第五十五話 丸山城の炎
天正六年十一月
甲賀の山々に、冬の到来を告げる刺すような木枯らしが吹き荒れていた。
満福は、囲炉裏にくべられた炎に向かって、一通の香を焚き染められた書状を無造作に放り投げた。パチパチと音を立てて燃え上がる和紙を、ひどく冷めた目で見つめる。
(……これで今月五通目だ。居留守を使いまくって直接顔を合わせるのを避けておるというのに、あの手この手で文を送り付けてきおる。叔母上め、『元服も済んだこと故、早々にお照との祝言の日取りを決めよ』と執拗に迫りやがって。あの母娘の狂気じみた愛情の檻の中で生きるなど、想像しただけで虫酸が走る)
(西がこれほど激しく燃え盛っている最中に、暢気に祝言など挙げられぬ、という好都合な言い訳が立って助かったがな……)
灰庵の放った偽書工作の結果、荒木村重は完全に疑心暗鬼に飲み込まれ、有岡城にてついに信長への反旗を翻した。信長は激怒し、鎮圧のために大軍を摂津へ向けておる。当面、織田の主力は西に釘付けだ。満福にとっては、これ以上ない縁談逃れの口実であった。
だが、安堵の息をつく間もなく、新たな戦火の種が持ち込まれる。
「殿。伊賀より、使者が参っております。お屋形様(六角親子)への拝謁を求めているとのこと」
三雲佐助の報告を受け、満福は表座敷へと向かった。
使者の前には、甲賀の旗頭である六角承禎・義治親子が座している。伊賀から来た初老の男は、必死の面持ちで頭を下げていた。
「甲賀の主たる六角様、ならびにその重臣の方々に、どうかお力添えをいただきたく推参いたしました。……織田の息のかかった北畠信雄が、我ら伊賀を平定すべく、国境近くに『丸山城』の築城を開始いたしました。完成すれば、伊賀は完全に織田の足下に置かれ、いずれ甲賀も危うくなりましょう。どうか、共闘の手立てを賜りたい」
承禎が答えに窮し、横に控える満福に助けを求めるような視線を送った。満福は静かに、かつ恭しく口を開く。
「お屋形様、恐れながら某が……。伊賀の衆とは古くよりの誼もございますれば、具体的な策の検討をお任せいただければ」
「うむ、満福に任せよう」
承禎が安堵したように頷くのを確認し、満福は底冷えのするような冷徹な眼差しを使者に向けた。
満福は目を閉じ、伊賀と甲賀の地形図を脳内に展開した。
(築城途中の城……時任、どう見る?)
(防衛の柵も未完成で、堀も浅く、集められた人足と兵の指揮系統も統一されていない。破壊するなら、城として機能し始める前の『今』しかない。軍事的に見て、最も脆弱な時期だな。それに史実でも、この丸山城奇襲は功を奏し、北畠の兵を追い立てたはずだ。それほど困難な戦にはならないだろう)
時任の冷徹な史実の分析をなぞるように、満福は使者に告げた。
「……相分かった。伊賀の要請には応える」
使者がパッと顔を明るくした、その直後だった。
「だが、甲賀の兵は表に出さぬ。甲賀の旗が立てば、信長自身が本軍を率いて伊賀・甲賀の殲滅に乗り出してくるからな。我らが提供するのは、強力な火薬、そして『破壊のきっかけ』のみだ。主攻はお前たち伊賀の衆でやれ」
使者はその理屈を呑んで頭を下げ、足早に伊賀へと帰っていった。
彼が去った後、軍議の場に残った家臣たちが、一斉に満福に詰め寄った。
「殿! 表向きは伊賀の衆にやらせるとしても、どうか我らにも出陣の許しを!」
遠藤喜三郎が身を乗り出すと、藤堂高虎も獰猛な笑みを浮かべて同調する。
「左様。これまでの戦いでは、虫や裏の謀略に手柄を持っていかれがちでしたからな。我ら武辺者にも、存分に腕を振るう活躍の場を設けていただきたい」
磯野員昌もまた、無言のまま武者震いをして深く頷いている。
彼らの血の気に満ちた直訴に対し、灰庵が愉快そうに口角を歪めて意見を述べた。
「……ククク。坊主、奴らの言う通りよ。伊賀の寄せ集めだけに任せておいては、肝心なところでしくじるやもしれん。確実を期すなら、我が方の精鋭を『伊賀の地侍』の顔をさせて混ぜ込んでおくのが上策であろうて」
満福は腕を組み、歴戦の猛者たちの顔を一人一人見回した。
「……よかろう。磯野、藤堂、喜三郎の率いる部隊、そして冴衣の率いる鵜飼一族の鉄砲部隊を投入する。だが、絶対に甲賀の旗は立てるな。伊賀衆の怒涛に紛れ、城の急所のみを正確に叩き潰してこい」
「「「ははっ!!」」」
天正六年十一月下旬 伊賀国、丸山城
突貫工事で骨組みが組み上がっていく城の暗がりに、覆面で顔を隠した甲賀の精鋭たちが潜んでいた。
「さてと、あたしら鵜飼一族が丹念に調合した特製黒色火薬だ。派手にいくよ!」
冴衣が小悪魔的な笑みを浮かべ、要所に仕掛けられた導火線に火を放つ。
直後、未完成の城の土台付近で連続して轟音が響き渡り、巨大な火柱が冬の夜空を焦がした。
「な、何事だ!? 敵襲か!?」
「火の手が上がったぞ! 水を持て!」
防衛拠点も機能しておらず、指揮系統すら統一されていない城内は、瞬く間に阿鼻叫喚の地獄へと変わった。建材として積まれていた木材が次々と延焼し、混乱に陥った人足たちが逃げ惑う。
「それっ、一斉射撃!」
冴衣の号令とともに、鵜飼一族の鉄砲部隊が闇夜から正確な狙撃を行い、指揮官を次々と打ち抜いていく。
「伊賀衆に続けえッ! 叩き潰せ!」
その混乱のどさくさに紛れ、高虎、磯野、喜三郎の率いる武断派の猛者たちが、怒涛のごとく城内へ雪崩れ込んだ。伊賀の地侍たちと共に圧倒的な武力を振るい、完全に虚を突かれた織田側の将・滝川雄利らは、這々の体で伊勢へと逃げ帰っていくしかなかった。
「……脆いものだな」
遠く離れた甲賀の尾根の上から、満福はその業火を冷ややかに見下ろしていた。
「丸山城を落とされた信雄は面子を潰され、必ず大軍を率いて伊賀へ報復の侵攻を行うだろう。伊賀には織田との代理戦争の舞台になってもらう。すべては、我らが生き残るための布石だ」
丸山城は、完成を見ることなく一晩にして焼け落ちた。
伊賀の衆は「織田の野望を打ち砕いた!」と勝利の美酒に酔いしれていた。だが、満福の目には、その先に待ち受ける血みどろの未来がはっきりと見えていた。
(……これで、信雄は引けなくなった。来年、必ず伊賀へ攻め込んでくる。そこからが、本当の戦の始まりだ)
十四歳の若き主君が、盤面を見下ろして放った冷徹な一手。
それはのちに「第一次天正伊賀の乱」として凄惨な名を残すこととなる泥沼の戦いの、確かな伏線であった。
この物語も一歩ずつ高みへ登っております。
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