# 第15話 騎士の質問
照心灯と並行して、二週間のうちに片づけるべき懸案が、もう一つあった。
ユリウス・グランフェルト。
婚約披露の主役でありながら、盤の上の駒であることを、本人だけが知らない人。
お嬢様と協議した結論は「全部話す」だった。善意の駒を、盤の上に盲目のまま立たせるのは、あの方の人情が許さなかった。ただし夜会の主催側に悟られぬよう、伝える役は目立たない私が、場所は屋敷の外が条件となった。
「――というわけで、卿にはすべてお話ししました」
夜会の五日前。王都の騎士団詰所に近い喫茶店で、私は言い終えて、冷めた茶に口をつけた。
禁術の流通、蔦の紋、消えた五件の縁談の顛末、そして卿の縁談の控えに押された印のことまで。話は小一時間に及び、その間、ユリウス様は一度も遮らなかった。相槌も打たず、茶にも触れず、ただ聞いていた。剣を構える人の静けさだった。
聞き終えて、最初の一言は、こうだった。
「話してくださったことに、感謝します」
騙されていたのに、第一声がそれだった。この方の色は、今日も晴れた空色をしている。
「……お怒りに、ならないのですね」
「怒っていますよ」
声の温度は、変わらなかった。変わらないまま、卓の上の拳だけが、静かに固かった。
「俺の縁談が盤だったことは、まだいい。貴族の縁談なんて、多かれ少なかれ誰かの盤だ。だが――消えた五人の話は、いけません。縁談を断った者が、消される。それは盤ではなく、狩りだ。そして」
初めて、空色に鋭いものが走った。
「そんな狩り場に、レティシア様は三年間、餌として据えられていた。ご本人に何も知らされずに。……怒る相手はあなた方ではない。俺の『会ってみたい』という気持ちまで、誰かの盤の目に組み込まれていたなら――それは、斬り甲斐のある相手だ」
剣呑なことを最後だけ爽やかに言い、ユリウス様は冷めた茶を飲み干した。
夜会での協力は、即答だった。それどころか、向こうから申し出があった。
「当日、俺は婚約者の役を全うします。主催の目は、主役に一番集まらない。皆、主役は『見えている』と思い込むので、かえって見ないのです。――俺が正面で目を引き受けます。お二人は、俺の影で動いてください」
「……騎士団の兵法、ですか」
「囮の基本です。あと、これは私見ですが」
ユリウス様は少しだけ、声を落とした。
「敵は当日、俺に一番『働いてほしくない』はずだ。騎士団第二席が式場で剣を抜く事態だけは、筋書きにない。つまり俺が抜けるだけの大義さえ転がり込めば、盤は割れる。……そういう大義は、得てして敵の焦りが運んでくるものです」
頼もしいこと、この上なかった。騎士団第二席が味方の駒――いや、味方の騎士になった。
「ああ、それと。話は変わりますが」
打ち合わせが一段落したところで、ユリウス様がふと、思い出したように言った。
「レティシア様から、手紙を二通いただいています。市場の礼状と、その後にもう一通。……あれは、書き手が違いますね」
湯呑みの中の茶が、小さく波を打った。
「一通目は流麗でした。文の運びも、結びの品も、完璧で。二通目は――なんというか、勢いのある字で、便箋の二枚目が回路図でした。魔導具の。手紙の文中に『図の通りよ』とだけあって」
「……重ね重ね、お恥ずかしい限りです。二通目が、ご本人です」
「でしょうね」
ユリウス様は、屈託なく笑った。
「二通目の方が、お会いした方だ。ですがフィオナ殿。一通目も、良い手紙でしたよ。あの方の声が、確かにしていた。……あれだけ聴き取れる耳は、そうありません」
褒め言葉、なのだと思う。思うが、返す言葉に窮した。あの一通に込めたものの内訳を、この人はどこまで見抜いているのか。空色の目は、ただ穏やかに笑っているだけで、答えてはくれなかった。
席を立ちかけて、しかし、ユリウス様はふと座り直した。
「フィオナ殿。最後に一つ、縁談とは関係のない質問を」
「はい」
「あなたは、レティシア様の何なのですか」
湯呑みを、落としかけた。
「な……にとは。縁談係の見習いで、幼なじみで」
「肩書きは伺っていません」
晴れた空色が、まっすぐに私を見ていた。剣術大会二連覇の踏み込みは、話術でも同じらしい。逃げ場が、綺麗に塞がれていた。
「初めての席でわかりました。あの方は何かを検分するとき、必ず一度、あなたを見る。答え合わせをするように。そしてあなたは、あの方が仮面を外す瞬間、必ず半歩前に出る。庇うように。……俺は騎士なので、陣形は見ればわかります。あれは主従の陣形ではない」
「…………」
「誤解しないでください。責めているのでも、探っているのでもない。ただ、俺は自分の縁談が誰かの盤だったと知ったばかりなので――せめて自分の目で見たものくらいは、確かめておきたいのです。あなたにとって、あの方は何ですか」
嘘は、視える。
だから私は、嘘の吐き方を知っている。この場を流す言葉なら、十や二十、すぐに並ぶ。
並ぶのに、一つも、口から出なかった。
「……相棒、です」
絞り出せたのは、お嬢様がくれた言葉だけだった。
「今のところは、それ以上の名前を、持っていません」
我ながら、奇妙な答えだと思った。今のところは。それ以上。単語の選び方が、すでに何かを白状している。
ユリウス様はしばらく黙って、それから、ふっと目元を緩めた。
「わかりました。――良い陣形だ。夜会では、俺がその外周を固めましょう」
それ以上は、何も訊かれなかった。
騎士の武辺は、引き際にも出るらしかった。
――夜会、前夜。
私は自室で、ようやく手に入れた招待客名簿を検めていた。両家の親族、公爵家の縁者、王都の名士。警備計画の写しには、叔父が呼んだという「専門の人間」が八名。所属は王都の警備商会となっているが、商会の登記を辿ると、三年前に設立されたばかりの、実体の薄い会社だった。三年前。何もかもが、あの年に始まっている。
名簿を、最後の頁までめくる。
末尾の追加招待の欄で、指が、止まった。
エルネスト・ロウ子爵。
消えた五件の縁談の、一人目。従うことを選び、作り替えられて、いまも盤上を歩かされている人。その人が、婚約披露の夜会に、招かれている。
偶然のはずが、なかった。傀儡を式場に置く理由など、ろくなものであるはずがなかった。
窓の外で、夜風が木々を鳴らした。
私は名簿を閉じ、照心灯の入った鞄を引き寄せた。眠れる気は、しなかった。
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(第15話 了)




