第五十七話 京極の叔母上と、茶坊主
天正七年一月
新年を祝う為、十五歳になった満福の館には、彼に付き従う家臣たちが集結していた。
摂津からの難民受け入れにより、里の人口と生産力はかつてないほどの膨張を見せている。満福はその活気を眺め、手応えを感じていた……はずだった。
「まんぷく。十五にもなったのに、いつまでお照を待たせるつもりですの?」
別室の茶室。京極の叔母上が、冷ややかながらも気品ある声で満福を射抜いた。その隣には、すでにお照が満面の笑みを浮かべ控えている。
満福は内心で冷や汗を流した。ここで頷けば最後、己の生涯は叔母上とお照の掌の上で完全に支配される。あの恐ろしい『永遠の檻』に閉じ込められることだけは、何としても避けねばならない。
「お、叔母上。家臣の手前、みつふくとお呼びくだされ」
「そんな言いにくい呼び名はごめんです。それで、婚儀の件は?」
「……あんたが『満福』と名付けたんだろうが」
満福が恨めしげに呟くが、叔母上は涼しい顔で聞き流している。
満福は気を取り直し、同席していた若き腹心たちに助け舟を求めた。
「と、ともかく! 今は里の切り盛りで手一杯でして……。そうだ、高虎! 喜三郎! お主らからも言ってやれ。今は婚儀など挙げている場合ではないとな!」
だが、二人の反応は満福の期待を冷酷に裏切るものであった。圧倒的な気品と圧力を持つ叔母上の前に、二人はとうの昔に完全なる信奉者と化していたのだ。
「……殿。京極のお方様の申される通り、正室の座を早急に固めなされ。叔母上様のお見立てに背くなど、あり得ないことと」
高虎が、氷のように冷たい顔で即答する。
「左様です殿! お照様は母君に似て、お美しい姫君ではございませんか。あの方を奥方としてお守りする事こそ、我ら武士の誉れ!」
喜三郎に至っては、感極まったように叔母上に向けて平伏までしている。
「お主ら……ッ!」
満福は血の涙を流さんばかりに顔を引き攣らせた。
「叔母上、お聞きになられましたか! このように、わしの家臣は信に置けない者ばかりで、日々苦労が絶えませぬ! このような状況で婚儀など、到底進められるわけが——」
叔母上は満福の訴えをにべもなく切り捨てると、扇子を畳んで話を戻した。
「何を言ってるのです。高虎も喜三郎も良い家臣ではありませんか。……そう言えば、家臣と言えば、私が近江にいた頃に聞いた話しですが……長浜で神童と噂される者が、あの羽柴殿の誘いを断ったそうですわね。確か、『甲賀に人生を賭けたい人がいる』と言って。その者は甲賀には居ないのですか?」
その言葉を聞いた瞬間、満福の脳内で時任が弾かれたように声を上げた。
(長浜……羽柴……神童……。おい満福、それは石田佐吉だ!)
(石田佐吉……。以前、冴衣が接触した際、『その甲賀の主に仕える価値があるか、見極める時間が必要だ』と言っていた奴か。わしの才を見極めたということか?)
(間違いない。彼の行政能力は天下一と言っても過言ではない。人、物、金の動きを読み、お前の異質さを見抜いたのかもな。最高の官僚を手に入れられるかもしれん。すぐに動け!)
時任の太鼓判に、満福の婚儀の憂いは一時的に吹き飛び、口元に不敵な笑みが浮かんだ。
数日後。満福は冴衣を使い、佐吉を甲賀へと呼び寄せた。
広間に通された佐吉は、線は細いが、理知的な光を宿した瞳を持つ若者であった。満福は威厳たっぷりに構え、天下の俊才を迎え入れる度量を見せつけようとした。
「よくぞ来た、佐吉。わしに人生を賭ける覚悟が決まったか」
満福が重々しく尋ねる。
だが、平伏から顔を上げた佐吉の視線は、満福を素通りし、その脇に控えていた冴衣へと真っ直ぐに向けられていた。
「……はい。それがしの命、冴衣殿のためにお使いいただきたく存じます」
佐吉の頬は、微かに朱に染まっていた。
「…………は?」
満福の間の抜けた声が広間に響く。
(……おい時任。本当にこいつが、お前の言う『天下一の行政官』石田佐吉か? ただの冴衣に惚れた発情期の若造ではないか!)
時任もまた、かつてないほど動揺していた。
(おかしい……。ちょっと待て、俺も自信が無くなってきた。あいつに、羽柴秀吉と会った時のことを話させろ)
「さ、佐吉よ。お主、羽柴殿から仕官を勧められたと聞いたが、それは誠か?」
「はい。それがしが観音寺で小僧をしておりました折、鷹狩りの帰りで喉を渇かせた羽柴様がお立ち寄りになられました。砂埃に塗れた羽柴様を見て、それがしはまず、大きな茶碗にぬるめの茶をなみなみとお出ししました。一気に喉を潤していただくためです。二杯目は少し熱めの茶を茶碗に半分ほど、ゆっくりと味わっていただくため。そして最後の一杯は、小さな茶碗で舌を焼くほど熱い茶をほんの少し……。この三度に分けた茶の出し方を、羽柴様がひどく気に入られまして。ぜひ小姓にと請われました」
(三献の茶……! 間違いない、本物の佐吉だ!)
「だが、お主は断ったのであろう?」
「はい。包み隠さず、『甲賀に、思いを寄せる人がおりますゆえ』とお断りいたしました。すると羽柴様は怒るどころか、大笑いされまして……『わしも若い頃は、ねねに夢中で苦労したから分かる。励めよ!』と、背中を叩いて送り出してくださいました」
(……史実とは少し違うが、間違いなく佐吉だ。そして秀吉の奴、妙に物分かりのいい親父になってやがる……)
時任が脱力したように呟く。満福と時任の壮大な勘違い劇は、ただの若造の恋煩いであった。
「……そうか。佐吉、理由はともあれ、わしに仕えてくれるのだな?」
「はい! 冴衣殿と志をひとつにできるなら本望にございます。どうか、冴衣殿を私に。何卒よろしくお願い申し上げます!」
佐吉が必死の形相で頭を下げる。
満福は投げやりに手を振った。
「冴衣でよかったら、好きにせよ。ただし、働きが悪ければ即座に叩き出すからな」
「——満福?」
その瞬間、満福の背後から、氷の刃のような恐ろしく低い声が響いた。
振り返ると、冴衣が一切の感情を消した無表情のまま、音もなくクナイの柄に手を掛けていた。自分を物扱いし、あまつさえ厄介払いの道具のように他人に宛がった満福に対し、冴衣は明確な殺気を放っていた。
「ひっ……!」
天下の魔王にも怯まぬ満福が、身内からの純粋な怒気に小さく悲鳴を上げ、後ずさる。
「ま、待て冴衣! お前を想ってくれる男がいてよかったじゃないか。な? だからその物騒なものをしまえ!」
「誰が、あんな貧弱な若造など……ッ!」
冴衣は顔を真っ赤にして怒鳴ると、満福を鋭く睨みつけ、足音荒く広間から飛び出していった。
その直後、同席していた佐助が堪えきれずに吹き出す声が響いた。
甲賀の軍略と内政が飛躍的に向上する代償として、満福はまた一つ、命を削る『内なる敵』を抱え込むこととなったのである。
この物語も一歩ずつ高みへ登っております。
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