第五十三話 絶望の縁談と、甲賀禁教令
天正六年四月
甲賀の山々は初夏の光に包まれ、緑の葉が目に眩しい。冬虫夏草の煎じ薬が劇的な功を奏したのか、京極高吉の体調は奇跡的な回復を見せていた。しかし、それに呼応するように、京極の叔母上――史実では「マリア」の名を冠することになる女王の覇気もまた、ますます漲っていた(みなぎっていた)。
「万福丸、貴方ももう十四でしょう? いつまでもその子供じみた総髪では、浅井の嫡男の名が泣きますわ」
麗らかな昼下がり、叔母上は優雅に茶を啜りながら、事も無げに爆弾を投下した。
「再来月には元服の儀を執り行います。髪は潔く月代に。そして――」
叔母上の瞳が、三日月のように細められる。
「私の次女、お照を正室として迎えなさい。従姉弟同士、これほど睦まじい縁談はありませんわ」
その場に控えていた高虎と喜三郎が、弾かれたように顔を上げた。
「おお……! お方様、なんという有難きお言葉!」
喜三郎が感極まった様子で拳を握りしめる。
「若様、おめでとうございます! 京極家との固き絆、これこそ浅井再興への確かな第一歩。この喜三郎、祝儀の席では父に代わり、命を懸けて舞を披露いたしますぞ!」
「……御意。若様、お方様のお言葉です。断る理由はどこにもありますまい。すぐに手配をいたします」
高虎が、逃げ道を塞ぐ速度で冷徹に実務的な頷きを返す。
(待て、待て待て待て! 誰がいつ承知した! 喜三郎、高虎、貴様ら主を売る速度が速すぎるだろうが!)
万福丸は、内側から溢れ出す絶望を「不屈の楽観」という名の仮面で必死に抑え込んだ。視線の先では、叔母上の背後に控える次女・お照が、母譲りの奔放な笑みを浮かべ、万福丸を「面白そうな獲物」として天真爛漫な瞳で見つめている。その性格は、まさに叔母上の生き写し――支配的で、理不尽で、万福丸を自分を退屈から救い出す「おもちゃ」としか見ていない。一方、三女のお静はお淑やかに控えていながらも、その理知的な双眸で万福丸を冷静に観察していた。
(……おい時任、助けろ。このままではわしの人生が、二人の女王に支配された暗黒の監獄に変わる!)
(……いやぁ、確かに同情に値する。生物学的には近親婚は劣性遺伝の蓄積が怖いし、何より昭和の感覚からすると従姉弟と結婚ってのは……正直、引く。だが、もっと深刻な問題があるぞ、万福丸)
(……これ以上の問題などあるか!)
(叔母上だ。彼女、史実において、近いうちにキリスト教の洗礼を受けるはずだぞ。洗礼名は「マリア」だ。いいか、キリスト教は「一夫一妻制」だ。一度お照と結婚して教義に縛られたら、側室も持てない。一生、あの叔母上の分身と二人きりだぞ)
(………………ッ!!)
万福丸の背筋に、冬虫夏草を育てた時の悪臭以上の寒気が走った。
一生涯、叔母上とお照に挟まれて過ごし、逃げ場もない。それは戦で討ち死にするよりも過酷な、終わりのない拷問に等しい。
(時任、策を! お照に嫌われ、この縁談をぶち壊す策を教えろ!)
(確かに今回ばかりはお前を全力で支援しよう。ならば「嫌悪」を逆手に取ろう。戦国武士が最も嫌う、そして女子が最も戸惑う「異形の風貌」を演出するんだ。月代はこの時代、格好の良い髪型なんだろ。そこで、俺の時代では最先端だが、……「昭和のモダンボーイ」の髪型で行け。七三分けだ。ちなみに、髪の毛は椿油でガチガチに固めろ。気持ち悪がられること請け合いだぞ)
(それだ! さすが外道学者、頼りになる!)
数日後。元服の予行演習と称し、万福丸は冴衣を呼び出した。
「冴衣、わしの髪を切れ。月代ではない。「もだん」という形にする」
「……あんた、正気? 月代にしないなんて、武士の面子丸潰れだよ」
冴衣が呆れたように小刀と鋏を構えるが、万福丸の目は真剣だった。
「いいから切れ! 嫌われるためだ!」
一刻後。万福丸の頭髪は、戦国時代には存在し得ない、異質な変貌を遂げていた。側頭部を短く刈り込み、上部を長く残して、椿油でピシリと七三に分けたスタイル。昭和初期、帝大の廊下を闊歩していたであろう「モダンボーイ(モボ)」の完全再現である。
「……何、これ。あんた、鏡見た? めちゃくちゃ変だよ。あたしなら、こんな髪型の男、絶対お断りだね」
冴衣が腹を抱えて笑い転げる。万福丸はその「拒絶」に確信を得て、満足げに頷いた。
「それで良い。これで、お照も叔母上も、わしのことを「狂った異形」と蔑み、縁談は白紙になるはずだ!」
意気揚々と、万福丸は京極の面々が集まる広間へと向かった。そこには、叔母上、高吉、そして次女・お照と三女・お静が揃っていた。
「……お待たせいたしました、叔母上。わしの新しい姿にございます」
万福丸が自信満々に姿を現した瞬間、広間が静まり返った。
(ハハハ! 絶句しておるわ! くるが良い、罵倒の声よ!)
万福丸の期待通り、沈黙を破ったのは叔父の悲鳴に似た困惑であった。
「万福丸殿、いくらなんでもその髪型は、武将としての体面が……あ、いや、その……」
京極高吉が、震える指先で万福丸の異形の七三分けを指し示し、必死に常識を説こうとした。困惑し、救いを求めるように隣の妻を仰ぎ見る。だが、そこにあったのは彼を助ける慈愛ではなく、獲物を見つけた捕食者の愉悦だった。
「……あら、やるじゃない」
叔母上が満足げに目を細める。それだけで、高吉の反論は喉の奥へと押し戻された。
「その異様、むしろ気に入りましたわ。京極の婿として、それくらいの独創性がなくてはね。お照、貴方にぴったりの伴侶ですわよ」
(…………なんでだよ!! 叔父上、そこはもっと粘れよ! 秒で折れるなよ、しっかりしろよ!!)
絶望する万福丸に追い打ちをかけるように、歓喜の声が重なった。
「…………素敵」
お照が、頬を赤らめて呟いた。
「なんて、なんて斬新な御髪……! 既存の武家の常識に囚われず、自らの美しさを最も引き出す形を独創されるなんて……。万福丸様、貴方はやはり、並の男とは器が違いますわ!」
お照の奔放な称賛に続き、隣にいた知性派の三女・お静が、鋭い眼光で深く頷いた。
「……はい。月代で額を出すよりも、その、お顔の美しさが際立って……。南蛮の騎士のようでございます。万福丸様、その「七三」という比率、実に合理的でございますわ」
(……あー、すまん、計算違いだったな。万福丸、お前が「市の方」譲りの美少年だってことを忘れてた。美形は何をしても流行りの最先端に見えちゃうんだよ。昭和でも、モボはモテたからなぁ……)
(貴様ぁ!! 嫌われると言ったではないか! 策に溺れたわ!)
追い打ちをかけるように、家臣たちがトドメを刺しに来る。
「……若様」
高虎が、いつになく真剣な表情で膝をついた。
「その髪型……。左、右への割り振りが七対三。これこそ、統治者の比率にございますな。自らの頭上にすら、新たな秩序を構築されるという決意……拙者、感服いたしました」
「若様ぁ!!」
喜三郎が滝のような涙を流して叫ぶ。
「髪を剃ることすら拒み、父君から受け継いだその一本一本を大切にされる……なんと深い親孝行! その型破りな美学、某、一生ついて参りますぞ!」
(違う! 親孝行でも統治の比率でもない! わしはただ、お照との婚姻を白紙にしたいだけだ!)
絶望に打ちひしがれる万福丸の横で、時任がさらに追い討ちの「知識」を垂れ流す。
(万福丸よ、お照との婚姻回避は厳しいかもな。このままだと、叔母上はキリスト教に触れて、洗礼を受けることになるぞ。その後は、お前をキリストの教えに導いて、完璧な「一夫一妻」の伴侶に仕立て上げるはずだ)
(……させるか。そんなこと、絶対にさせるものか!!)
万福丸は、お照の熱い視線から逃げるように立ち上がると、虚空を指差して叫んだ。
「断る! 布教など断固拒否だ! 甲賀の地、一歩たりとも異教の徒を入れることは許さぬ! 良いか、わしは……わしは、反キリストだ!!」
出処不明の激昂に皆一様に目を白黒させたが、万福丸の瞳に宿る真剣味に押され、それが甲賀を盤石にするための秘策であると盲目的に受け入れた。
ここにキリスト教のキもない甲賀の地で、キリスト教禁止令が全国に先立って発布される事となったのだった、
十四歳の春。万福丸の自由への戦いは、より一層混迷を深めていくのであった。
なお、その後の万福丸は髪型への興味を完全に失い、月代にすることもなく、ガチガチに固める椿油も放り出した。
結果として、無造作に風にたなびく「自然な美髪」となった彼が、さらに周囲の女子(と家臣)を狂わせる事態になったのは、言うまでもない。
この物語も一歩ずつ高みへ登っております。
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