# 第19話 縁談係の、最後の報告
演説の作法なら、前世で骨身に沁みている。
結婚披露の壇上、両家の緊張を三分で解し、涙と笑いの配分を差配する。千回やった。だから知っている。人の群れを動かすのは、正しさではない。順序だ。
そしてもう一つ。群れに向かって話すときの、最初の一秒の使い方だ。怒鳴ってはいけない。弁明から入ってもいけない。群れは、慌てた人間の言葉を聞かない。だから私は、割れた杯と悲鳴の残る暗い広間で、まず一拍、黙って立った。菫色のドレスの襟を正し、増幅具を握り、百二十の視線が「次は何だ」とこちらに揃うのを――待った。
揃った。
「――皆様、お騒がせしております。オールウィン公爵家縁談係、フローレスの娘でございます」
増幅された声が、暗い広間に、よく通った。百二十の視線が私に集まり、叔父の目が、初めて、笑っていない色で私を見た。
「賊の話の前に、皆様には一つ、縁談のご報告がございます。ご報告と申しますのは――此度の婚約に至るまでの、百三件の縁談についてでございます」
暗い広間に、私の声だけが通る。
「皆様ご存知の通り、レティシア様のお見合いは百二度、纏まりませんでした。社交界では氷の薔薇の奇行と、笑い話にされてきたかと存じます。……ですが縁談係の記録には、笑えぬ話が眠っておりました」
懐から、写しを出す。掲げる。暗がりで文面は読めない。読めなくていい。紙とは、掲げるためにあるのだ。
「この三年、お嬢様に打診されながら、お見合いの席に着く前に消えた縁談が五件ございます。辞退の記録なし、破談の記録なし。ただ、消えた。――そのお一人が、エルネスト・ロウ子爵。本日、この広間にお越しです」
どよめきが走り、視線が割れて、壁際の線の細い紳士を探し当てた。
子爵は微笑んでいた。作り物の、揺らがない微笑で。
「ロウ子爵。三年前、オールウィン家との縁談を打診されたご記憶は」
「……いいえ。何かのお間違いでしょう」
「左様ですか。では皆様、いまひとつ」
私は間を取った。千回の経験が教える、ちょうど息二つぶんの間を。
「メイエル商会のハロルド卿が禁術の呪具の売買で捕縛されたこと、王都の皆様はご存知かと。卿は取り調べにこう供述しております。――縁談の仲介状に『当日は例の品を身につけて来い』と指示があった、と。仲介状の名義は、我がフローレス家。ですが筆跡は父のものではない。では、誰か」
ざわめきの底で、私は続けた。紙は、まだある。
「続いて、チェイニー子爵。質草詐欺で捕縛された金融業者でございます。押収された台帳には、没落させた家々の家宝の核石を『剣に双頭の蔦』の紋の相手へ卸した記録が、三年分。……その子爵との縁談も、正規の手続きで、レティシア様に届いておりました。呪具の売り手と、材料の仕入れ屋。二人の悪党が、二人とも、お見合いの席に座っていた。皆様、これは偶然でございましょうか」
「フィオナ」
叔父の声が、初めて私の名を呼んだ。窘める、保護者の声色で。
「気持ちはわかるがね、憶測で家名を汚してはいけないよ。お前は疲れて――」
「憶測かどうかは、ロウ子爵に伺えばわかります」
私は視線で、合図を送った。
お嬢様が、動いた。
ドレスの隠しの七つ道具、その六つ目。小さな音叉に似た銀具が、澄んだ一音を発した。押収した禁術の核を十日がかりで丸裸にした、あの解析の成果――刻印の術式だけを、ほんの数瞬、痺れさせる音。
ロウ子爵の微笑が、割れた。
気泡のように浮かんでは潰れていた「元の色」が、墨を破って、噴き出した。
「……っ、あ」
子爵が、自分の喉を押さえる。作り物ではない、掠れた声が漏れた。
「たす、け……わたし、は……三年、ずっと、からだが、勝手に――」
数瞬で、墨は閉じた。子爵は再び微笑を貼り付けて、直立した。
だが、遅い。
百二十人が、見た。聞いた。上書きされた人間が、一瞬だけ本物に戻る瞬間を。
広間が、静まり返った。誰かの持つ杯が、かたかたと鳴っていた。それから、堰が切れた。
「今の、何……」「三年、体が勝手にって」「呪いか」「あの警備、さっきから客を壁に」「うちの息子も先月、妙な腕輪を――」
好奇が、恐怖に変わる。恐怖が、身に覚えのある不安を呼ぶ。下町にばら撒かれた呪具の噂は、実のところ、この場の何人かの家にも、もう届いていたのだ。広間の空気が、音を立てて雪崩れていく。
――順序だ。紙、名前、そして生きた証拠。
千の席で学んだ最後の法則を、心の中で確かめる。人の群れは、正しさでは動かない。だが、我がこととなれば、動く。呪いは今夜、百二十人の我がことになった。
「皆様。頭上の灯りをご覧ください。本日、この百燈にはロウ子爵と同じ細工が仕込まれておりました。乾杯の一杯とともに、この場の全員が、子爵と同じものにされるはずでした。……仕組んだ者は、この場の混乱を賊の仕業と叫び、罪をお嬢様に着せようとしております」
私は向き直った。
五歳の私に菓子をくれた人へ。
「叔父様。……いいえ。当主代行、ギデオン・フローレス。縁談係の職権による、禁術呪具の頒布。ロウ子爵にかかる誘拐と人格の改変、ならびに消えた四件の縁談への同様の疑い。そして本日の、百二十名に対する改変の未遂。――縁談係見習いフィオナ・フローレスが、確かに視ました」
沈黙が、落ちた。
叔父は、しばらく動かなかった。やがて、ゆっくりと息を吐き――その吐息と一緒に、柔和な仮面が、剥がれ落ちた。
「……順序立てて、外堀から埋めて、証拠は目に見える形で、断罪は最後に一度だけ。ふ、ふふ。見事なものだ。千の修羅場を捌いた席の作法だね、フィオナ。やはりお前の眼は――」
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(第19話 了)




