お嬢様は評定関係の聴取で不在だったが、作業台の上のそれを見れば、宛名などなくても、誰から何の意味で届いたか、一秒でわかるはずだった。
午後、来客があった。
「フィオナ殿。少しだけ、よろしいか」
ユリウス・グランフェルト様だった。正装ではなく、騎士団の平服で。
庭先の東屋で、私たちは短く話した。夜会の礼と、事後の調べの進み具合と、それから。
「――近く、縁談の辞退を正式に申し入れます。その前に、お二人には直接お伝えしたく」
驚きは、しなかった。あの晩の立ち回りを見れば、この人がすべてを見て取ったことは明らかだったから。
「……理由を、伺っても」
「俺は最初の席で言いました。百二回ぶんの理由に興味がある、と。理由は、わかりました」
ユリウス様は、屋敷の温室の方角へ、ちらりと目をやった。硝子屋根が、午後の光を撥ねていた。
「あの方の破談には、悪党の仕込みが半分。そして残りの半分は――あの方が、席に着く前から、もう誰かの隣にいるからだ。埋まっている席に座ろうとするのは、騎士の流儀に反します」
「…………」
「俺の負けです。いや――負けというのも正確ではないな。不戦敗、と。そう記録しておいてください、縁談係どの」
言って、この人は本当に爽やかに笑うのだった。敵わない、と思った。千人の男を査定してきたが、退き際でここまで点を上げた人を、私は知らない。
「フィオナ殿。最後に一つだけ、騎士の忠告を」
「はい」
「陣形は、守っているだけでは勝てません。……いつか、前に出る番が来ます。そのときは、迷わないことです」
一礼して、ユリウス様は帰っていった。まっすぐな背中だった。あの背中の縁談なら、いつか本気で結んで差し上げたいと、職業意識が久しぶりにまともな方向へ疼いた。
――そして夕刻、私は公爵閣下の書斎に呼ばれた。
オールウィン公爵。お嬢様の父君。齢五十を過ぎ、鷲を思わせる眼光は健在ながら、この数日で白いものが増えたように見えた。書斎にはお嬢様も先に呼ばれていて、珍しく神妙な顔で座っている。
「――フィオナ・フローレス。まず、礼を言う」
開口一番が、それだった。私は慌てて頭を下げた。
「もったいないお言葉です。ですが閣下、元はと言えば我が一族の者が」
「その話も、する。だが順序が先だ。当家は百二十名の客ごと、呪具の網にかけられるところだった。娘とお前が、それを防いだ。事実の順序を違えるな。……縁談係の娘よ、事実の順序には、うるさいのだろう」
夜会の演説のことを言っているらしかった。この御方、意外と話を聞いている。
「フローレス家の処遇は、王都の評定を待つ。当主代行の罪は重い。だが病床の当主に監督の咎をどこまで問うか、家職を召し上げるか否か――これは当家だけでは決められん。しばらく、宙に浮く。……辛かろうが、耐えよ」
「は」
「次に、レティシア」
「はい、お父様」
「グランフェルト家から、内々に辞退の意向が伝えられた。近く正式なものが届くだろう。……これで百三連敗だ。当家の縁談は、王都の笑い話を通り越して、伝説になりつつある」
「お父様、それは」
「言い訳は要らん。――言い訳をすべきは、私の方だからだ」
公爵は、深く、椅子に沈んだ。鷲の眼光が、初めて、疲れた父親の目になった。
「三年、いや、もっと前からだ。お前の縁談をすべて縁談係に任せ、纏まらぬと聞くたび、お前の側の問題だと思ってきた。趣味に耽る変わり者の娘だと。……その縁談の裏で何が行われていたか、私は当主でありながら、何一つ見ていなかった。すまなかった」
公爵家の当主が、娘に頭を下げた。
お嬢様は、しばらく黙っていた。それから、いつもの調子で、少しだけ乱暴に言った。
「……頭を上げてください、お父様。見てなかったのはお互い様です。私もお父様のこと、温室の敵としか思ってませんでしたから」
「敵。……ふ。そうか、敵か」
公爵は苦笑して、居住まいを直した。
「ならば敵ついでに、もう一つ、藪をつついておこう。レティシア。お前、当分、縁談を受ける気はないな?」
「――ええ。ありません」
「であろうな。……ならば、考えておけ」
公爵は執務机の上で手を組み、静かに言った。
「当家に男子はない。婿を取らせるのが筋と、私も周囲もそう思い込んできた。だが王国法には、女子の家督相続の特例がある。適用の例は少ないが、無いわけではない。――婿の器を探し続けて百三連敗するより、当主の器を一人磨く方が、存外、早いのかもしれんとな。この数日、お前の働きを見ていて、そう思った」
女公爵。
その言葉は口にされなかったが、書斎の空気の中に、確かに置かれた。
お嬢様は目を見開き、それから、何か言いかけて、やめた。代わりに一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、私を見た。
答え合わせをするように。
「……考えて、おきます」
「それでいい。今日は下がれ。二人とも、ようやった」
書斎を辞して、廊下を歩きながら、私たちはしばらく無言だった。
窓の外は、もう夕闇だった。庭の先に、温室の硝子が最後の光を溜めていた。
「――フィオナ。あのね」
「はい」
「……ううん。やっぱり、今度でいい。ちゃんと話したいことが、溜まってるの。整理してからにする」
「……私も、です」
お互いに、それきり黙った。
言葉が足りないのではなかった。多すぎたのだ。三日ぶんどころか、たぶん、十三年ぶん。
その整理に、私はこのあと三日を要し――四日目の晩、温室の灯りに、呼ばれることになる。
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(第21話 了)




