表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国昆虫戦記【泥中羽化】~名は「まんぷく」知識の代償は「はらぺこ」~  作者: つんしー
第七章 甲賀羽化編 〜魔王への叛意と運命の変異〜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

72/77

第六十七話 焦土に響く決着の形

 甲賀 隠れ里。

 玉滝口での主力決戦が血の海と化している頃、甲賀の油日にある本拠・隠れ里は、かつてない危急にさらされていた。


 伊賀を制圧し、裏の間道を抜けてきた浅野長政の軍勢が、隠れ里の目と鼻の先にまで迫っていたのである。本来なら難攻不落を誇るはずの迷路のような谷戸やとも、地理を知り尽くした案内人がいれば、その秘匿性は無に等しかった。


「里の家々を焼け! 燻り出し、一兵たりとも逃すな!」

山岡景友が、冷徹な声で下兵を煽る。


 だが、里の心臓部へ至る唯一の狭隘きょうあいな通路に差し掛かった瞬間、耳を聾する銃声が轟いた。防壁の上に一列に並んだ鉄砲隊の影から、冴衣が冷たく言い放つ。

「……そこから先は、通行止めだよ」

鵜飼一族が工房で、貴重な硝石を惜しみなく投じて精製させた火薬が、次々と火を噴く。一斉射撃のたびに、通路を埋める織田兵たちがなぎ倒された。


「浅野殿、鉄砲は装填に隙ができる。脇の急斜面を登れ! そこを抜ければ館の裏手へ出られる!」

傍らで伴長信が、忌々しげに防壁を指差した。


「あのような土民の小細工に構うな。一気に踏み潰せ。甲賀の誇りなど、今日この時をもって灰にしてくれるわ!」

さらに多羅尾光俊が、焦燥を隠しきれぬ様子で続ける。


「ぐずぐずしてはおれん! 館を囲み、浅井のガキを引きずり出せ。さもなくば我らの面目が立たぬ!」

ここで満福を必ず討たねばならぬという恐怖に染まった山岡の叫びであった。


 浅野の命を受け、手慣れた兵たちが崖をよじ登り始める。里の各所から火の手が上がり、大切に築き上げてきた工房の一部が、黒煙を上げて崩れ落ちていく。

館の奥、床几に座す満福の耳にも、建物の弾ける不吉な音が届いていた。


「……満福、聞こえるか。これが『文明』を焼く火の音だ。お前が土を啜って積み上げた知が、暴力という原始的な力に蹂躙されている」

時任の乾いた声が、静寂の支配する部屋に響く。

満福は答えず、ただじっと自らの手のひらを見つめていた。ムネアカオオアリのフェロモン自動防衛網も数の暴力によって、突破されていた。隠れ里の陥落の危機はすぐそこにある。しかし、満福の感覚は依然として研ぎ澄まされたままである。


「殿、里の第一陣が破られました! 敵の先遣が館の庭先まで!」

伝令の叫びと同時に、庭の竹垣が打ち倒される音が響いた。


灰庵が太刀を抜き、道実がその前に立ちはだかる。時任にも緊張が走った、その時であった。


「……そこまでだ! 織田の兵ども、動くな!」


 地鳴りのような咆哮が、戦火の音を圧して響き渡った。

里の入り口の方角から、血煙を纏った一団が姿を現したのである。先頭に立つのは、全身を敵の返り血で真っ赤に染め上げた磯野員昌。

その片手には、信長の嫡男・織田信忠の首が、髪を掴まれて高く掲げられていた。


「総大将・織田信忠公、討ち取ったり! 浅井が勇士・遠藤喜三郎、その捨て身の一撃にて、魔王の血脈は今ここに断たれた! 主力一万五千はすでに壊滅し、潰走したぞ!」


 一瞬、里の喧騒が凍りついた。

掲げられた首級の顔を認め、浅野長政の顔から血の気が引いていく。山岡も多羅尾も伴も、信じがたいものを見る目で絶句していた。


 磯野は馬を一歩進め、浅野を鋭く射貫いた。

「浅野長政殿。貴殿も無能ではあるまい。信忠様の首、そして御遺体も我らが丁重に確保しておる。……これ以上の戦は、織田・浅井双方にとって泥沼となるだけだ。兵を引き、矛を収めよ直ちに。然らば、御遺体は速やかに返還しよう」


 浅野の傍らで、山岡が叫ぶ。

「惑わされるな、浅野殿! 今ここでこの里を叩き潰さねば、上総介(信長)様の怒りは収まらぬぞ!」

「黙れ!」

浅野の怒声が山岡を黙らせた。浅野は、掲げられた首級と、背後に控える高虎、そして血塗れで運ばれてくる喜三郎の凄惨な姿を凝視した。

「……主力一万五千が崩れた今、我らのみでここを落としても、戻る場所を失い山中で朽ち果てるだけだ。何より、信忠様の御遺体をこれ以上辱めるわけにはいかぬ」

浅野は深く溜息をつき、軍配を引いた。

「相分かった。これより我らは兵を退く。遺体引き渡しの儀が済み次第、伊勢へ引き揚げ、態勢を立て直すこととする」

浅野の苦渋の決断とともに、織田の強大な軍靴が甲賀の泥濘ぬかるみから退いてゆく。


 血と泥、そしておびただしい死臭に覆われた山々に、重苦しい静寂が下りていった。魔王の次代を断ち切るという未曾有の代償を山野に刻み付け、第二次天正伊賀の乱はここに凄惨な終局を迎えたのである。


 織田軍が霧の向こうへ消え去ると同時に、満福は床几を蹴るようにして立ち上がった。

「喜三郎を工房の奥へ運べ! 灰庵、火酒と清い水を! 冴衣、薬草園からヨモギとゲンノショウコを掻き集めてこい!」


 運び込まれた喜三郎の腹部には、信忠の脇差が半ばまで埋まったままであった。周囲の肉は毒と壊死によってどす黒く変色し、異臭を放ち始めている。

満福は煮沸した小刀を握り、喜三郎の傷口に刃を当てた。激痛に跳ねる体を、高虎と員昌が必死に押さえつける。


「……済まぬ、喜三郎。耐えろ」

満福は、変色した肉を迷いなく削ぎ落としていく。そこへ、高濃度の火酒を直接注ぎ込む。絶叫が工房の天井を突き抜けた。


「次はこれだ……」

満福が取り出したのは、小さな筒に入った無数の白い幼虫であった。

「それは……無菌蛆治療マゴットセラピー……!」

側にいた六助が、己の脚をさすりながら声を震わせた。

「万福丸様、俺の脚を腐りから救ってくれた、あの……!」

「ああ、そうだ六助。こいつらは腐った肉だけを正確に食い、傷口を清める。今のこの里で、これ以上に確実な術はない」


 満福は喜三郎の開いた腹の中に、生きた蛆を流し込んだ。

蠢く虫たちが傷口の奥深くへと潜り込んでいく光景に、周囲の者たちは息を呑んだ。しかし、満福だけは、ただひたすらに喜三郎の命の灯火を見つめていた。


「……一命は、取り留めた。だが、臓腑の傷はあまりに深い。明日を越せるか、一月先を拝めるか……それは、こいつの執念次第だ」

満福の言葉通り、喜三郎の呼吸は浅く、深い昏睡の淵を彷徨っていた。


 満福は、蛆が潜り込んでいく喜三郎の傷口から、ゆっくりと視線を上げた。

その瞳は、深淵のような暗さを湛え、どす黒い怒りが静かに、だが確実にその輪郭を研ぎ澄ませていた。


「……時任。聞こえるか」

満福の指先が、喜三郎の血で汚れた自身の衣を強く掴み、白くなるまで握りしめた。

視線の先には、窓の向こうで黒煙を上げる隠れ里の無残な姿がある。土を啜り、泥にまみれて積み上げてきた工房も、家々も、織田という巨大な足に踏みにじられた。そして、浅井の再興を信じて戦った喜三郎は、今も生死の境を彷徨っている。

震えているのは、恐怖ではない。理不尽に里を焼き払い、力こそが正義と嘯く「織田」という存在への憎悪だ。

「わしは、こいつを助ける。……そして、この里を焼き、喜三郎をこんな目に遭わせた奴らに思い知らせてやる」

満福の声は低く、地を這うような響きを持っていた。

そして、脳内では時任が冷酷に頷いたような気配がした。

(……そうだな、満福。理不尽だな。しかし、これが戦国の世だ。大事なものを守りたいなら、もっと力をつけ、強くなるしかないぞ。)

満福は立ち上がり、煙の立ち込める工房の入り口へと歩み出した。

逆光の中に立つその細い肩には、もはや隠しきれぬほどの殺気が纏わりついていた。


 この日、隠れ里は守られた。

だが、その代償は里の半分を焼かれ、浅井の忠臣が生きながらにして虫にその身を委ねるという、あまりに過酷なものであった。


いよいよ最終章です。

少しでも面白いと思って下さったら、ブクマと画面下の【☆☆☆☆☆】を塗り潰していただければ、これ以上の励みはございません。

どうか宜しくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ